「いろは歌」の中に秘められている五七五七七調の折句には、創作者である空海師の情熱的なメッセージが秘められています。
伊千与良也、八重咲け逸話
咎無くて 死す御子入れり 巌となて
今回はこの短歌に含まれている「八重咲け(く)」という言葉を研究してみましょう。八重桜という言葉がありますが、万葉集などで詠まれている日本の代表的な桜「ヤマザクラ」が変化したものと辞典などに書かれています。しかし「八重咲く」という表現もごく一般的に良く使われているように、「八重咲く桜」が省略して八重桜となったと考えることもできます。いつ頃から八重咲くという言葉が使われたか定かではありませんが、十二世紀後半に藤原定家が「新古今和歌集」にて「八重さく」及び「八重桜」を愛用している事実から、「いろは歌」の折句を文献として捉えるならこれが最古のものである可能性があります。
八重はその言葉の通り八つに重なるということであり、桜の花びらが幾枚も重なって景色を埋めつくすという意味があります。しかし七重、九重ザクラでも良いはずなのに何故「ヤエ」なのでしょう?例えば「八」という字が後漢書において「八方の果て」という意味で使われているように、八方の果てまで花びらで埋め尽くされることを表現する為に「八」を使ったと考えることができます。また旧約聖書(ヘブライ語)に登場するイスラエルの神、「ヤーウェー」が訛ったものと解釈することもできます。その根拠として
1.「八重」は元来日本ではヤヘーと発音されており、ヘブライ語の神という言葉yhwhに母音を足した発音に限りなく近い言葉であった、そして2.「ヤエ」を神と解釈することにより、その前後の折句のメッセージを一貫した意味で容易に理解できる、という二点が挙げられます。短歌に折句を通して二重の意味を持たせ、しかも外来語を通じて別世界と遭遇する醍醐味を「いろは歌」は与えてくれるのです。
次に「サクラ」の語源を見てみましょう。多くの言語学者は「咲く」に「ら」という接尾語を足して「サクラ」となり、「咲いたような見事な花」の意味を持つようになったと言います。その他、サクヤ姫、サキハヤ(咲光映)、サクル(裂)など様々な文献で見られる、似たような言葉が転化したとも言われています。いずれにせよ「桜」という文字は八世紀に編纂された日本書記には既に登場し、帝の饗宴に関連して使われているのです。そこで前述した八重と桜が何故「いろは歌」の折句において「八重咲け」という言葉となったかを考えてみましょう。
「さくら」という言葉には、露店などで仲間であることを隠して客のふりをしながら周囲を偽るという意味もありますが、その由来はわかっていません。また八重という言葉にも花びらが重なって背景が隠されるというニュアンスがあるので、八重桜という言葉のルーツには「花びらで隠す」という意味がありそうです。ヘブライ語では「隠す」という言葉はシェケラ (שקר) と発音します。シェケラは発音してみればわかる通り「サクラ」の発音とほぼ同じに聞こえるだけでなく、原語では「隠す」、「偽る」という意味があるので、商人が客を呼び寄せる時に使う仲間をサクラという所以がここにあるように思えます。そしてシェケラの意味を「桜」という言葉にかけて、ヤエの神について語ろうとしたのが弘法大師ではないでしょうか!
表面的には美しい日本語に聞こえる「八重咲く桜」には、実はヘブライ語で「神隠し」という意味があるのです。「いろは歌」の中に神のメッセージを隠し納め、それを永く後世に残すため、誰もが口ずさむ字母歌として創作された「いろは歌」こそ、日本が誇る偉大な宗教家、空海による驚異の作品なのです。
- いろは歌
- 色は匂へど
散りぬるを
我が世誰ぞ
常ならむ
有為の奥山
今日越えて
浅き夢見じ
酔ひもせず - 折句歌(空海)
- 一千与良弥
八重咲け逸話
咎無くて
死す御子入れり
巌となて - 日本古謡「さくら」
- 桜 さくら
弥生の空は
見渡す限り
霞か雲か
にほひぞ出ずる
いざや いざや
見に行かん