1. ホーム
  2. 祇園祭のルーツをたどる
2022/07/30

7月17日が祇園祭にとって重要な理由 世界中の人が注目する聖なる日に盛り上がる祇園祭

7月17日は重要な出来事が起きる日!

祇園祭 山鉾巡行
祇園祭 山鉾巡行
例年7月になると、1か月という長い期間をとおして祇園祭は開催されます。その祭のスケジュールの中で、大勢の観衆が集い、祭りの最も盛り上がりを見せる頂点の日が、前祭と山鉾祭が行われる7月17日です。7月には31日という日数がある中で、何故、17日が祭のピークになる日として選ばれたのでしょうか。

7月17日という日付は国外でも重要な意味を持っている日です。世界の歴史を振り返りながら7月17日という日を見つめ直すと、特にイスラエル関連の歴史的行事が、その日に集中していることがわかります。それらのトピックに注視し、史実の詳細を検証することにより、7月17日という日付の重要性が見えてくるだけでなく、祇園祭との関係も理解することができるかもしれません。

前述したとおり、古代、ノアの箱舟の時代に大洪水が起きた際、ノアの家族が舟に乗って山の頂上まで流され、そこから水が引き、家族全員が救われた記念の日が7月17日です。旧約聖書の創世記7章によると、洪水を起こした豪雨は当時の暦で2月17日より始まり、5ヶ月、すなわち150日間も続きました。その直前、神の命によってノアは箱舟を造り、ノアの家族はその舟に乗り、一命をとりとめたのです。それ故、7月17日は、ノア一族が救われたことによる人類の新しい歴史の始まりを示す重要な日となりました。その大切な記念日である7月17日を、祇園祭でも大切にしているのは、偶然の一致だったのでしょうか。

暦の違いと数字の並びの重要性

ノアの箱舟がたどり着いたイメージ画像
ノアの箱舟がたどり着いたイメージ画像
ノアの時代では、新年が9月下旬から10月頭に始まる政治暦に準じていたことから、その7月というのは太陽暦の7月とは異なり、3月下旬から4月上旬にあたります。その月はイスラエルの宗教暦と呼ばれる新しい暦では、1年のはじめの月、ニサン、またはアビブの月とも言われています。よって新年を3月とする宗教暦を用いるならば、7月とは太陽暦の9月下旬から10月になります。イスラエルには2つの暦が使われていることから注意が必要です。

その暦の違いから、祇園祭の7月17日と、旧約聖書のノアの箱舟に関する記述の中で記載された7月17日とは、実際の日付が異なり、後者は太陽暦の3月下旬から4月上旬にあたります。しかしながらここで大切なことは、7と17という日付の数字です。それらの数字の並びを重要視したことから、あえて異なる暦を使ってまで、7月17日という同じ数字を並べた日付にすることも考えられたのではないでしょうか。ノアの箱舟のストーリーと祇園祭の行事のテーマには、海と舟、そして人類の救いに関わる多くの接点が存在することからしても、意図的に月日の数字を並べた可能性があります。

結果として、7月17日という日が特別視されることになりました。それは年のはじめを1月とする太陽暦であっても、3月下旬から4月下旬とする宗教暦であっても、または秋口とするイスラエルの政治暦のいずれであっても、7月17日という月日が大事であり、その日の出来事が重要であることに変わりありません。7月17日を大切な日とする事例は、ノアの箱舟と祇園祭に限らず、イスラエルの歴史においては出エジプトからイエスキリストの時代までいくつも存在します。それらは祇園祭と同様に、人々の救済というテーマにおいて、7月17日の暦をとおして繋がっていたのです。

7月17日に起きた古代の出来事の数々

7月17日を大切な日とする歴代の出来事をまとめてみました。その背景には、いずれも人々の救いがテーマとして存在します。よって、7月17日という日付が単なる偶然の一致ではないと考えられるのです。下記の中で記されている「ニサン」とは太陽暦では3月下旬から4月を指し、新年が10月からはじまるイスラエルの政治暦では7月にあたります。

  1. 7月17日、ノアの箱舟がアララト山の頂上にランディングし、ノアと家族が洪水の難から救われた。
  2. イスラエルの民が長年にわたり奴隷となっていたエジプトから遂に脱出し、葦の海を渡ってエジプト軍の追手から救われた日も、ニサンの17日目であった。葦の海が割れて海を渡ることにより、7月17日は、エジプトにおける奴隷の日々から解放された日となる。
  3. エステル妃の時代、イスラエル民族をすべて処刑するという王の勅令が出された際、エステル妃はニサンの14日から16日までの3日間、断食をして祈りを捧げ、ニサンの17日、エステル妃が王に懇願した結果、イスラエル民族が処刑される勅令が取り消され、エステル妃の同族が全て救われる。
  4. ニサンの10日、復活祭直前の日曜日にイエスキリストは捕えられ、過ぎ越しの日となる14日に十字架に掛けられて処刑されます。そして3日後のニサン17日、イエスは死から蘇ったと伝えられています。イエスが死から蘇ったことこそ、究極の人類の救いの象徴といえるでしょう。その後、人類の歴史は大きく変わることとなります。出エジプト記12章には、ニサンの10日に穢れのない子羊が選ばれ、14日目に、過ぎ越しの祭りの犠牲として捧げられることが記されています。罪のために犠牲を捧げるという祭の儀式に並んで、同じニサンの日にイエス・キリストは死なれ、その3日後の17日に生き返ったことが、最大の焦点となったのです。

ニサンの17日は、まさに人類の救いの日と言えます。その日、ノアの家族が救われて人類の新しい歴史がはじまり、イエスキリストが死から蘇っただけでなく、イスラエルの出エジプトや、エステル妃の懇願によるイスラエルの救いまでもが実現したのです。

7月17日をピークとする祇園祭の意味

祇園祭
祇園祭
7月に執り行われる祇園祭の関連祭事においては、10日目に神輿洗式(みこしあらいしき)と神事用水清祓式が行われます。10日という日取りが、清めの儀式に特化されていることがわかります。それから前祭、鉾建て、山建ての行事が続き、14日には、宵山と、屏風祭が開催され、祭が盛り上がります。そして16日には日和神楽、石見神楽が催され、3日後の17日には山鉾巡行、神幸祭、神輿渡御という祇園祭のハイライトを迎えます。

これら祇園祭における一連のイベントは、10日に子羊が選ばれ、14日に犠牲として捧げられというイスラエルの儀式に類似しています。そしてニサンの17日、政治暦における7月17日が、イエスキリストが死から蘇り、人類の歴史が大きく変わるというハイライトとなる日であるという点においても、祇園祭のピーク日と同じです。また、7月16日に催される祇園祭の神楽が「石見」と呼ばれるのは、イエスキリストの死後、女性たちがキリストの墓を見に行き、その石が動かされていたことを目撃したことを念頭に命名された言葉かもしれません。

祇園祭の一連の流れと古代イスラエルの宗教行事は、暦の上で多くの類似点があります。祇園祭のルーツに古代イスラエルの歴史が絡んでいる可能性を、7月17日という日付から見出すことができます。

コメントする