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2023/03/25

「八重桜」の意味とルーツ 「さくら」のルーツから浮かび上がる「神隠し」

「さくら」の語源とは

四国の道 竹ヶ島の桜
四国の道 竹ヶ島の桜
春になると桜の季節が訪れます。桜の花は日本の象徴でもあり、例年3月下旬から4月上旬にかけて、全国各地でお花見の会が催されます。桜の花弁が舞う光景を、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。また、多くの歌の中に桜の花は、歌詞としても登場します。それほどまでに庶民から親しまれている桜の木ですが、その「さくら」という名称の語源については、あまり知られていないようです。

言語学者の中では、「咲く」という言葉に「ら」という接尾語が足されて「さくら」となり、「咲いたような見事な花」の意味を持つようになったという説を支持する方が多いようです。労働する意味の「作労」が訛ったものとする説もあります。また、サクヤ姫、サキハヤ(咲光映)、サクル(裂)などさまざまな文献で見られる、「さくら」に似たような言葉が転化したとも言われています。そして春になると訪れる稲、「さ」の神が憑依する座(くら)であることから、「さくら」になったという説もあります。

いずれにせよ「桜」という文字は、8世紀に編纂された日本書紀には既に使われ始めており、帝の饗宴に関連する言葉として用いられるようになりました。今日、「さくら」という言葉は一般的に、バラ科の落葉高木である桜の木を指して用いられています。

また、「さくら」という言葉は、露店などで仲間であることを隠して客のふりをしながら安価な商品を高く買い、周囲の人々を騙して高く買わせるという意味においても使われます。時には、演劇などで客のふりをして、拍手して応援するようなしぐさをする人を指すこともあります。しかしながら、なぜ、偽ることを記すために「さくら」という文字が使われるようになったのか、その背景や言葉の由来は、これまで解明できないままになっています。

桜の花弁と「八重桜」

八重桜
八重桜
「桜」は、美しく花咲く木の代表格です。花弁が多く、ボリュームいっぱいに花咲く桜の木は、季節が訪れると花びらが何枚にも重なり見事に開花することから、「八重」という言葉も使われるようになったと言われています。つまり桜の花びらは、8枚の花びらが重っていると思えるほど、無数の花びらが桜の木全体を覆うのです。そして花びらが八重にまで重なる美しい花を咲かせる木だからこそ、いつしか「八重」に「桜」を合わせて「八重桜」という言葉が生まれたというのが、一般的な説明です。

桜の花弁は、ごく一般的には5枚です。ところが花弁が6枚以上ある桜もあり、中には何十枚の花弁もある桜も存在します。そこで、それらの桜の木、全体をまとめて、花弁が6枚以上になるものを、「八重桜」と言います。よって、桜の中には花弁が100枚以上になるものもありますが、それらも「八重桜」と呼ばれています。多くの花弁が無数に重なっていることを、「八重桜」は指しています。

「八重桜」と呼ばれた歴史的背景

辞典などでは、「八重桜」は万葉集などで詠まれている日本の代表的な桜「ヤマザクラ」が変化したものと書かれています。また、「八重咲く」という表現もごく一般的に使われているように、「八重咲く桜」が省略して八重桜となったという説もあります。いつ頃から八重咲くという言葉が使われたか定かではありません。しかしながら12世紀後半に藤原定家が「新古今和歌集」にて「八重さく」及び「八重桜」を愛用していることから、「いろは歌」の折句を文献として捉えるならば、これが「八重桜」の使用例として最古のものである可能性があります。

また、「八重桜」という言葉には、美しい花びらが重なることによって何も見えなくなり、背景さえ全く見えず、すべてが隠されてしまう、というニュアンスも含まれているかもしれません。桜の花は、1年に一度季節が訪れると開花するものの、数週間も経たぬうちに風に吹かれて宙に舞いながら散ってしまい、なくなってしまうからです。それ故、「八重桜」という言葉には、花弁によって隠され、消えてしまうようなニュアンスも込められている可能性があります。

何故七重、九重でなく「八重」?


