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2025/05/26

対馬の宗教文化を考察 アジア大陸からの渡来者による信仰の痕跡

対馬で伝承された亀の神話

対馬にて伝承されてきた亀に纏わる神話にも注目です。日本に土着している民族宗教には亀のモチーフが頻繁に絡んでいます。また、亀という文字は多くの地名に用いられ、磐座や山の名前などにも使われています。「亀」の発音に類似するקמע(kamea、カメア)というヘブライ語は「お守り」を意味します。よって亀を守護神的なシンボルとして捉えることにより、さまざまな伝承や名称の意図がより理解しやすくなります。

神功皇后が新羅出征をした際、皇后を導くはずの「磯良」は碇を海底に見失ってしまいます。しかし不思議なことに「亀」に助けられ、海の底から碇を見つけ出し、取ってくることができたのです。それ故「亀」は救い主、守り神の象徴と考えられるようになったのでしょう。

また、対馬上県郡の琴崎には、延喜式にも記載されている胡祿(ころく)神社があります。そこには神功皇后の水先案内をした「磯良」の伝説とともに、琴崎の海底には竜宮に通じる道への穴があると伝承されています。「磯良」「いそら」の語源はヘブライ語の「イスラエル」にそのルーツがあるかもしれません。今日、「イスラエル」は国家の名称として知られています。そのイスラエルの前半分の発音をとって、「イスラ」を「磯良」と漢字で綴ったと推測されます。

安曇の意味もヘブライ語で解明

海部の統率者として知られる「磯良」は安曇磯良とも称されています。安曇(あずみ)はヘブライ語で、守る、取り囲む、を意味するאזר(azar、アザー)と、水を指すמימ(mayim、マイム)という2つのヘブライ語を合わせてできた言葉と考えられます。するとאזר מי(azharmey、アザメイ、アザミ)となり、「水のガード」「海を守る」、すなわち「海の守護」を意味する言葉であったことがわかります。

「磯良」を祀る対馬の和多都美神社でも、磯良恵比須の御神体を「亀石」とし、そこに三角鳥居を造営して祀っています。これらの物語の背景には、大陸から渡来してきたイスラエルの民の存在がありました。「東の島々」と呼ばれた新天地にイスラエルの民を導く役割を担った祭司、安曇磯良は、竜宮城(新天地)に向かう道のりを、神(亀)より伝授されたのではないでしょうか。そして大勢の民を率先して日本列島に案内するという歴史の流れを象徴するストーリーとして、伝承されてきたように思われます。

渡来者の背景に潜む渡来者の船団

対馬の背景には、大陸より「東の島々」と呼ばれる新天地を目指して渡航してきた船団の存在がありました。中には遠く西アジアから船に乗って日本列島まで到来した人々もいたことでしょう。大陸から訪れた渡来者は航海技術を携えてきただけでなく、宗教文化や農耕作の技術など、新しい文明を列島にもたらします。そして大陸に一番近い倭国の入口に位置する対馬と壱岐がまず、大きな影響を受けたのです。

古くから伝承された神話や物語の中で神々に纏わる話が絶えないのは、西アジアから渡来した人々が携えてきた宗教文化がその背景にあるかもしれません。古代、渡来した集団の中には、大陸にて培った信仰を持ち続けた人々が少なくなかったと想定されます。それらの渡来者は東の島々からなる新天地において、神の国を造るという目的意識がごく自然な民族意識としてあったのではないでしょうか。それ故、島々の至る所で神を祀ったと考えられます。こうして古代、日本の歴史は大陸から流入する文化と共に動き始めます。

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