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2024/07/25

祇園祭が7月に開催される理由 イスラエルの暦からわかる7月の重要性

祇園祭の開催期間は1か月

祇園祭 山鉾巡行
祇園祭 山鉾巡行
祇園祭は例年、7月1日から31日まで開催されます。一般的な夏祭りとは異なり、祇園祭の開催期間は1か月と大変長くなっています。

中でも盛り上がりをみせる祭事が、国連教育・科学・文化機関無形文化遺産にも登録されている山鉾巡行です。17日の前祭(さきまつり)では23基、24日の後祭(あとまつり)ではさらに11基の山鉾が町中を練り歩きます。山鉾巡行は従来、疫病をもたらす疫神を鎮めるために行われ、また、神輿が通る道を事前に清めるための先祓いの儀式でもあったと考えられています。7月17日の昼に開催される前祭の山鉾巡行は祇園祭のピークとなり、大勢の参拝者が訪れます。

山鉾巡行が行われる同日の神幸祭では、夕方から神輿渡御が行われ、3基の神輿が担がれて町中を進みます。そして神の臨在を象徴する神輿は御旅所(おたびしょ)へと向かい、17日の夜から還幸祭が行われる24日までの1週間、そこに鎮座します。その間、多くの参拝者が願いごとを携えてお参りに訪れます。そしてお参りの途中では口をきいてはいけないという伝承がいつしか広まり、「無言詣り」が行われるようなりました。

7月が重要視された祇園祭とイスラエルの祭

祇園祭 注連縄切り
祇園祭 注連縄切り
祇園祭のルーツがイスラエルにあると考えられる理由のひとつに、双方が7月を大切な暦上の月とし、「人と海との和」という共通のテーマで繋がっていることがあげられます。祇園祭が開催される7月に、どのような祭事が進行するか、今一度振り返りながら、イスラエルの神事と比較してみましょう。

祇園祭は7月1日の吉符入りの神事からから始まり、人々が集まって祭神を祀り、祇園祭が無事に進行し、終わることを祈願します。次の大切な暦は7月10日であり、神事用水清祓式、神輿洗式と呼ばれる2つのお清めに通じる儀式が執り行われます。7月15日の夜には宵宮祭(よいみやまつり)が行われ、八坂神社にて祝詞があげられ、御神霊を神輿にお遷しします。その2日後の17日は祇園祭のハイライトとなる前祭の山鉾巡行の後、神輿渡御が行われ、神幸祭にて神輿は御旅所に鎮座し、そこに1週間留まります。その後、24日には後祭の山鉾巡行と還幸祭が執り行われ、31日の疫神社夏越祭をもって一連の祇園祭の行事は終わります。

イスラエルにとっても7月は重要な月です。7月1日にはロシュ・ハッシャ―ナと呼ばれる新年祭が催されます。7月10日はヨム・キプルと呼ばれる贖罪日であり、ユダヤ教徒は、みな断食をします。この7月1日からヨム・キプルまでの10日は「畏れの日々」とも呼ばれ、イスラエルの暦上、特別な意味があります。そして7月15日からの1週間は、ユダヤ教三大祭のひとつである「仮庵の祭」が行われます。その間イスラエルの人々は、祖先がエジプトを脱出した際には天幕に住んでいたことを覚え、木の枝で建てた仮庵と呼ばれる仮設の住まいに1週間泊まります。そして8日目に聖なる集会が開かれて仮庵祭は終わります。この7月1日からの3週間が、イスラエルにとって聖別すべき大切な日々となります。

祇園祭のカレンダーとイスラエルの暦における7月に開催される宗教行事を比較すると、どちらも1日を始めとし、10日目を清めの儀式の日としているだけでなく、15日も神に祈り求める大切な日としています。また、神輿が1週間もの間、御旅所に鎮座し、そこに人々が集い祈り求めたように、イスラエルでは同じく1週間、人々は木の枝でできた素朴な住まいで時を過ごし、「仮庵の祭」を祝いながら神に祈ったのです。

『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』
『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』
7月17日が双方に共通する重要な日であることにも注目です。その日は祇園祭のピークとなる前祭の山鉾巡行が開催される日であり、最も多くの人々が集う時です。夕刻からは総勢1600名が神輿を担ぐ神幸祭の神輿渡御が行われ、祇園祭の盛り上がりは頂点に達します。また、イスラエルの暦によると、7月17日はノアの家族が乗った箱舟がアララト山の頂上まで漂流してとどまり、大洪水の難を逃れた日です。(創世記8章4節)つまり人類が滅亡の危機から救済された記念すべき日となりました。

果たしてこれらの日付の一致は偶然と言えるでしょうか。祇園祭の山鉾巡行と神幸祭の日が7月17日に定められた背景には、何かしら祇園祭とノアの箱舟に結び付く接点があり、イスラエルの宗教行事が祇園祭りと絡むきっかけとなった可能性があります。

イスラエルの暦と数字の重要性

アララト山の雄大な眺め
アララト山の雄大な眺め
祇園祭とノアの箱舟の歴史が結び付いている可能性を検証するにあたり、まず、イスラエルの暦について理解を深めることが重要です。イスラエルでは複数の暦が用いられ、新年度が始まる月がそれぞれ異なります。政治暦とも呼ばれる旧暦の新年は、今日用いられているグレゴリオ暦の9月下旬から10月初旬を新年として始まります。エルサレムのある南ユダ王国の時代でも使われていた暦であることからユダヤ暦とも呼ばれています。旧暦を基準にした今日のヘブライ暦(ユダヤ暦)はイスラエル国家の公式暦でもあり、世界中のユダヤ人がごく一般的に用いている暦です。

