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2022/08/13

日置と日向に繋がる美々津の立磐神社

霧島神宮古宮の鳥居
霧島神宮古宮の鳥居
神武天皇をはじめ、建国に貢献された人々は、古代、アジア大陸より海を渡り、南西諸島から北上してきたと考えられます。最初に琉球で休息を兼ねて一大拠点を構築し、その後、南西諸島の流れに沿って航海を続け、九州にまず到達します。最初に着岸したのが九州の南岸であり、今日の鹿児島にあたります。古代の民は太陽、天体を見ながら方角を定め海を航海しました。よって、その着岸地は「日置」と呼ばれることとなり、約束の地の最西端ですから、太陽が置かれる、沈む地となるのです。よって九州の鹿児島、西部の南岸界隈は、古代から「日置」と呼ばれる集落が発展したのでしょう。

その九州鹿児島の日置から夏至の日の出方向を見ますと、高千穂峰が聳え立ちます。よって建国の父らは古代、その山を目指して登りつめ、その頂上で神を祀ったに違いありません。だからこそ、高千穂峰は今日でも霊山として名高く、多くの参拝者を集めているのでしょう。

高千穂峯山頂 天の逆鉾
高千穂峯山頂 天の逆鉾
また、日置と高千穂峰を結ぶ延長線の九州東海岸も重要です。何故なら古代の民は常に、太陽と天体を観測しながら旅を続けたからです。よって、九州の山を徒歩で越える民と、海岸沿いに海を船で航海する民は、九州の南西、日置から出発しても、そこから遠い東海岸でも落ち合うことができたのです。その九州の東方を目指す地域一帯は、「ひむかい」と呼ばれることになります。旅の原点は最先端の日置です。それ故、東方の最終地点は日置に相対する場所として、「ひむかい」「日向」と呼ばれるようになったと考えられます。

その後、日置から内陸に向けて住みやすい集落を拡大する拠点を探した結果、日置の吹上より東方に、今日の日置市中心部となる伊集院と呼ばれる地域に到達します。その近くの山は「八重山」と名付けられ、ヘブライ語で「神」を意味する言葉を用いることにより、新しい国家の始まりとして覚えられたことでしょう。また、「伊集」と命名されたのは、そこにイスラエルからの民が結集して古代拠点を作ったという証の名残かもしれません。

その伊集院から夏至の日の出方向を見ると、九州東岸の日向、その南方に辿り付きます。その日の出方向に近い、およそ34度の方角には今日の美々津市があり、近くに立磐神社が建立されました。日置に相対する日向の集落においても神を祀ることは当然です。

集落の名が美々津(みみつ)と呼ばれたのは、ヘブライ語に語源があると考えられます。まず、「つ」はヘブライ語で「岩」、「神」を意味します。つまり「岩なる神」という言葉のルールが「つ」「津」なのです。よって、国内で「津」という漢字がつく地名は古代、何らかの形で神への信仰に関わっていた可能性が高いと想定されます。

また、「ミム」「ミミ」はヘブライ語で「水」「水っぽい」を意味します。つまり「美々津」「みみつ」とは、「水の神」しいては「海の神」を意味する言葉だったのです。つまりイスラエルの民をアジア大陸から海を渡らせ、航海を続けて日本列島の九州まで無事にに辿り着かせてくださった神の恵みを祝し、「水の神」と命名したことが、「美々津」という地名の背景にあるのではないでしょうか。

霧島神宮古宮で祀る三ツ石
霧島神宮古宮で祀る三ツ石
その美々津市の立磐神社で執り行われる祭では、「ア、ラ、チョーイサー」という掛け声が叫ばれます。一見、日本語では不可解なこの言葉は、ヘブライ語にルーツがあるようです。まず、「アラ」ですが、これは単なる掛け声の可能性もありますが、もしかすると「神」を意味する「アラ」という言葉が、そのルーツに潜んでいるかもしれません。古代イスラエルの神にとって「神」を語る際に、その呼び名は多数ありました。中でも西アジアの地域では、古くから「神」を「アラ」と呼んでいたことが知られています。イスラム教に限らず、初代のキリスト者の中でも地域によっては神を「アラ」と呼んでいたことが知られています。よって、「アラ」を「神」と理解しても不思議ではありません。

鹿児島県日置市吹上町の船木神社
鹿児島県日置市吹上町の船木神社
「チョーイサー」という言葉は、全国各地の祭での掛け声で使われている「チョーサジャー」に類似する響きがあります。ヘブライ語で訳すならば、「チョー」の意味は「叫ぼう!」を意味するצועק(tsoek、チョエ) が語源と考えられます。また、「神」御自身を意味することばがצור(tsur、ツ、ツォ) ですからそれが多少訛って「チョー」になったのかもしれません。その後に続く「イサ-」は、イエスキリストの意味でしょう。今日でも特にイスラム圏において、イエスキリストは「イサ」と呼ばれており、古代からその呼び名は世界各地で引き継がれています。

すると「チョーイサー」の意味は、「叫ぼう、イエスキリスト!」または、「神、イエス」、「岩なる神、イエスキリスト」となります。いずれの解釈も、日置から始まり、日向で終わる九州の開拓に自然に結びつくことから、信ぴょう性があるのではないでしょうか。

一見、不可解な祭の掛け声、囃子詞であっても、ヘブライ語を通じて読み取ることにより、古代の民が思いを込めて祈り叫んだ言葉の意味が、響き渡ってくるようです。

中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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コメント
  1. Ogi より:

    初めまして。突然すみません。私の故郷は宮崎県日向市美々津と言う所です。そこに立岩神社と言って神武天皇が東征のためお船出をした場所があります。その神社で毎年11月にお神輿お担ぐお祭りがあるのですが、そのお神輿を担いでいる人の掛け声がどうしても日本語には聞こえません。「あ、ら、ちぇーいさー」と言い続けながら町中を歩き続け、途中で川の中でお神輿を濡らさぬよう神様の水遊びと言われる事をするのです。最後にお神輿を別の社に納める際には掛け声が「お、さめじゃ」と変わります(もしかしたらこれは納めじゃのことかもしれませんが。)ただこの最初の掛け声は地域の資料や、年寄に聞いても誰も知りません。ヘブライ語のように思えるのですがどう思いますか?