
日前神宮の旧鎮座地が奈久佐浜宮
奈久佐浜宮の比定地は、日前神宮の旧鎮座地として知られる紀伊国奈久佐郡、今日の和歌山県名草の浜宮であるというのが定説です。
豊鋤入姫命は崇神天皇51年、名草郡毛見の海辺、現在の浜宮神社の地に奈久佐浜宮を造営し、そこで神宝を3年間斎き祀りました。その時、神武天皇の東征の際に天道根命によって海中の岩上に奉安された日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)も奈久佐浜宮に遷され、一緒に祀られることになりました。その結果、浜宮神社では一時期、とともに日前国懸両宮の御神体となった鏡が共に奉祀されることになったのです。そして崇神天皇54年、天照大神が次の遷座地である名方浜宮に遷座された後も、日像鏡と日矛鏡は浜宮神社に鎮座し続けました。海中の岩上から遷されて30余年後の垂仁天皇16年、両鏡は現在の日前国懸両宮の地に遷座したのです。このように、日前神宮と国懸神宮の御神体は浜宮神社に由来し、天照大神との深い歴史的繋がりを有していたことがわかります。
奈久佐浜宮のレイライン
奈久佐浜宮のレイラインの検討には、浜宮神社と日前神宮という二つの聖地を通り抜ける複数のレイラインを考察することが必要です。まず、奈久佐浜宮元来の遷座地である浜宮神社のレイラインを検証してみましょう。浜宮神社を通る1本目のレイラインは、神倉山と熊野本宮大社を結ぶ線です。神倉山は熊野における海岸沿いの聖地として極めて重要な位置付けにあり、数多くのレイラインの指標とされてきました。また、その名称が示唆するとおり、神の蔵として神宝の行方と秘蔵場所を占う貴重な存在であったと考えられます。
神倉山から熊野本宮大社に向かって線を引くと、そのレイラインはちょうど和歌浦湾の沿岸にて浜宮神社を通り抜け、最終的に日本海の八雲山の東側に至ります。これは、浜宮神社が熊野信仰の原点ともいえる神倉山、並びに熊野権現と関わりを持つだけでなく、神宝の聖地である出雲の地とも結び付いていることを意味します。
2本目のレイラインは剣山と浜宮神社を結ぶ線です。この延長上に斎宮が存在しています。歴史の流れから察するに、斎宮の場所が特定されたのは、神宝が浜宮神社へ遷座された後の時代です。それゆえ、斎宮の地を特定する際に、この剣山と浜宮神社を結ぶレイラインが用いられ、三輪山を通る緯度線と交差する場所に、斎宮を造営したと推定されます。また、浜宮神社は海岸沿いに存在することから、神倉山と熊野本宮大社を結ぶ1本のレイラインのみで、海岸線と交差する場所を特定することができたのです。さらに、浜宮神社と三輪山の麓にある檜原神社を結ぶと、そのレイラインは熱田神宮を通り抜けることにも注目です。斎宮と同様に、後世において熱田神宮の地が特定される際に、浜宮神社と檜原神社を結ぶレイラインが検討された可能性があります。
元伊勢御巡幸の意味を探る
日前神宮を通る複数のレイラインにおいては、これらの線引きにより元伊勢の御巡幸に絡む場所が複数見出されただけでなく、元伊勢御巡幸の意味を理解するためのヒントさえも秘められているようです。まず、真名井神社(籠神社奥宮)と日前神宮を南北に結ぶ経度線があります。真名井神社の真南に日前神宮が位置していることから、両者が同一経度線上に並ぶように特定されたことがわかります。また、摩耶山も、そのレイライン上にあり、そこが出雲の八雲山と三輪山を結ぶレイラインとの交差点であることも、重要な着眼点です。
これら2本のレイラインは神剣に纏わる伝承を多く残す出雲と、八咫鏡に絡む歴史的背景を持つ日前神宮2社を三輪山と結び付けています。そして摩耶山と共にその延長線上に聳え立つ剣山は、新たなる聖山の指標としての役割を暗黙のうちに示していたのです。さらに富士山、剣山、そして高千穂神社を結ぶレイライン上に日前神宮の地が存在することも極めて重要です。なぜなら、天孫降臨の地である高千穂と、聖山として名高い剣山、そして列島最高峰富士山を紐付ける地点として、意図的に日前神宮の場所が特定されたと考えられるからです。最後に、日前神宮を通る同緯度線上に沖ノ島があることに注目です。沖ノ島には多くの神宝が埋蔵されおり、神宝の島として知られています。
奈久佐浜宮のレイラインとは、浜宮神社と日前神宮からなるレイラインの結晶です。それは正に地の力と祖先の力であるだけでなく、そこに神宝の存在までも結び付けたレイラインの代表格なのです。奈久佐浜宮のレイラインを検証していくと、真名井神社、籠神社、摩耶山に加え、剣山という新たな聖地の存在も浮かび上がってきました。奈久佐浜宮に絡むレイラインは、元伊勢の御巡幸と、神宝の行方に絡む何らかのヒントを後世に語りかけているように思えてなりません。




