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2023/06/03

「さくらさくら」はヘブライ語の歌? 2か国語で理解できる歌の真相に迫る

「さくらさくら」の不可解な歌詞


著名な日本古謡のひとつに、誰もが知っている「さくら」の歌があります。今日では「さくらさくら」とも呼ばれています。この歌は作者が不明なだけでなく、その歌詞の中には「弥生の空」とか「イザヤ」など、およそ聞き慣れない表現が出てきます。子どもたちは誰でも学校教育で「さくら」を口ずさみながら、時には大きな声で、「いざや、いざや」と歌っています。日本語では意味のない言葉ですが、闘いに出陣する際に大声で叫ぶ「いざ」という掛け声にも聞こえます。

それとなしに日本語として口ずさんでいた「いざや」ですが、実は旧約聖書に登場するイスラエルの預言者として著名な「イザヤ」という名前と全く同じ発音をもつ言葉です。さらに興味深いことは、「イザヤ」という名前に込められている意味です。旧約聖書はヘブライ語で書かれており、「イザヤ」は「神の救い」を意味します。もしかすると長年にわたり「さくらさくら」を歌いながら、大勢の日本人は知らぬ間に「神の救い」を連呼してきたのかもしれません。

「さくらさくら」で歌う「いざや」という言葉がヘブライ語で重要な意味をもつとするならば、歌のタイトルだけでなく、歌詞全体もヘブライ語で書かれている可能性が見えてきます。歌詞に含まれている文字を一つずつ検証することにより、それまで何げなく歌っていた歌詞全体からヘブライ語が浮かび上がってくるだけでなく、その中に込められている神への熱い思いが伝わってくるかもしれません。

日本古謡「さくらさくら」

さくら さくら
弥生の空は
見渡す限り
霞か雲か
にほひぞ出ずる
いざや いざや
見に行かん

「さくらさくら」の解読方法

「さくら」をヘブライ語で解読するためには、日本語の発音に類似したヘブライ語を探し出して、文脈に当てはめていくことが不可欠です。ヘブライ語は「あいうえお」に類似した母音と子音の組み合わせから成り立ち、日本語と大変良く似ている側面があります。古代ヘブライ語は表記上、母音の記載を省略しており、子音だけで流暢に読まれていました。それでも暗黙のうちに、母音の存在は理解されていたのです。

よって、「さくら」をヘブライ語で読む際は、まず該当する子音を特定し、母音をつけることによって発音を確認するだけでなく、その言葉が存在し、意味を成すかを検証します。時には類似した発音を持つ子音の組み合わせが複数存在し、それぞれが違った意味をもつ場合があることから、文脈の意味に一番合致する文字を選んでいきます。例えば「さくら」の子音はSKRです。そして最初の文字を「サ」と発音するためには、子音の「S」に、母音の「a」を付け加えて「サ」と読みます。同様に「K」と「R」に相応する母音との組み合わせを見定め、その発音と類似したヘブライ語を探し出し、言葉の意味を特定するのです。

このような検証方法で解読を進めていくと、「さくら」の歌詞が最初から最後まで一貫して、ヘブライ語で記載されていることがわかってきました。早速、詳細を検証してみましょう。

「さくら」の語源

「さくら」という言葉は、ピンク色の花弁が美しく咲き飾る桜の木の名称だけでなく、露店などで仲間であることを隠して客のふりをしながら周囲を偽る人を指す言葉としても使われます。歴史を振り返ると、8世紀に編纂された日本書紀では、「桜」という文字が帝の饗宴に関連する言葉として既に使われていました。

ごく一般的に「さくら」の語源は「咲いたような見事な花」が「咲く」となり、語尾に「ら」を足したとも言われています。また、さまざまな文献で見られる「サクヤ姫」のような類似した発音をもつ名称が転化したという説もあります。

「さくら」の語源はおそらく、旧約聖書の原語であるヘブライ語と考えられます。ヘブライ語では、「偽る」「隠す」ことを שקר(sheker、シェケラ)と言い、その発音は「さくら」の発音とほぼ同じに聞こえます。すると、当て字で偽客と書かれる「さくら」の語源も理解できるようになります。つまり「さくら」という言葉を「真相を隠して偽る」、という意味の外来語と想定し、その言葉が単に木の名称としても用いられ、「さくら」になったと推測するのです。