また、イスラエルには新年がグレゴリオ暦の3月下旬から4月上旬にあたる宗教暦と呼ばれる暦もあります。宗教暦のルーツは旧約聖書の出エジプト記12章に記載されているモーセとアロンが授かった言葉にあります。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」。「この月」とは過越の祭が行われる3月のことです。よって、宗教暦の新年は、旧暦よりも半年早い春の季節になります。宗教暦のはじめの月はアビブの月、もしくはニサンの月と呼ばれています。

今日使われているグレゴリオ暦とは別の暦がイスラエルには少なくとも2つ存在し、現代社会において使い慣れている暦の日付とは全く異なることに注視する必要があります。例えば、ユダヤの新年祭、ロシュ・ハッシャ―ナの祭りでは7月の1日と2日を祝い、新しい年号の始まりとします。宗教歴においては、1年の始まりとなるニサンの月が3月下旬から4月上旬にあたることから、7月に開催されるロシュ・ハッシャ―ナは、グレゴリオ暦の9月下旬から10月にあたります。同時に第7の月に行われるロシュ・ハッシャ―ナそのものが新しい年の始まりを示していることに注目です。祭り自体が新年を祝う行事だからです。ユダヤの宗教暦ではこのような新年の祝日が、1年を通して複数回あることが知られています。

大洪水から救われた7月17日はいつ?

アララト山
アララト山
ノアの箱舟については、アララト山の頂上に止まった日が7月17日であると旧約聖書には明記されています。この暦の解釈には定説がないようです。何故なら人類の歴史の中でも一番古い最初の人間にまで遡るため、暦の月日は当然ながら後付けになったと推測されるからです。また、創世記7章によると、ノアを襲った洪水は、第2の月の17日の天変地異から始まったことが明記されています。ところが、なんの予告もなく唐突に第2の月と表記されていることから、どの暦に紐づくものか皆目見当がつかないのです。

もし、旧暦を想定するならば、箱舟が山頂にランディングした7月とは、グレゴリオ暦の3月下旬から4月上旬に相当します。旧暦では9月下旬から10月初旬にかけて新年が始まるからです。しかしながら旧約聖書の出エジプト記12章には過越の祭の時、すなわち3月下旬から4月上旬を新年とする、という定めが記載されていることから、モーセ五書のひとつである創世記だけに、そこで使われている暦は宗教暦が該当するという説が該当すると考えた方が無難かもしれません。その場合、グレゴリオ暦の3月下旬から4月上旬を新年として、9月下旬から10月初旬が宗教暦の7月にあたることから、7月17日は、おそらくグレゴリオ暦の10月初旬にあたります。暦の違いにより、それぞれグレゴリオ暦の7月とは異なる月を指しているだけでなく、いずれの暦においても7月の月が、もうひとつの暦の新年の月にあたることは注目に値します。

祇園祭とノアの箱舟を繋ぐ7月17日

イスラエルの宗教観においては暦の相違に関わらず、月日に用いられている数字が重要であり、特に7と17が特別視されているようです。だからこそ異なる季節のイベントであっても、相応の暦を用いることにより、結果として7月に重要なイベントを定められることができたのです。ノアの箱舟がアララト山にランディングしたのは、春、秋、いずれにせよ7月です。それに合わせるかのごとく、秋の行事であるイスラエルの新年祭ロシュ・ハッシャ―ナや、ヨム・キプルと仮庵祭も、同じ7月の行事となりました。暦を用いることにより、祭りの月を7月としながらも、季節を春から秋に変えることができたことがわかります。7月の7という数字には、何かしら新しい年に結び付く象徴的な意味が込められていたと考えられるのです。

暦の違いから、たとえ月日の数字が同じであっても、祇園祭のピークとなる7月17日と、ノアの箱舟が山にランディングした実際の日付は異なることから、両者を結び付けることは一見、難しく思えます。しかしながら、数字を大切にする古代では、数字そのものがシンボリズム的な意味合いをもっていたと考えられます。よって数字の並びが重要視されたという前提で、7と17が大切な月日の数字として受け止められた可能性に着眼するならば、それがイスラエルの宗教歴や旧暦(政治歴)であるかどうかに関わらず、7と17日という数字のシンボルによって何等かのメッセージと繋がっている可能性が高いと想定されます。

祇園祭 船鉾
祇園祭 船鉾
祇園祭の暦における重要な日が、ノアの箱舟による救いの日となる7月17日の数字と一致するということは、暦の観点からして祇園祭と、ノアの箱舟の時代におきた大洪水とは何かしら繋がりがあり、ノアの箱舟のストーリーが紐付けられたと推測できるのです。それ故、祇園祭では御船祭だけでなく、神輿水中渡御の祭など、海に纏わる行事が多く催されることになったのではないでしょうか。

コメント
  1. 田辺 健 より:

    コトタマ(言霊)的にも祇園とシオンは同じですよね。
    祇園=ギオン=Gion=ジオン=Zion=ザイオン=Sion=シオン。
    7月17の祇園祭りの日に、剣山の麓の剣神社も大祭なのも偶然でないと思っております。

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