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2026/10/06

言葉遊びの視点から「君が代」を解明 ヘブライ語と日本語の二か国語で歌える国歌

言葉遊びが絡む日本古謡

誰もが日本の国歌として歌ってきた「君が代」は、日本語だけでなく、西アジアの言語であるヘブライ語でも、そのままの発音で歌うことができます。しかも、ヘブライ語として読むことで、「君が代」は、日本語とは異なる宗教的な意味が浮かび上がってきます。そこには、ユダヤ民族の信仰告白の思いが込められていたのではないでしょうか。

「君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて、苔のむすまで」をヘブライ語で読むと、以下のような意味に解釈することができます。

立ち上がれ! 神を讃えよ! 神の選民であるシオンの民よ。
喜べ! (神の国を相続する)残された民よ!
人類に救いが訪れ、神の預言は成就した。
全地にあまねく宣べ伝えよ。

日本古謡の「さくらさくら」も「君が代」と同様、ヘブライ語に置き換えて読むことができるように、日本語とヘブライ語、どちらの言葉でも読むことができる和歌は少なくありません。二つの言語で読める和歌が複数存在する背景には、古くから用いられてきた枕詞や、平安時代に発達した折句などの言葉遊びが関係しているのではないかと考えられます。

ヘブライ語の発音に日本語が当てられた和歌

ヘブライ語で読める和歌の存在については、日本語の歌にヘブライ語が当てられたのではなく、むしろ、ヘブライ語の讃歌が先に存在し、その発音に日本語が当てられるようになったという仮説を提示することができます。その理由として、ヘブライ語で読むと、宗教的な意味を持つ文章として解釈でき、テーマも一貫しているだけでなく、文章もわかりやすく整っていることが挙げられます。それに比べ、ヘブライ語で読める和歌を日本語のまま読むと、それらの多くは一見、表現は滑らかなようであっても、言い回しや言葉の選択など、不自然さを感じる箇所が散見されます。

平安時代、和歌をたしなんでいた当時の知識階層の人々にとっては、そうした言い回しや言葉の選択が自然であり、現代の日本語とは違った感覚で言葉が用いられていたのではないか、という議論も考えられます。しかし、ぎこちない言葉の使いまわしが多いことに変わりはありません。それゆえ、ヘブライ語の原文がまず存在し、それに当てて、日本語で意味を持つ言葉の漢字を並べながら文面を創作し、一つの歌の流れを作ったのではないかと考えられるのです。

ヘブライ讃歌を末永く口ずさむために

「君が代」が二か国語で歌えるということは、折句のように二重の意味が歌詞に含まれている可能性を示しています。折句の主旨とは、簡単には公表したくない、本音のメッセージを歌の中に織り込んで隠すことですから、表面上の歌詞よりもむしろ、その根底に潜むメッセージにこそ、本来、作者が意図した大切な思いが込められているのではないでしょうか。

母国の西アジアとはまったく異なる日本列島という新天地では、言語の違いもさることながら、ヘブライ讃歌の歌詞とその意味は、容易く普及できるような内容ではなかったはずです。特に大衆レベルにおいては、古代イスラエル人の間で伝承されてきた聖書の教理に基づく本来の教えなどは、理解し難い内容であったことでしょう。それゆえ、無理に説法をするよりも、もっと自然な形で、信仰に纏わる教理をより多くの人に伝える方法が模索されたのではないでしょうか。そのため、大切なヘブライ讃歌を末永く残し、多くの人に口ずさんでもらえるよう、ヘブライ語の発音に当てた日本語を歌の形にし、誰が読んでも美しい日本語の和歌と思えるほど、遜色のないレベルに仕立て上げたと考えることができます。

枕詞と折句の手法を用いた「君が代」

「君が代」に含まれている二重の意味についての理解を深めるために、まず、枕詞について考えてみましょう。枕詞とは、特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添えたりする和歌の修辞法であり、通常は5音の言葉を用います。「万葉集」にも多用されている枕詞は、古くからから和歌の表現として用いられてきました。「君が代」の出足の言葉には、「きみがよは」と「わがきみは」という2種類の5音が存在するのも、言葉遊びの影響と考えられます。ここではさらに、枕詞という言葉そのものについて、ヘブライ語との音の類似から一つの仮説を提示してみましょう。

枕詞自体、ヘブライ語のמקור(makor、マコー) とכתוב(katuv、カトゥブ) が組み合わさった「マコーカトゥブ」がその語源と考えられます。前者は「源」「ルーツ」を意味し、ユダヤ教の聖なる文献をも指します。後者は「文書」を意味することから、「マコーカトゥブ」の元来の意味は「原文書」「聖なる文献」と捉え、それが多少訛って日本語の「マクラコトバ」になったと考えられます。

ヘブライ語で読む「君が代は」は、「立ち上がって神を誉め称えよ!」という意味を持つと解釈できますが、それをそのまま「君が代は」と読むのではなく、同じような意味をもつ「我が君は」に差し替えるという言葉遊びの手法によって、誰もが理解しやすい内容の歌詞に置き換えた可能性も見えてきます。二重の意味をもつ歌でありながら、時には言い回しを変えるなど、日本語を巧みに操って歌詞を仕立てたとも言えるでしょう。