また、ヘブライ語による「さくら」のもうひとつの解釈として、「見渡す」「調べる」を意味するסקר(seker、セケラ)が語源である可能性もあります。この「セケラ」の派生語としてסקרה(sik’rah、シクラ)という言葉も存在し、「朱色に染まる」「朱色の塗料」の意味となります。よって桜の花弁が一面を埋め尽くす光景になぞらえて、周囲が朱色に染まるかのごとく花弁が一杯になった光景を「シクラ」と呼ぶようになったとも考えられるのです。

「さくら」の語源を検討するにあたり、「さくら」の意味が歌全体のテーマに一貫して結び付くことが重要です。例えば、ヘブライ語で「さくら」は「隠す」「偽る」、続く「やよい」は後述するとおり「神」を意味する言葉ですから、「さくらやよい」とは「隠す神」、すなわち「神隠し」と理解することができます。また、「さくら」を「調べよ」「見渡せ」という意味のヘブライ語で解釈するならば、「やよい」が神を意味することから、神について知ることや、神の働きを見渡すことについて、歌詞全体が言及していると考えることができます。さらにはその派生語として、「朱に染まれ」と理解することも可能です。

いずれの解釈も、「さくら」には神がかり的なニュアンスが込められていることに違いありませんが、その言葉の意味を「偽る」「隠す」として捉えると、よりつじつまが合うようです。何故なら、花弁が多く重なる桜の光景を指す「八重桜」という一般的に知られている言葉があり、「八重」はヘブライ語で神を意味することから、「やよいさくら」と同様に、どちらも「神隠し」を意味する言葉となるからです。つまり「さくらさくら」が「八重桜」を歌っていると仮定することが自然の解釈となり、それらの背景には何かしら神を隠して偽る、という共通のモチーフが存在することになります。

「弥生」の意味はヘブライ語で「神」

日本国語大辞典によると、「やよい」という言葉は元来、「いやおい」(彌生)という読みが変化したものと記載されています。その語源は、クサキイヤオヒツキ(草木彌生月)の略となる「彌生」であり、「いやおひ」とも読まれていました。「いやおひ」は、奥義抄、和爾雅、日本釈名など数多くの古文書に見られ、草木がいよいよ花葉を生じる意味で使われています。

何故、「いやおひ」という言葉が使われるようになったのか、その語源については定説がありません。しかしながら、この「いやおひ」という言葉は、ヘブライ語で綴ると神聖なる「神」を意味する4文字が含まれていることから、その語源は元来ヘブライ語であったと考えられます。

「いやおひ」は、ヘブライ語で ייהוהי(いやおひ)と綴ります。ヘブライ語は右から左へ読みますが、「いやおひ」のはじめと終わりは、ヘブライ語のアルファベット「ヨッド」「י」で括られています。この「ヨッド」1文字だけでも「神」を意味し、「ヤ」とも読みます。それら「ヨッド」で括られた中間の4文字が、「ヤーウェー」の神を意味するיהוה です。つまり「いやおひ」とは、ヘブライ語で神を象徴する言葉そのものだったのです。

また、「いやおひ」の綴りの最初には「י」の子音が重なっています。「ヨッド」「ヤ」が重なることを日本語では「八重」と書き、「ヤエ」と発音します。この言葉こそ、ヘブライ語における神聖なる神の名です。「ヨッド」「ヤ」を重ねて神を意味する「ヤエ」と読むことにより、神との関わりが強調されることになります。

つまり「いやおひ」の文字列は、ヘブライ語で「神」を意味する「י」で括られ、「ヤ」を重ねて「八重」の神を象徴しているだけでなく、括りの中には神聖なる「ヤ―ウェー」「神」という言葉そのものが含められていたのです。よって、「弥生」の語源は、ヘブライ語の「神」「ヤ―ウェー」であると考えられるのです。

神の闘いを象徴する「弥生の空」

「弥生」の後に続く「の・そらは」も、ヘブライ語で読むことができます。「の」という文字は、おそらくヘブライ語で「嘆き」「願い」を意味するנה(na、ナ)と考えられます。続く「そら」ですが、これは「苦闘する」「克服する」を意味するשרה(sarah、サラ)が語源になっていると想定されます。その後に接続詞の「そして」を意味する「ו」が続きます。前述したとおり、「やよい」はヘブライ語で神を意味することから、「やよいのそら」とは「神が苦闘する」「神が克服する」と理解できます。

では、「神」は何と闘っていたのでしょうか。なぜ、その闘いの真相が、謎めいた「神隠し」というモチーフの中で、八重桜の花弁の下に隠れて見えなくなってしまったのでしょうか。何を隠す必要があったのでしょうか。その疑問は、次の「死」という言葉によって解き明かされることになります。

「みわたすかぎり」は死して生きる!