ごく普通の桜は5弁の花を開きますが、花弁数の数にかかわらず、桜は何故、「八重桜」と呼ばれるようになったのでしょうか。何枚の花弁であっても、桜の花弁が景色一帯を埋めつくすことから、「八重」という一つの言葉にまとめて花弁の重なりを表現するようになったと考えても不思議ではありません。しかし七重、九重ザクラでも良いはずです。また、「八重咲き」と言うことはあっても、「七重咲き」「九重咲き」とは言いません。桜の花びらが幾枚も重なっても、それらはすべて「八重」と言うようになった背景を振り返ってみました。

一説によると、「八」という字は中国史書の「後漢書」において、「八方の果て」という言葉が使われているように、「八方の果て」まで花弁が埋め尽くされることを表現するために、「八」を使うようになったと想定しています。しかしながら、それでは「ヤエ」と発音されるようになった理由を説明することができません。最もわかりやすい説明は、「八重」「ヤエ」の語源を、旧約聖書に登場するイスラエルの神、「ヤーウェー」に由来するものと解釈することです。

古語で読む「八重」は「ヤーヘ」

「いにしへの奈良の都の八重桜」を歌う伊勢大輔
「いにしへの奈良の都の八重桜」
伊勢大輔
「八重」の語源が「ヤーウェー」という「神」を意味するヘブライ語であると考えられる理由は、「八重」「ヤエ」の発音そのものにあります。「八重」という言葉は元来、日本の古語では「ヤーヘ」と発音されていたことに注目です。源氏物語では、いくつもに生い茂るつる草のような葎(むぐら)を、「やへーむぐら」「八重葎」と記しています。本来の「八重」の読みは、「ヤエ」ではなく、「ヤーへ」もしくは「ヤヘー」であったことがわかります。

古語における「八重」の読み、「ヤーヘ」とは正に、ヘブライの神、「ヤーウェー」に酷似しています。それは、ヘブライ語で「神」という子音だけから成る言葉、יהוה(yhwh) に、任意の母音を足した発音に限りなく近い言葉です。沖縄本島の近くに浮かぶ伊平屋島の北西部には「ヤヘー岩」という磐座が存在します。その岩が「ヤヘー」と呼ばれるようになったのも、神聖なる岩を意味していたからかもしれません。

「八重桜」の「サクラ」もヘブライ語か?

八重桜の「八重」の語源が、ヘブライ語で神を意味する「ヤーへ」であるとするならば、続く「さくら」という言葉も同様に、ヘブライ語で理解することができるはずです。「さくら」をヘブライ語で綴ると、שקר(sheker、シェケラ) となります。この言葉の意味は、「隠す」「偽る」であり、日本語の「さくら」も、同様の意味で用いられることがあります。例えば、商人が客を呼び寄せる時に使う仲間を「さくら」と呼びます。その言葉の語源には、正体を隠して偽るという意味のヘブライ語が存在していたのではないでしょうか。

「やえ」はヘブライ語で神を指す言葉であり、「さくら」もヘブライ語で読むことができることから、「八重桜」には、神に関わる大切なメッセージが込められているようなのです。そして桜の花びらが重なるというモチーフは、神、または神聖なものが隠れて消え去ることを比喩的に表現するための手法であったと推測されます。「八重桜」の語源をヘブライ語の「ヤーヘシェケラ」と想定することにより、日本語の「さくら」という言葉に秘められていた元来の言葉の意味が浮かびあがってきます。

「八重桜」と「神隠し」から生まれた「さくらさくら」


日本語では「八重」と「桜」合わせた「八重桜」という言葉は、単に桜の花弁が重なり合い、あたり一帯を埋め尽くして何も見えなくなる光景を指しています。しかしながら「八重桜」の語源をヘブライ語の「ヤーヘシェケラ」と想定すると、「神隠し」すなわち神が消えて隠されてしまうという意味も込められていたことになります。その「さくら」という言葉を巧みに使って書き上げられた古代の歌が存在します。それが「さくらさくら」です。

日本人なら誰もが知っている「さくらさくら」という古い歌は、元来、ヘブライ語で書かれていたのです。しかも最初から最後まで一貫してヘブライ語で読むことができるだけでなく、歌詞のテーマが「神隠し」に結び付いていたのです。「八重桜」の語源がヘブライ語であると理解することにより、「さくらさくら」の歌詞だけでなく、その歌に込められた作者の思いについても解き明かされることになります。

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