渡来者の流入から発展する小国家
邪馬台国の時代に存在した小国家の数々は、九州や四国を中心として西日本に広がりました。伊都国も、そのうちのひとつに数えられています。それらの国々は、大陸より継続して訪れた渡来者のうち、政治経済力を兼ね備えていた豪族らによって起こされたと推測されます。特に邪馬台国へ向かうルートに沿った平野部においては、大陸からの旅人が頻繁に行き来しただけでなく、渡来者の流入と共に列島内に土着する民が急増していた時代です。そして経済や文化的な交流が列島内で続く最中、徐々に小国家が発展しました。その結果が「魏志倭人伝」に記載されている末盧国、伊都国、奴国の姿です。
小国家が発展した背景には、大陸より渡来したさまざまな民族の存在がありました。その中には、大陸の豪族や王系一族の出自を有する部族も存在し、それらの民が列島の随所に集落を築いた後、小国家に至るまで発展を遂げたと考えられます。しかしながら、これら小国家の規模は小さく、政治や経済力に限らず、国家の防備についても力不足であったことは否めません。よって小さいながらも国家体制を維持することは困難を極めていたと想定されます。そして時代の流れとともに、いつしか女王国の統治下に治まるのです。
卑弥呼が女王として登場した背景
古代社会における主要都市であった伊都国は女王国の北に位置し、一大率が管轄して周辺諸国を取り締まっただけでなく、代々の王は「女王国に統属する」と「魏志倭人伝」に記載されています。女王国における統属とは何を意味していたのでしょうか。それは国家の宗教的メッカとして台頭してきた邪馬台国が女王の手腕によって統治され、周辺の国々を取り仕切ったことを指しています。その女王こそ、神の御告げを聞き、その言葉を人々に伝えるシャーマンの役目を果たすことができた女預言者、卑弥呼でした。
突出した霊能力を卑弥呼が一躍権力を握った背景には、大陸の内乱に絡む大勢の渡来者の存在と、倭国内の混乱があったようです。後漢書によると、「霊帝の治世(147-189年)、倭国はたいへん混乱し、たがい戦い、何年もの間(倭国)の主なきありさまであった」と記載されています。その背景には、秦の崩壊後の前1世紀直後から、日本列島に移民し続けた膨大な数に上る渡来者の存在がありました。その数は最終的には100万から150万人とも言われています。
無数の渡来者が大陸から押し寄せ、九州から本州、四国、全国各地へと新しい移住先を探し求めて移動し続け、集落を各地に築いたことにより、倭国内は大混乱をきたすことになります。それまで穏やかに過ごしていた倭国の民は戸惑い、国々の統治が大混乱に陥ったことは想像に難くありません。そして内乱が各地で起こり始め、いつしか内戦にまで発展し、多くの血が流されることになります。
その混乱した倭国の状況の最中、これらの小国家に強い影響力を及ぼし、取りまとめて一大国家を形成するためには、相応の政治力だけでなく、一般庶民までを巻き込んで先導できるほどの強いカリスマ性と宗教観を持つ国家のリーダーが不可欠でした。そこに突如として名乗りをあげたのが卑弥呼です。女王に君臨した卑弥呼は不思議なる霊力をもって、国々の民に対し平穏な生活に戻ることを天上からの命として告げました。そして瞬く間に内乱を収めることに成功し、これらの国々を統治する聖地の中心に立つ女王かつ指導者として、自他ともに認められる存在になったのです。その聖地が、邪馬台国であり、その女王、卑弥呼の有様は、史書の記述からも垣間見ることができます。
邪馬台国の政治宗教観
倭国には邪馬台国の周辺に30余りの小国家が存在する最中、霊能力を持つ卑弥呼の統治により、それら国々の王は卑弥呼の政治宗教観に基づく支配下に置かれていました。つまり邪馬台国とも呼ばれた女王国が、周辺の小国家までも支配下に治めたのです。卑弥呼は山上から周辺の国々に対して、宗教的な拘束力を持つメッセージを送り続け、国々を取りまとめることができました。
邪馬台国では神が祀られ、数々の律法の掟が発布され、宗教的儀式が日常行われました。そして神宝等も大切に保管されて参拝の対象となり、多くの人々に崇められたことでしょう。その有様を伝え聞き、倭国の実情を垣間見た中国大陸の識者や魏志倭人伝の作者らは、卑弥呼を霊能力のある女王と称し、その国家を女王国、そして邪馬台国と呼びました。
その結果、いつしか山上国家である邪馬台国は神の聖地となるべく、急速に発展を遂げます。こうして邪馬台国という新天地における卑弥呼の権限は絶大なものとなり、古代社会において、一大国家が樹立したのです。それが、日本列島における最初の統治国家、邪馬台国の始まりです。
卑弥呼の姿を史書から垣間見る
卑弥呼は「かなりの年かさでありながら未婚で、鬼神道を用いて人々を妖惑」し、その支配力をもって大衆の信望を得て、王位に就くことになりました。鬼神道とは鬼や神を対象とする修行体系を中心とした信仰です。そして1,000人もの侍女を持ちながらも、「その姿を見た者は稀である」と書かれたほど、一般社会に顔を出すことはなかったのです。そして、「一人の男子が飲食を供給し、辞言(ことば)を伝えている」と書かれているとおり、山上に籠りながらも、極めて厳格な規律をもって、国家を統治したのが卑弥呼の姿です。
これらの背景を踏まえると、女王としての卑弥呼の働きは国家の王というよりもむしろ、祭司、預言者的リーダーに近いものであり、霊的な指導者として国々を導き、勅令を与えることが主な働きであったと想定されます。卑弥呼は巫女、霊媒者と同一視されただけでなく、シャーマニズム的な呪術とも言える鬼道をもって衆を惑わして先導し、国家のリーダーとして活躍したのです。それ故、海外では女王と認知されるようになったと考えられます。しかし現実的には単なる女王ではなく、鬼神道を用いて国家を霊的に導く最高権力者であったのです。神に通じ、権力を持って民を統治し、畏れられた指導者、それが卑弥呼の姿であり、邪馬台国の実態を読み解く鍵となります。