「みわたすかぎり」は2つのヘブライ語から成り立っています。まず「みわたす」は3つの子音から構成されている言葉であり、ヘブライ語でמות(Mut、ムット)と書きます。これは「死」を意味する言葉です。その「ムット」を語源としたמיותש(miwatash、ミワタシュ)という言葉に注目です。「疲れ果てた」という意味となり、正に「死」に直面することを表す言葉です。

続く「かぎり」は「死」とは逆に、生きることについて語っています。「かぎり」は、「だから」「かくして」を意味するכך(kakh、カク)と、「万歳」「長生き」を意味するיחי(ikhi、イキ)という2つのヘブライ語から成り立っている言葉と考えられます。合わせるとכך יחי(kakhikhi、カキヒ)となり、実際にヘブライ語で発音すると、「かぎり」とほぼ同じに聞こえます。

「みわたすかぎり」は、ヘブライ語で読むと、全く異なる意味をもっていたことがわかります。誰かが疲れ果てて死に直面するも、何故かしら生きており、しかも長生きをすることが語られていたのです。つまり一旦は死んでも蘇り、いつまでも生きているのです。すなわち永遠に生きるという不思議を物語っているようです。

預言の成就を語る「かすみか雲か」

これまでの歌詞の流れを振り返ると、神が存在し、その方が闘い、死を克服して長生きをする、というテーマが見えてきます。死に打ち勝ち、生きるということは、死んでも蘇ったことを意味しているのかもしれません。その不思議な出来事の流れを、「かすみかくもか」という言葉を用いて歌い続けています。

まず、「かすみ」とはヘブライ語で預言を示すקסםkesem、ケセム)と考えられます。この言葉は聖書時代においては、預言を意味していました。その「ケセム」という言葉が多少訛って「かすみ」と発音されるようになったと考えられます。そして「かすみ」を預言と解釈することにより、次の「くもか」という言葉の理解に自然と繋がることがわかります。

「くもか」の「くも」は、ヘブライ語で「立ち上がる」を意味するקוםkum、クム)と解釈できます。この言葉は、「預言が成就する」という意味に解釈することもできます。よって、「かすみか」に上手くつながる表現となります。また、「かすみか」「くもか」双方の語尾となる「か」は、「だから」「そう」を意味する言葉です。「かすみかくもか」の意味が明らかになってきました。この言葉には、「そして預言が成就した」という信仰の思いが込められていたのです。

「においぞいずる」は計画の完結

「かすみかくもか」までの歌詞をヘブライ語で読むと、「神は死なれたが蘇って生きており、預言が成就した」という意味の文面でまとめられていたことがわかります。その真相がいつの間にか歴史のパンドラに閉じ込められてしまうことを「さくら」、すなわち「偽り?」「隠せ!」という言葉で表現しているようです。そして「においぞいずる」というに言葉により、「さくら」に秘められたメッセージが完結します。

「におひぞいずる」は、3つのヘブライ語によって構成されています。まず、「素晴らしい」を意味するנאה(naeh、なえ)という言葉に注目です。それを語源とする言葉の中には、「正確な」を意味するניאוהיniohi、におひ)という言葉もあり、歌詞と同等の発音です。続くזו(zo、ゾ)は、「これ」「この」を意味する言葉です。次の「いずる」はヘブライ語で「創造される」「制作する」を意味するיצר(yitzer、いぜる)を語源としたיצור(yitzur、いずる)です。

これら3つの言葉が相まってできた言葉が「におひぞいずる」です。それは直訳すると、「この素晴らしい創造」となり、とても良いことが実現したことを言い表しています。

祭司イザヤの召命と証

「さくらさくら」の歌は最後に、なぜか旧約聖書に登場する著名な預言者であるイザヤの名前が連呼されて、まとめられています。繰り返し歌われる「いざや、いざや」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。それとも単に、預言者イザヤの名前を呼んでいるのでしょうか。「いざや」をヘブライ語で読むと、その言葉には信仰に繋がる大切なメッセ-ジが込められていることがわかります。

