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2026/10/21

対馬の宗教文化を考察 アジア大陸からの渡来者による信仰の痕跡

対馬で伝承された亀の神話

対馬に伝承されてきた亀にまつわる神話にも注目です。日本に根付いた民間信仰には、亀をモチーフとする伝承が数多く見られます。また、亀という文字は多くの地名に用いられ、磐座や山の名前などにも使われています。「亀」の発音に類似するקמע(kamea、カメア)というヘブライ語は「お守り」を意味します。それゆえ、亀を守護神の象徴として捉えることで、さまざまな伝承や名称に込められた意味が理解しやすくなります。

神功皇后が新羅に出征した際、皇后を導くはずの「磯良」は、碇を海中に落として見失ってしまいます。しかし、不思議なことに「亀」の助けによって、海底に沈んだ碇を見つけ出し、引き上げることができたのです。それ故「亀」は救い主、守り神の象徴と考えられるようになったのでしょう。

また、対馬上県郡の琴崎には、延喜式にも記載されている胡祿(ころく)神社があります。そこには神功皇后の水先案内をした「磯良」の伝説が残されており、琴崎の海底には竜宮に通じる穴があるとも伝えられています。「磯良」「いそら」の語源はヘブライ語の「イスラエル」にそのルーツがあるかもしれません。今日、「イスラエル」は国家の名称として知られています。イスラエルの前半部分の発音をとり、「イスラ」に「磯良」という漢字を当てたと推測されます。

安曇の意味もヘブライ語で解明

海部の統率者として知られる「磯良」は安曇磯良とも称されています。安曇(あずみ)は、ヘブライ語で「守る」「取り囲む」を意味するאזר(azar、アザー)と、「水」を指すמימ(mayim、マイム)という2つの言葉を組み合わせたものと考えられます。これらを組み合わせるとאזר מי(azharmey、アザメイ、アザミ)となり、「水を守る」、すなわち「海の守護」を意味する言葉であったと考えられます。

「磯良」を祀る対馬の和多都美神社でも、磯良恵比須の御神体を「亀石」とし、そこに三角鳥居を造営して祀っています。これらの物語の背景には、大陸から渡来してきたイスラエルの民の存在があったのではないでしょうか。「東の島々」と呼ばれた新天地にイスラエルの民を導く役割を担った祭司、安曇磯良は、竜宮城(新天地)に向かう道のりを、神(亀)より伝授されたのではないでしょうか。そして、大勢の民を率いて日本列島へと案内した歴史を象徴する物語として、語り継がれてきたように思われます。

対馬の背景に潜む渡来者の船団

対馬の背景には、大陸より「東の島々」と呼ばれる新天地を目指して渡航してきた船団の存在がありました。中には遠く西アジアから船に乗って日本列島まで到来した人々もいたことでしょう。大陸から訪れた渡来者は、航海技術だけでなく、宗教文化や農耕技術など、新しい文明を日本列島にもたらしました。そして、大陸に近い倭国の入口に位置する対馬と壱岐が、まず大きな影響を受けたのです。

古くから伝承されてきた神話や物語に神々が頻繁に登場する背景には、西アジアから渡来した人々が携えてきた宗教文化があるのかもしれません。古代の渡来集団の中には、大陸で培った信仰を持ち続けた人々も少なくなかったと考えられます。紀元前7世紀頃、西アジアから日本列島に渡来してきた人々は、イスラエルの祖国を失って海を渡ってきただけに、東の島々からなる新天地において、神の国を新たに造るという目的意識が自然に芽生えていたのではないでしょうか。それ故、島々の至る所で神を祀ったと考えられます。こうして古代日本の歴史は、大陸から流入した文化とともに動き始めたのです。

画像ギャラリー:対馬 / 和多都美神社

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