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国家を救うために語り続けた預言者イザヤ
紀元前8世紀、アッシリア帝国の侵攻により苦戦を強いられていた北イスラエル王国は、存続の危機に瀕していました。そして成す術も無いまま、前722年には首都サマリアが陥落し、北イスラエル王国は滅びてしまうのです。その結果、無数の民が祖国を離れ、国外に脱出することとなりました。
イスラエル王国とユダ王国当時、大勢の迷える北イスラエルの民に対して救いのメッセージを投げかけたのが、預言者イザヤです。国王をはじめ、多くの民から厚い信望を受けていたイザヤは、南ユダ王国に拠点を置きながらも、北イスラエル王国を含む南北双方の民に対して神の言葉を取り次ぎ、国家を救うために尽力しました。しかしながら、北イスラエル王国の民は、神から語られ続けた警告のメッセージに従うことなく悪の道を歩み続けてしまいました。また、神への背信行為が積もり重なっていた南ユダ王国の民も、同様に国家が崩壊する危機に直面していたにも関わらず、イザヤの言葉に耳を傾けることはありませんでした。その結果、イザヤからは迫り寄せる国家の滅亡について、立て続けに忠告のメッセージが発せられ、南北イスラエル王国の滅亡は、もはや時間の問題となったのです。
イザヤ書に記された「海の島々」「聖なる山」
契約の箱国家が崩壊するという一大事の時、神を熱心に信じる一部の民は、イザヤの警告を真摯に受け止めたことでしょう。そしてイザヤから発信される神からのメッセージに耳を傾け、そこで語られた救いに至る道を、必死に探し求めたと考えられます。また、イザヤにとっても廃墟が予告されているエルサレムを後にして、自ら旅立つことが重要視されたに違いありません。何故なら、イスラエルのエルサレム神殿に宝蔵されていた神の存在を象徴する聖櫃とも言われる契約の箱を、国家が消滅する危機から何としても守らなければならなかったからです。そのためには、契約の箱をエルサレム神殿から持ち出して、国外に脱出するしか術はありませんでした。
幸いにも、預言者イザヤには道が示されていました。イザヤ書の24章15節には指針が明記されています。
「それ故、東方にある海の島々で神を崇めよ!神の名、イスラエルの神!」
イザヤのメッセージの中に記されていた新天地とは、明確に東方を指していたのです。そこは、日の出ずる方角、光の中に浮かぶ「海の島々」でした。それ故、イザヤ書では21章以降、「海の島々」についての記述が多くみられます。
しかも、それらの島々には聳え立つ「聖なる山」が存在するとことも示されていました。イスラエルでは、神が高い山に住まわれると古くから信じられてきました。
「よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。」(イザヤ40章9節)
シオンの山という聖書の言葉に記されている通り、神が住まわれる高い山に上ることが、神を信じる者にとっては重要視されたのです。高山の重要性については、その他にもイザヤ書に綴られています。それ故イザヤ自身、東方にある海の島々が新天地であり、その島々に聳え立つ標高の高い山が聖なる場所になると確信していたに違いありません。その教えは、日本に渡来してきた多くの同胞にも伝えられたことでしょう。だからこそ古代、日本列島に渡来した西アジアからの民は、高地に集落を造成しただけでなく、高い山の頂上にて社を築き、そこで神を祀ったと想定されます。
イザヤは日本神話に登場する伊弉諾尊か?
紀元前722年、北イスラエル王国は崩壊し、イザヤの預言から南ユダ王国も壊滅するのは時間の問題でした。そして神の言葉を信じたイザヤは、国家を脱出する計画を速やかに実行して東に浮かぶ海の島々を目指したとするならば、そのイザヤの一行こそ、国生みに携わった神々となった可能性が見えてきます。
預言者イザヤに導かれて集結した民の中には、ユダ王国の王族、及びイザヤの親族、その他、祭司など、多くの要人が含まれていたことでしょう。そして先行して旅立った群れは神宝を搭載した船を用いて、アジア大陸の南岸を経由して東方へと向かったと想定されます。また、船に乗ることのできない無数の民は後を追うように、アジア大陸を東方へと徒歩で横断したのではないでしょうか。
もしこの想定が史実に沿っているとするならば、イザヤこそ日本の神話に登場し、国生みを先導した伊弉諾尊の実物像であった可能性が浮上します。イザヤが南ユダ王国から国外へ脱出した時期を、旧約聖書の歴代誌などの歴史書の記述から紀元前700年前後と推定し、その後、日本へと航海して国生みを先導したとするならば、世代を経て神武天皇が即位した紀元前660年頃の年代と見事に繋がります。
イザヤと伊弉諾尊の名前が、どちらも「イザ」から始まることも注目に値します。「イザナギ」の「ナギ」はヘブライ語で君主を意味することから、伊弉諾とは「君主であるイザ」、「イザ王」を意味する名前と理解することができます。それは正に国家のリーダーとして民を日本の島々まで導いた国家のリーダー、イザヤを指しているのではないでしょうか。
さらに旧約聖書には、イザヤの父の名が「アモツ」と記されています。もしイザヤと伊弉諾尊が同一人物ならば、父親の名前も一緒になるはずです。日本書紀では伊弉諾尊の父は「面足尊」と記載されています。「面足」は「オモダル」「オモタ」と読みます。「アモツ」と「オモタ」の発音は似ていることから、ヘブライ語の名である「アモツ」の当て字として日本書紀では「面足」と記載された可能性があります。すると伊弉諾尊の父とイザヤの父は同一人物であり、イザヤは伊弉諾尊と呼ばれていたことになります。
記紀の内容は史実に基づく神話?
