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2022/07/25

「祇園」のルーツと祇園精舎 イスラエルの聖地「シオン」が語源か?

「祇園」の由来はインドの「祇園精舎」

八坂神社 西楼門
八坂神社 西楼門

祇園祭は八坂神社が主催する祭であり、明治時代以前、八坂神社は祇園社と呼ばれ、今日の京都鴨川周辺の土地を保有し、そこが祇園と呼ばれていたことから、祭の名称も祇園祭になったとされています。では、祇園社の名称は、何に由来しているのでしょうか。その語源は祇園精舎のルーツに遡ると言われています。

祇園精舎の名前はインドにある釈迦が説法をした仏教の寺院、修道施設である精舎に由来すると一般的には理解されています。釈迦在世の際に布教した場所は5つの精舎として知られ、天竺五精舎(てんじくごしょうじゃ)と呼ばれています。そのひとつが祇園精舎です。

ではどのような背景をもって、祇園精舎と呼ばれるようになったのでしょうか。それは釈迦の説法を聞いて帰依したスダッタという名の信仰深い有力者と、ジェータ太子という広大な土地の保有者の出会いから発展し、最終的に2人が関わりながら、釈迦のための寺院建設が実現します。その2人の貢献故に、両者の名前を統合して新しい寺院が命名されたのです。

広大な土地はジェータ太子が提供したことから、まず、ジェータの森という観点から「祇陀樹」という名称が用いられました。そしてスダッタについては貧しい人たちに施しをすることで知られており、町の人たちからは「給孤独者」と呼ばれていました。そして名称を短くする略称が検討され、ジェータは「祇樹」、スダッタは「給孤独」となり、2人の名前の略を合わせて、「祇樹給孤独」の園となる精舎ということから、漢訳で「祇樹給孤独園精舎」と呼ばれるようになったのです。その名称がさらに略され、中の4つの漢字が除かれて、「祇園精舎」になったとされています。

イスラエル聖地の「シオン」と「祇園」の関係

「祇樹給孤独園精舎」という正式名称が略されて「祇園精舎」になったという説明は、「祇園」という漢字表記の由来としては、わかりやすい説明です。しかしながら、2人の貢献者がいるのに、何故ジェータ太子の「祇」だけを抜粋して「祇園精舎」としたか、その説明ができません。精舎の創設に最も貢献したのは、「給孤独者」スダッタの方だからです。「祇園」の漢字だけが選別された理由が他にあるはずです。

「祇園」の語源に関しては、インドに紐づけられた「祇園精舎」説に並び、もうひとつ、興味深い説が囁かれています。イスラエル聖地の「シオン」説です。祇園祭の暦や伝統の数々は、イスラエルの宗教儀式に結び付いていると考えられるものが多いことから、祇園祭の「ぎおん」という名称の語源も、イスラエル聖地の「シオン」に由来している可能性が高いのではないかと提唱しています。

祇園祭だけでなく、多くの日本の祭で用いられる神輿のデザインは、イスラエルの「契約の箱」に酷似しています。世界中どこを見渡しても、イスラエルの「契約の箱」と同じような形をした神具を大勢で担ぎ、歓声をあげながらお祭りをする民族は、日本しかありません。それは「契約の箱」が遠い昔、日本に持ち運ばれたことの名残かもしれません。初代の渡来者が西アジアから渡来した際、「契約の箱」が船から海に浸かりながら降ろされ、その後、新天地となる日本列島に持ち運ばれて新しい時代が幕を開けることになったと想定するならば、日本において、神輿を担ぐ祭が始まった由縁を容易に理解できます。そのような背景があったからこそ、祇園祭を筆頭に日本各地の祭では、船鉾を祀り、時には神輿を海の中で担ぐようになったのでしょうか。

イスラエル・エルサレム シオンの山
イスラエル・エルサレム シオンの山

その「契約の箱」の原点に存在するイスラエルには、「ぎおん」とほぼ同じ発音の地名を持つ聖地が存在します。それが「シオンの山」です。イスラエルの首都、エルサレムそばの「シオンの山」はイスラエルの首都、エルサレムに隣接し、今日でも大切な聖地として多くの人から崇められています。ヘブライ語で「シオン」は、「ツィオン」「ズィオン」と発音します。その発音は「ギオン」とも聞こえることから、それが「祇園」という名称の語源になった可能性があることに注視する必要があります。

もし、祇園のルーツがインドの「祇樹給孤独園精舎」にあったとするならば、その名称を日本語化する際に、日本人にもわかりやすい略称を決める必要があったはずです。その際、「祇樹給孤独園精舎」の漢字の中からイスラエル聖地の「シオン」という名称に繋がる漢字が特定されたとするならば、「シオン」という発音に近い「祇園」という2文字が厳選された経緯が見えてきます。すると、祇園祭の「ぎおん」という名称は、イスラエルの聖地「シオン」に由来しているだけでなく、その根底にはこれまで考えられてきたように、インドでの名称である「祇樹給孤独園精舎」も絡んでいたことになります。

アジア大陸の東方に浮かぶ日本の島々では、いつしか夏の季節になると、さまざまな祭が開催されるようになり、全国各地に広まりました。その祭の中心は毎年7月であり、「ぎおん祭」もそのうちのひとつとし、大勢の人々から親しまれてきました。「ぎおん」という名称の語源は八坂神社が遠い昔、祇園社と呼ばれていたことからインドの「祇樹給孤独園精舎」に繋がっているだけでなく、その背景にはイスラエルの聖地「シオン」の存在があったと考えられます。

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