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2022/07/25

祇園祭が7月に開催される理由 イスラエルの暦からわかる7月の重要性

7月が重要視された祇園祭とイスラエルの暦

祇園祭 儀式
祇園祭 儀式
祇園祭のルーツがイスラエルにあると考えられる理由のひとつに、双方が7月を大切な暦上の日とし、「人と海との和」という共通のテーマで繋がっていることがあげられます。7月をとおして開催される祇園祭は、まるまる1ヶ月続きます。中でも盛り上がりをみせる祭事が、7月17日の昼に開催される前祭(さきまつり)山鉾巡行と、夜に行われる神幸祭の神輿渡御です。そ祇園祭のピークとなる日には大勢の参拝人が訪れます。祇園祭が開催される7月に、祭事がどのように進行するか、今一度振り返ってみましょう。

祇園祭は7月1日の吉符入りから始まります。神事の始めを意味する人々の集まりであり、祭神を祀り、祭が無事に進行し、終わることを祈願します。次の大切な暦は7月10日です。その日には、神事用水清祓式、神輿洗式と呼ばれる2つのお清めに通じる儀式が執り行われます。そして7月15日の夜には宵宮祭が行なわれ、八坂神社にて祝詞があげられ、御神霊を神輿にお遷しするのです。その2日後、山鉾巡行と前祭が開催され、祇園祭のハイライトを迎えます。そして24日には再度、山鉾巡行と後祭、還幸祭が執り行われ、31日疫神社夏越祭をもって一連の祇園祭の行事は終わります。

7月という月は、イスラエルにとっても重要な月です。7月1日にはロシュ・ハッシャ―ナと呼ばれる新年祭が催されます。そして7月10日はヨム・キプル、贖罪日となり、ユダヤ教徒はみな断食をします。この7月1日からヨム・キプルまでの10日は「畏れの日々」とも呼ばれ、イスラエルの暦上、特別な意味を持っています。そして7月15日からの1週間はユダヤ教三大祭のひとつである「仮庵の祭」が行われます。旧約聖書のレビ記23章に、「第七の月の十五日から仮庵祭で、七日間は主のものである」と書いてあるとおりです。そして8日目に聖なる集会が開かれて仮庵祭は終わります。この7月1日からの3週間が、イスラエルとって聖別すべき大切な日々なのです。

ところが、ロシュ・ハッシャ―ナの新年祭が7月1日という日付からも推測できるとおり、イスラエルでは2つの暦を用いていることから、新年が7月になることが可能です。ロシュ・ハッシャ―ナの新年祭、およびヨム・キプルと贖罪日、仮庵祭は、新年を3月下旬から4月上旬とするユダヤ宗教暦の7月、つまり太陽暦の9月下旬から10月に催されます。その月日は旧暦の新年にもあたります。ユダヤ宗教暦とは旧約聖書の創世記12章1節によると、出エジプトの時代から始まった新しい暦です。それ以前は、新年が太陽暦の9月下旬から10月初旬の秋にはじまる政治暦、もしくは旧暦と呼ばれる暦が使われていたのです。

旧約聖書の創世記ではその旧暦が用いられていることから、ノアの箱舟が山頂にランディングした7月とは、太陽暦の3月下旬から4月上旬にあたります。すると新年祭が催される7月が太陽暦では9月下旬から10月なので、いずれも7月の出来事でありながら、太陽暦の7月とは異なることになります。その原因は、太陽暦とは別の暦がイスラエルには2つ存在し、出エジプトの時代から旧暦が新しいユダヤ宗教暦にとって変わっているからに他なりません。よって、月日の数字が同じであっても、実際の日付が異なる場合があることに注視する必要があります。

アララト山の雄大な眺め
アララト山の雄大な眺め
大切なことは、暦の相違に関わらず月日の数字が重要であり、特に7月が特別視されていることです。だからこそ異なる暦が用いられても結果として、7月に重要なイベントを定めることができたのです。ノアの箱舟がアララト山にランディングした救いの日は旧暦の7月、春の季節です。それに合わせてイスラエルの大切な宗教儀式となる贖罪日、ヨム・キプルと仮庵祭も同じ7月の行事です。それは秋の季節ありながら、旧暦から宗教暦に変えることにより、同じ7月であっても、春から秋に変えることができたのです。7月という月には、何かしら重要な意味が込められているのではないでしょうか。

祇園祭とイスラエルのカレンダーが一致?

