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2024/07/17

「祇園」のルーツと祇園精舎 イスラエルの聖地「シオン」が祇園の語源?

「祇園」の由来はインドの「祇園精舎」

八坂神社 西楼門
八坂神社 西楼門
アジア大陸の東方に浮かぶ日本の島々では、いつしか夏の季節になると、さまざまな祭が開催されるようになり、全国各地に広まりました。その祭の中でも例年7月に開催される祇園祭は、大勢の人々から親しまれてきました。

祇園祭は京都の八坂神社が主催する祭です。明治時代以前、八坂神社は祇園社と呼ばれていました。八坂神社は今日の京都鴨川周辺の土地を保有し、そこが祇園と呼ばれていたことから、祭の名称も祇園祭になったとされています。

では、祇園社の「ギオン」という地名は、何に由来しているのでしょうか。その語源は祇園精舎のルーツに遡ると言われています。祇園精舎の名称は、インドにある釈迦が説法をした仏教の寺院、修道施設となる精舎に由来すると一般的には理解されています。釈迦在世の際に布教した場所は5つの精舎として知られ、天竺五精舎(てんじくごしょうじゃ)と呼ばれています。そのひとつが祇園精舎です。

祇園精舎と呼ばれるようになった背景には、釈迦の説法を聞いて帰依したスダッタという名の信心深い有力者と、広大な土地を保有するジェータ太子の存在がありました。そして2人の出会いにより発展するさまざまな出来事から関わりを深めていく中で、釈迦のための寺院建設が実現します。その2人の貢献を祝し、両者の名前を統合した名称が新しい寺院の呼び名となりました。

当時、ジェータ太子は広大な土地を提供したことから、「ジェータの森」と呼ばれるにふさわしい「祇陀樹」という名称で呼ばれていました。信仰深いスダッタについては、貧しい人たちに施しをすることで知られていたことから、いつしか町の人たちはスダッタを「給孤独者」と呼んでいたのです。そして2人の名を合わせることが検討された結果、ジェータの「祇樹」と、スダッタの「給孤独」から「祇樹給孤独」の園、精舎という名称が生まれました。漢訳では「祇樹給孤独園精舎」となります。その後、名称はさらに略され、中の4つの漢字が脱落して「祇園精舎」になったとされています。

「国祇(くにつかみ)の園」なる「祇園」

祇園精舎を金貨で埋めつくすスダッタ
祇園精舎を金貨で埋めつくすスダッタ
「祇樹給孤独園精舎」という正式な名称が略されて「祇園精舎」になったという説明は、「祇園」という漢字表記の由来としては、わかりやすい説明です。しかしながら、2人の貢献者がいるのに、何故ジェータ太子の名称である「祇陀」のみから「祇」だけが抜粋されて、「祇園精舎」と呼ばれるようになったのでしょうか。また、精舎の創設に最も貢献したスダッタの名称である「給孤独者」から一文字も含まれていないのも不思議です。もしかすると、「祇園」の漢字が選別された理由が他にあるかもしれません。

インドの「祇樹給孤独園精舎」に由来する「祇園」という言葉ですが、この「祇樹給孤独園精舎」という長い名称を日本語で理解し、広めていくためには、日本人にもわかりやすい略称を用いる必要があったに違いありません。しかもその略称には、何かしら大切な意味を込めることが求められたと考えられます。ジェータ太子の「祇樹」と有力者スダッタを指す「給孤独」、双方の漢字を組み合わせた略称では、意味のある言葉にまとまりません。

ところが「祇樹給孤独」の文字列の中には、信仰に結び付く大切な字がひとつだけ含まれています。それが頭文字の「祇」です。「ぎ」または「し」、とも読むことができる「祇」は、元来「土地の神」という意味合いがあり、その訓読みは「くにつかみ」です。よって「祇園」とは、「土地の神の園」、つまり「国祇(くにつかみ)の園」と解釈することができます。「祇園」という名称には、地上に出現する在地の神が住まわれる国という意味も込められていたと考えられます。

イスラエルの「シオン」が「祇園」の語源?