日本書紀や古事記に書かれている神話の中身は、7世紀の宮廷知識人が単に複数の物語を神話化して織り込みながら編纂した作品と考えられがちです。しかし、実際に起きた史実を事細かく記録し、それらのデータを編纂して記紀にまとめあげているという説もあり、その解釈はさまざまです。記紀には今日でもその存在を確認することができる地名や名称が多く含まれています。そしてそれらの場所に関連づけられて神々の名前や人名が登場し、記述が編纂されていることからしても、これらのストーリーを単なる神話やつくり話とみなしてしまうのには無理があります。むしろ、実際に存在した人物に纏わる出来事や言い伝えを元に、時には神話化されたり、比喩を用いた表現などをふんだんに盛り込んで編纂されたと想定することにより、それらの事象の流れが系統立った記述として綴られた背景が見えてくるのではないでしょうか。
それ故、国生みに纏わる伊弉諾尊の物語も、単なる神話として片づけるのではなく、実際に海を渡って日本列島に渡来してきた人々の物語を神話化したものと解釈することも視野に入れるべきでしょう。イザヤが伊弉諾尊として書き記されているという想定は、もはや論外ではありません。むしろイスラエル史に照らし合わせて検証するならば、日本の古代史と辻褄が合うことから、日本史におけるイザヤの存在が現実味を帯びてくるのです。
古代日本の立役者「イザヤ」
八咫烏に導かれる神武天皇預言者イザヤの存在と日本の古代史が繋がっていると考えられる根拠を振り返ってみました。まず、日本書紀には伊弉諾尊の子孫にあたる初代神武天皇神武天皇が大和を平定した際、八咫烏(ヤタガラス)がエシキとオトシキの元に遣わされ「天神の子、汝を召す、イザワ、イザワ」と鳴いたと書いてあります。大言海によるとイザワは「イザヤと同じ」とあり、八咫烏が「イザヤ」と鳴くこと自体、少なくとも神武天皇とイザヤの間には何らかの関係があったと考えられます。その「イザヤ」とは、イスラエルの預言者の名前を指していただけでなく、ヘブライ語で神の救いを意味する言葉としても謳っていたのではないでしょうか。
石灯篭に刻まれた「ダビデの星」また、イザヤの名前は伊雑(いざわ)に酷似していることにも注目です。日本の皇祖である天照大神を祀る伊勢神宮の別宮である「伊雑(いざわ)」の宮」では、イスラエルのシンボルであるダビデの星、六亡星が正式な紋となっています。さらに伊勢神宮の参道沿いに設置されている石灯篭にも、そのダビデの星と、皇室の紋である菊の紋が一緒に彫られています。その伊雑宮の「いざわ」という名称の語源が、ヘブライ語で「神の救い」を意味する「イザヤ」に結び付いていた仮定するならば、伊雑宮と伊勢神宮のいずれにも六芒星を掘った石灯篭が建てられた理由が見えてきます。つまり、八咫烏が「イザヤ」と鳴いた言葉はヘブライ語であり、正に神の救いを預言者イザヤが叫び求めているような祈りの思いが込められていたのです。よって伊雑宮と伊勢神宮の背景には、イスラエルの存在があることがわかります。
日本建国の神である天照大神を祭る伊勢神宮のシンボルとして、イスラエルの紋が古代より採用され、その別宮が預言者イザヤとほぼ同等の発音となる「イザワの宮」と呼ばれ、八咫烏もその名前を叫んでいたことは、「イザヤ」が古代日本史の立役者であったことの裏付けと言えます。
「イザナギ」の正体は預言者「イザヤ」
イザナギ イザナミそこで古事記や日本書紀に登場し、イザヤと頭2文字を共有するイザナギ・イザナミの語源に注目してみました。この2つの名前については、「伎」を男の義、「美」を女の義と解釈して「誘い君」と「誘い姫」の意味とする説や、「イザ」をタガログ語等で第1を意味するISAと考えたうえで、ナキとナミを南方諸島にルーツのあるラキ(男、夫)、ラミ(女、妻)として理解するという説もあります。また、「イザ」を単なる地名として古語のアキ、アミに結び付け「イサ国の男神、女神」と考える説など、解釈はさまざまですが、どれも説得力に欠けています。