「イザヤ」はヘブライ語では、ישעיהוyeshayahu、イシャヤフ)と綴り、「神の救い」を意味します。よって、この名前を連呼するということは、「神の救い」を切に祈り求めることと同じ意味があり、その後には「招集する」「任命する」「呼び起こす」を意味するמינה(mina、みな)と、「祭司として仕える」יכהן(ikihen、いきへん) という言葉が続きます。2つの言葉を合わせると、その発音は「みないきへん」となります。それが多少訛って「みにいかん」になったのではないでしょうか。

「みにいかん」の意味が見えてきました。「神の救い」を意味する「イザヤ」の名前を連呼することにより、人々は知らぬ間に神について語っていただけでなく、「みにいかん」と続くことにより、救いのメッセージを伝える祭司らが招集され、人々に伝えることの重要性が語られていたと考えられます。これは祈りの言葉でもあり、「みにいかん」の歌詞には、信仰による神の救いについての証のメッセージが、ヘブライ語で歌われる歌詞の中に込められていたのです。

「さくらさくら」の奥儀とは

「さくらさくら」の歌詞をヘブライ語で解読した結果、同等の発音を持つヘブライ語には、日本語と全く異なる意味が含まれていることがわかりました。「さくらさくら」の歌は、神が死んで蘇ったことを証する歌であり、ヘブライ語による歌詞の意味は、信仰の思いに満ちていたのです。

「(真相は)隠される!偽りか!神は耐え忍び、死なれたが、生きておられる。預言が成就した。素晴らしいことが創造された。神の救い!神の救い!祭司として仕える民を呼び起こせ!」

古代の神事と信仰に関わる伝道の奥儀が秘められた「さくらさくら」の歌だからこそ、その内容は表立って語られることはなく、内密にしておく必要があったのではないでしょうか。そのため「さくらさくら」の歌は、「隠せ」「隠せ」という言葉で始まっています。そして表立っては日本語の歌として大衆に広く普及していきますが、実は知らぬうちに、「神の救い」について誰もが口ずさみ、歌うようになることが目論まれていたのです。

שקר שקר ייהוהי נה שרה ו מיותש כך יחי 隠せ、偽りか、神は耐え忍び、死なれたが、生きておられる! קסם כך קום כך ניאוהי זו יצר 預言は成就し、素晴らしいことが創造された ישעיה ישעיה מינה יכהן 神の救い、神の救いを呼び起こし、祭司として仕えよ!

さくら (SKR) שקר 偽る、隠す
やよい (YYH) ייהוהי
そらは (SRH) שרה 苦闘する、克服する
みわたす (MWT) מות מיותש 死ぬ、疲れ果てる
かぎり (KKI) כך יחי 長生きする、万歳
かすみ (KSM) קסם 預言
くもか (KMK) קום כך 成就する、立ち上がる
にほひ (NOH) נאה 素晴らしい
いずる (YZR) יצר 創造する
いざや (YSY) ישעיה 神の救い
みに (MNH) מינה 招集、任命する
いかん (YKN) יכהן 祭司として仕える
コメント
  1. 太田 智明 より:

    先生のち密な考察いいとおもいます、ただ空海はたぶん景教を知っているでしょうが、
    いろは歌の中にあるイエスの死の意味が分かっていたかは疑問です。さくら歌のほうが
    おもしろいですね。

  2. 太田 智明 より:

    イザヤ書をもつと読んでみようとおいます。彼がイスラエルの民たちを東の国に導いたのでしょうか。徳島にある磐境神明神社こそまぎれもない証拠でしょう、今日でもあそこを守っている人たちがあのあたりに住んでいるのはすごいですね。

  3. 山下幸憲 より:

    神戸市垂水区在住のものですけど、興味あって色々と見ているうちにここに来ました。戊辰戦争。明治維新と廃仏毀釈。ユダヤとの絡み。大東亜戦争の裏。国際金融資本家。瀬織津姫命と天照大御神。伊勢神宮と廣田神社。空海と六甲山、淡路、四国。
    天皇家とユダヤ教。他にも。かごめかごめ、さくらさくら、君が代。何か全てが関連して繋がっているような。そして、それが今、結果を見るような、そんな気がするんですけどね。

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