「祇園」の語源に関しては、インドに紐づけられた「祇園精舎」の由来に関する説に並び、もうひとつ、興味深いシオン説が囁かれています。イスラエルには、「ぎおん」とほぼ同じ発音の名前を持つ「シオンの山」が存在します。その山は、イスラエルの首都エルサレムに隣接し、今日でも大切な聖地として多くの人から崇められています。「シオン」という名称は、イスラエルの言語であるヘブライ語では、「ツィオン」「ヅィオン」と発音し、「ジオン」「ギオン」とも聞こえることから、それが「祇園」の語源となった可能性があります。

イスラエルのエルサレムに隣接するシオンの山
イスラエルのエルサレムに隣接するシオンの山
「祇園」の「祇」という文字は、中国語で「ズィ」「ジ」と発音します。また、「土地の神」に由来する地を指すことから、「チ」と読まれることもあります。それ故、「祇園」の読みは本来、「ズィオン」「チオン」に近い発音であったと想定されます。すると、ヘブライ語の「シオン」、つまり「ツィオン」「ヅィオン」の発音と、ほぼ同一になることがわかります。祇園祭の暦や伝統には、イスラエルの宗教儀式との類似点が数多く見みられることからしても、何かしら両者が結び付いていると考えても不思議ではありません。

八坂神社が証する「祇園」の真相

祇園祭の「ぎおん」がヘブライ語ルーツの言葉と考えられるように、八坂神社の「やさか」という名称も、ヘブライ語が語源になっていると考えられます。ヘブライ語では「見張る」「期待する」と言う意味をもつשכה(sakah、サカ) という言葉があります。その頭に神を意味する「ヤ」を加えて「ヤサカ」とすると、神が見張る、神が見られる、守られるという意味の言葉になります。八坂神社の名称をヘブライ語で理解できるということは、その由緒にイスラエルの存在が絡んでいる可能性を示唆していることになり、祇園という名称の由来も見えてきます。

八坂神社 本殿
八坂神社 本殿
明治時代以前、八坂神社が祇園社と呼ばれていた理由は、その背景にイスラエルの存在があり、八坂神社の裏山が、エルサレムに隣接するシオンの山に結び付けられて崇められてきたからではないでしょうか。よって、八坂神社は当初、エルサレムに結び付くシオン社、ということで、「祇園社」と呼ばれていたと考えられます。八坂神社の背景にはイスラエルのルーツが絡んでいると想定することにより、「八坂」という名称の意味が明確になるだけでなく、祇園の由来までが見えてくるようです。そしてイスラエルの聖なるシオンの山を崇めるがごとく、八坂神社において「祇園祭」が開催されるようになった所以も推測できるようになります。

祇園祭の「ぎおん」という名称は、インドの「祇樹給孤独園精舎」に由来するだけでなく、イスラエルの聖地である「シオンの山」にも繋がっていたと想定されます。八坂神社が遠い昔から祇園社と呼ばれていた理由は、祖国を失って日本に渡来してきたイスラエルの民が、新しいエルサレムとシオンの山を今日の京都界隈に見出したことに由来しているかもしれません。エルサレムはヘブライ語で「平和の町」を意味することから、新天地における新しい都は平安京と呼ばれ、そこに建立された神社はエルサレム近郊のシオンの山にちなんで「シオンの社」と命名され、漢字では土地の神を意味する祇と園があてられ、祇園と書かれるようになったと推測されます。こうして平安京にて開催される祭はエルサレムへの郷愁から、シオン祭と呼ばれ、いつしか祇園祭として全国にその名が知らしめられることになります。

イザヤ書が明かすシオンへの熱い思い

古代、イスラエルの民は、預言者イザヤに与えられた「東の海の島々」という新天地にて、神を崇めるという言葉を信じて、日本列島まで渡来したと考えられます。その動機付けとなる「島々」の存在については、旧約聖書のイザヤ書に記載されています。そしてイザヤはシオンが復興することも預言していました。イザヤ書の51章と52章には、島々への望み(51章5節)と共に、シオンへの思いがまとめられています。

51章

3節
主はシオンを慰められる
11節
主に贖われた人々は帰って来て喜びの歌をうたいながらシオンに入る
16節
わたしは天を延べ、地の基を据え、シオンよ、あなたはわたしの民、という

52章

1節
力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。
7節
あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる
8節
彼らは目の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを。

こうして「地の果てまで、すべての人々が、わたしたちの神の救いを仰ぐ」ことが、イザヤ書に書かれています。これらの言葉を信じていたからこそ、東の島々、日本の地にて新しいエルサレム、平安京の地が見いだされ、そこで神を迎え入れることを祈り求めつつ、シオン祭が開催されたのです。祇園祭に繋がるイスラエルからの渡来者の思いを、イザヤ書からも理解することができます。

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