伊弉諾尊の「イザナギ」という名前の意味は、実はヘブライ語の「イザヤ」に由来していたと考えられます。預言者「イザヤ」の名前の頭文字「イザ」は「救い」を意味することから、「イザヤ」とはヘブライ語で「神の救い」を意味します。同じく「イザナギ」の頭文字「イザ」も、救いを意味すると考えられます。また、王子、統治者のことをヘブライ語では נגיד (nagid、ナギッド)と呼びます。実際の発音は語尾が脱落するため、「ナギッ」となります。例えば旧約聖書のダニエル書9章25節では、選ばれた王子のことを משיחנגיד (mashiah nagid、メシアッ・ナギッ)と呼び、この名称は救世主を意味する言葉でもあります。
この救いを意味する「イザ」の語尾に、王子、君主を意味する「ナギッ」を付け加えると、実際の発音は「イザャナギッ」となり、それを普通に発音すると、「イザナギ」と聞こえます。その意味はヘブライ語で、「イザヤ王子」「君主イザヤ」となります。つまり「イザャナギッ」「イザナギ」とは「神の救いの君主」「君主イザヤ」を意味する名前と考えられるのです。その名前の意味は正に伊弉諾尊にふさわしいことからしても、伊弉諾の語源はイザヤであり、よって、伊弉諾尊とイザヤは同一人物であった可能性が見えてくるのです。
「イザャナギッ」と極めて類似した発音を持つ「イザナギ」の正体は、預言者イザヤであると仮定することにより、天の神からの命に従って海を渡り、実際に日本列島まで到来した国生みの先駆者である伊弉諾尊が、イスラエルからの渡来者であったことがわかります。イスラエル国家のリーダー的存在であり、預言者として偉大な働きを成し遂げた人物であったからこそ、イザヤには「イザヤ王子」「統治者イザヤ」の意味となる「イザヤ・ナギッ」「伊弉諾尊」となる名前が与えられ、島々を生んだ神として、史書においては神格化して記載されたのではないでしょうか。
イザヤ一行の渡来を神話化した記紀の記述
古事記には伊弉諾尊と伊弉冉尊、2尊が高天原より天下り、日本の島々を生み出した話、すなわち日本列島を見出した経緯が書かれています。これは正にイスラエルを脱出してアジア大陸を横断してきたイザヤとその一行が、祭司や海洋豪族を伴うレビ族と共に海を渡り、日本へと東漸した後、神から約束された島々を見出すために、日本列島周辺をくまなく航海する有様を描いているようです。例えば、黒潮の流れに乗って琉球から淡路島まで到達し、その後、多くの島々を船で巡りながら、「国土をよく整えて作り固めていく」という過程は神話化され、後世に伝えられるようになりました。
このように、記紀には新天地を求めたイスラエルの民が、故郷の西アジアの地を離れて東の島々に天下り、大和の国を建国し、その後の発展に至るまでのさまざまな出来事が記録されています。それらの記述や数々の名称の背景にはイスラエルの存在が見え隠れしています。それらの内容をわかりやすく後世に伝えるためにも、さまざまな編纂がなされ、内容によっては神話化されるようになった推測されます。
素晴らしいと思います。恐らくは、その通りかと思います。有り難う御座います。
日本国を神の国として蘇らせたいだすね!バチカンは世界遺産登録されていますように、日本は規模がずうっと大きいのですが、国全体を世界遺産として登録したいですね!
イザヤはマナセ王にのこぎりで切断されたといわれていますが日本にどうしてこれるのですか
イザヤの後世については明確な記録がなく、いくつもの噂話が残されている程度です。下記の事例もそのうちのひとつです。文書は断片しかなく、原文存在しませんが、その内容はイザヤを慕っていたヒゼキヤ王から訴えられ、息子のマナセ王により処刑されたというような内容です。しかしながらヒゼキヤ王が重病にかかった際に、イザヤの祈りによって存命期間が15年も伸ばされたヒゼキヤ王が、信頼していたイザヤを恨むわけもなく、また、ヒゼキヤ王が癒された時期を同じくして、イザヤが歴史から消え去っていることから、殉教したのではなく、密かに国家を去ったと考えるのが妥当でしょう。イザヤが不在になった国家では、霊性が極端に落ち込み、ヒゼキヤ王さえ不信仰に陥ってしまうことになります。その結果、子供のマナセは、父親が歴史に残る宗教改革を行ったにもかかわらず、イスラエルの歴史で最も邪悪な王として名を残すことになるのです。そのような経緯があっことから、マナセ王はイザヤに対して反感をもっており、そのる嫉妬心や憎しみを、殉教のようなメッセージで流布したと想定されます。