祇園祭のカレンダーとイスラエルの暦における7月に開催される宗教行事を比較すると、どちらも1日を始めとし、10日目を大切な清めの儀式の日としていることがわかります。そして15日も神に祈り求める大切な日としています。これらの共通点から、祇園祭とイスラエルの伝統的な宗教行事は、何かしら繋がっている可能性が見えてきます。しかも7月17日という共通する大切な日が双方に存在するのです。その日は祇園祭のピークとなる山鉾巡行と前祭の日であり、最も人々が集う時です。イスラエルの暦によると、7月17日はノアの家族が大洪水から救われ、アララト山の上に船がランディングした日です。果たしてこれらの一致は偶然と言えるでしょうか。

祇園祭のピーク日が17日と定められた理由は、もしかすると世界のベストセラーと言われている旧約聖書の創世記に記載されているノアの箱舟のストーリーに由来しているかもしれません。創世記の第6章から第8章には、地球が洪水によって滅ぼされる話が記載されています。神の裁きが大洪水という形となって、人類を滅ぼしてしまうのです。ところがノアとその家族だけが神の恵みに預かり、箱舟に乗ることによって洪水の難を逃れ、アララト山の頂上まで漂流し、そこで舟が陸地にランディングして海水が引き、助けられました。その記念すべき山頂への到達の日が、7月17日であり、祇園祭りのピークとなる山鉾巡行と同じ日なのです。祇園祭の背景には、スサノオに纏わる海との関わり合いが散見され、厄払いにより大衆が救われるというテーマが常に存在しました。また、山車の代わりに船を出す御船祭が行われることからしても、祇園祭は海というテーマに深く関わっていることがわかります。それ故、祇園祭とノアの箱舟、しいては洪水が何かしら関連していたと考えても不思議ではないのです。

祇園祭とノアの箱舟の歴史が結び付いている可能性を検証するにあたり、まず、イスラエルの暦について理解を深めることが重要です。イスラエルには複数の暦が存在します。政治暦とも呼ばれるユダヤ暦の新年は、今日用いられている太陽暦の9月を新年として始まります。また、イスラエルには新年が太陽暦の3月から4月に始まる宗教暦と呼ばれる暦もあります。そのはじめの月はアビブの月と呼ばれ、ニサンの月とも呼ばれています。

アララト山
アララト山
では、旧約聖書の創世記に記載されている日付は、どの暦に基づいているのでしょうか。ノアの箱舟がアララト山にランディングした7月17日とは、イスラエルの宗教暦に基づく日付であり、太陽暦の3月を第1の月、アビブ(ニサン)とする暦がベースになっています。それ故、宗教暦の7月とは、西洋暦に準ずると9月から10月に該当します。つまり、祇園祭の7月17日と、ノアの箱舟について記録されている7月17日とは明らかに異なり、箱舟の記述にある7月とは今日の10月を指していたのです。

暦の違いから、たとえ月日の数字が同じであっても、祇園祭のピークとなる7月17日と、ノアの箱舟が山にランディングした日付とは異なることから、両者を結び付けることは一見、難しく思えます。しかしながら、数字を大切にする古代では、数字そのものがシンボリズム的な意味合いをもっていました。よって数字の並びが重要視されたという前提で、7と17という数字が大切な月日の数字として受け止められた可能性に着眼する必要があります。つまり、7月17日であれば、それがイスラエルの宗教歴、政治歴、また、太陽暦やグレゴレオ暦であっても暦は関係なく、7と17日という数字によって繋がっていることが重要であるという考え方もできるのです。

それ故、祇園祭の暦における重要な日が、ノアの箱舟による救いの日、7月17日と数字が一致することから、暦においても祇園祭の背景とノアの箱舟の時代におきた大洪水とがつながっている可能性を見出すことができます。このような祇園祭に紐付けられたノアの箱舟のストーリーがあったからこそ、祇園祭では御船祭だけでなく、神輿水中渡御の祭など、海に纏わる行事が多く催されるのではないでしょうか。

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