また、枕詞と同じく古くから用いられてきた折句は、別の意味の言葉を文章や歌に織り込む言葉遊びの一種として発達しました。これらの枕詞と折句という二つの手法を用いて、一見すると日本語でありながら、その意味とは異なる主旨の信仰告白がヘブライ語で巧みに盛り込まれたハイブリッド型の和歌こそ、「君が代」ではないかと考えられます。

「万葉集」や「古今和歌集」の言葉遊び

こうして、ヘブライ語の読みを折句として隠す歌の流れができ上がり、その結果、日本語の歌の背後に、もう一つのまったく別の意味を持つヘブライ語の文脈が存在する和歌が、平安時代に普及し始めたようです。それが、言葉遊びの発端ではないかと推測されます。それは単に頭文字を用いた言葉遊びにとどまらず、和歌全体の響きを折句のようにヘブライ語として読むことで、日本語とは異なる意味が和歌全体に込められるという大胆な試みでもありました。

そのような日本語、ヘブライ語のどちらでも読むことができる和歌は、「万葉集」や「古今和歌集」など、多岐にわたる文献に散見されます。しかし、仮に古代日本社会にヘブライ語を理解する人々が存在していたとしても、その言語の使用は歴史の流れとともに次第に薄れ、その本来の意味も見失われていったのではないでしょうか。

語学に精通していた渡来人

折句を駆使して、和歌に二重の言語を取り入れた歌詞を創作するには、日本語とヘブライ語の発音を自由に使いこなすだけでなく、漢字を主体とした中国語にも通じた、すなわち言語学に精通する立役者が存在したことでしょう。古代の日本社会において、知識人の中には渡来人の家系につながる人々やイスラエル系の学者、中国大陸で高度な教育を受けた文人も少なからず存在していました。当時の知識層は日本語に加えて中国語の勉学に励んでいたと考えられます。その中に、もしイスラエル系の人々やヘブライ語を理解する人物が存在していたとすれば、こうした二重言語の歌を創作する役割を担った可能性もあります。

「君が代」の立役者は空海か?

その立役者の候補として、「君が代」の立案に最も貢献した可能性が高い人物が、弘法大師、空海です。大師は遣唐使として中国に渡り、唐の都長安においてさまざまな思想や文化に触れました。また、語学に秀でた人物として知られており、複数の言語や文献に接する環境に身を置いていました。空海は、ネストリウス派のキリスト教を学んだと伝えられています。それが事実ならば、語学の才能に長けていた大師ゆえ、「旧約聖書」を原語のヘブライ語で読むために相当勉強されたはずです。そして日本語とヘブライ語を自由自在に使いこなしたからこそ、「君が代」のように、実はヘブライ語で書かれた歌であっても、同じ発音を用いて日本語でも読み通せる和歌を考案することができたのではないでしょうか。

もちろん、現時点で空海自身が「君が代」の成立に関与したことを示す直接的な史料があるわけではありません。しかし、空海の語学的才能や、唐で得た幅広い知識を考えると、その可能性を一つの仮説として捉えることはできるでしょう。

二か国語を用いて、それぞれが異なる意味を持つ和歌が創作された可能性が見えてきました。こうして、民族の宗教観に基づく力強い信仰のメッセージがふんだんに盛り込まれた元来のヘブライ讃歌は、何ら遜色のない美しい日本の和歌として、何世紀にもわたり受け継がれることになったのです。その結果、日本人は遠い昔から今に至るまで、その本来の意味を知らぬまま、日本語の歌と思ってヘブライ讃歌を歌い続けてきたのです。それこそ、折句に秘められた究極の目的だったと言えるでしょう。

ヘブライ語と日本語の見事なコラボレーション

「新約聖書」のヨハネ書には、「初めに言葉があり…言葉(ロゴス)は神であった」とあります。聖書を学んだ空海の心の中には、いつしか聖書の言葉のとおり、「言葉」「ロゴス」が神であるという認識が芽生えたのではないでしょうか。そして最終的に「ロゴス」と呼ばれる言葉そのものに神の本質を見出す鍵があることを信ずるに至り、自らの信仰の根幹も「真言」と呼ぶようになったと想定されます。

言葉そのものが大切であることから、空海はいかにして日本という土壌でロゴスの信仰を布教するかを模索する中、日本語そのものを神の民の証のツールとして用いることを考えたのではないでしょうか。つまり、日本人なら誰しも日々語り、使う日本語そのものに、神と信仰に関連するヘブライ語の言葉を、折句のように埋め込むことにしたのです。日本語の内に神の民の言葉、ヘブライ語を内在させることにより、多くの人々がそこに秘められているヘブライ語のメッセージを、たとえその意味を理解できずとも、日本語として口ずさみ、使っているうちに、いつかその本来の意味が紐解けてくることを願ったのです。

その結果、日本語というオブラートに包まれた和歌は、表立った日本語の意味とはまったく違う意味をもつヘブライ語としても読めることに気づかれないまま、多くの人々に口ずさまれ、日本語の和歌として覚えられるようになったと考えられます。こうして、弘法大師を筆頭とするヘブライ語に精通した言語学者の英知により、二つの言語の見事なコラボレーションが古代、実現しました。それは、和歌を口ずさむだけで、神を讃美することに直結するという夢が現実となった証だったのではないでしょうか。

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