1. ホーム
  2. 三種の神器と神宝の起源
2022/06/10

アジア大陸に由来する神宝の真相 イザヤ書の預言からひも解く古代の証とは

日本にはさまざまな神宝が存在します。中でも三種の神器と呼ばれる八咫鏡、草薙剣、勾玉はあまりにも有名です。それら以外にも、古代からの伝承に事欠かない多くの神宝があることが知られています。果してこれらの神宝は、どこにルーツがあるのでしょうか。どこから持ち込まれたのでしょうか。

日本人の祖先は遠い昔、アジア大陸より海を渡って日本列島に渡来してきたと考えられています。従来の説によると、その多くは北方から樺太を経由して南下してきたと推定されましたが、昨今では南方から北上してきたという説が有力視されています。DNAの解析を駆使し、さまざまな遺跡の発掘調査から出土する遺物や稲作文化のルーツなどの研究を重ねた結果、日本列島に居住した古代の民の多くは、アジア大陸側の南方から北上してきたことがわかってきたのです。

古代渡来者の多くがアジア大陸より船に乗って日本に渡来したという前提で考えるならば、古くから存在する神宝も、同じアジア大陸より持ち込まれたと想定することが自然です。アジア大陸でも特に西アジアでは、古代より鋳物や鉱物を用いた造作の文化が発展し、高度な技術を駆使した作品が無数に作られました。よって、アジア大陸の東に浮かぶ日本列島は、その大陸文化を吸収する位置付けにあったのです。それ故、神宝を含む多くの装飾品は、大陸からの渡来者により持ち込まれたと考えられます。果して誰が、いつ、神宝を携えて、日本列島まで到来したのでしょうか。

神宝に纏わる日本古代史と西アジアの接点

日本の皇歴、すなわち天皇家の歴史は、系図を辿って検証すると、紀元前7世紀まで遡ります。もし、それが事実とするならば、初代天皇一族こそ、大陸から船に乗って海を渡ってきた人々の群れと想定されます。日本書紀や古事記の記述からも、神代の神々と言われる古代の渡来者は、明らかに海上を行き来している民であることがわかります。その日本古代史と西アジアには、単なる偶然の一致とは思えない不思議な歴史上の接点があります。

ちょうど同時期、西アジアでは北イスラエル王国が崩壊し、南ユダ王国も侵略され始め、国家が滅亡する危機に直面していました。実際、紀元前722年には北イスラエル王国が、そして紀元前586年には南ユダ王国が滅亡します。その南ユダ王国の都がエルサレムであり、そこには歴史に名声を轟かせたエルサレム神殿がソロモン王によって造営されただけでなく、聖櫃ともよばれた契約の箱や、さまざまな神宝が多数、神殿内に宝蔵されていたのです。ところが、それら神宝の多くは突然、歴史から姿を消してしまい、行方が分からなくなりました。

それら神宝の行方について、数々のヒントが実は、旧約聖書の列王記や歴代誌などの歴史書と、イザヤ書と言われる預言書に記載されていたのです。

旧約聖書の記述から探る神宝の行方

イスラエルの歴史を聖書から辿ると、北イスラエル王国が滅びてから間もない紀元前7世紀から6世紀初頭にかけて、イザヤという名前で知られる著名な預言者が、突然、南ユダ王国のエルサレムから姿を消しています。当時、ヘゼキヤ王の側近アドバイザーとして、常に王室と共に歩みながら、多くの助言をヘゼキヤ王に与えていたイザヤが、どこかへ去ってしまったのです。しかもイザヤ自身が綴ったとされる、将来に対するさまざまな預言が綴られたイザヤ書とも呼ばれる預言書には、イザヤ自身が仕えていた南ユダ王国の滅びについての預言がちりばめられていたのです。

自らの国が滅びることを悟ったイザヤは、果たしてどういう行動に出たのでしょうか。ヘゼキヤ王が病床に伏せた際、王と共に神に祈ったイザヤはその後、どこに行ったのでしょうか? 神殿には、比類なき大切な契約の箱が安置され、聖なる神の存在を象徴する神宝だけに、エルサレム神殿に仕えていたイザヤにとって、そこに保管されていた契約の箱と神宝は、神の臨在を象徴するものであり、何よりも大切だったはずです。たとえ国家が滅びようとも、契約の箱は滅びることがないことを、イザヤは確信していたのではないでしょうか。

国家が滅びる預言を神から授けられていただけに、イザヤがその大切な神宝を置き去りにしてエルサレム神殿を去るとは考えられないでしょう。神宝を侵略者の暴挙から守るため、契約の箱と、それに纏わる大切な神宝を、国家が崩壊する前に事前にイスラエル神殿から持ち出したことは想像に難くありません。そして船を用いて東方の島々に向かったと推測される根拠を、旧約聖書に記載された複数の記述から理解することができます。

神宝に纏わる封じられた証とは

旧約聖書のイザヤ書8章16節には、イザヤがエルサレム神殿から神宝を持ち出すことを証していると思われる記述が潜んでいます。聖書には言葉遣いや多少の解釈の相違に応じてさまざまな翻訳が存在し、今日では複数の日本語翻訳が出回っています。その内、主な翻訳文から本節を抜粋しました。そこにはこう書かれています。

「證詞をつかね律法をわが弟子のうちに封べし」(文語訳)
「わたしは、あかしを一つにまとめ、教をわが弟子たちのうちに封じておこう。」(口語訳)
「このあかしをたばねよ。このおしえを私の弟子たちの心の内に封ぜよ。」(新改訳)
「わたしは弟子たちと共に証の書を守り、教えを封じておこう」(新共同訳)
「証を包み、私の弟子達の中で律法の周りに封印せよ!」(新世界訳)

この句には2つのテーマが含まれています。まずは、神の「あかし」であり、その証をまとめて束ねるということです。もう一つはイザヤの弟子達の内に、その「あかし」を封じ込めることです。ごく一般的に神の「あかし」とは、イザヤが神から与えられたとされる預言であると理解されています。しかしながら、イザヤによって大胆に語られ、周囲の人々にも知れ渡っている預言を何故、弟子達は心の内に封じる必要があったのでしょうか。南ユダ王国の王をはじめ、側近の者たちも既にその言葉を耳にしていると考えられることから、神の預言を真摯に受け止めたイザヤの弟子らが、それらの言葉を封じるということは、それなりの理由があったはずです。いったい何が封じられたのでしょうか。

この封じられた「あかし」の真相を正しく理解するため、イザヤ書の8章から9章前半に記載されている文脈を振り返ってみました。すると8章の前半では、「速やかな略奪」という神から与えられた子供の名前に象徴されるとおり、もうじきダマスコが陥落し、北イスラエル王国の首都サマリアも占領下におかれるという預言について記載されています。

しかしながら、たとえ国家が崩壊する最中であっても、神を信じ、「神が共におられる」という一大テーマのもと、他国との同盟なども考えずに神だけを頼れば、諸国の民がいかに連合しても、微塵に砕くことができることを、神は約束されたのです。イザヤ書の8章後半から9章にかけては、神からの救いの道が語られています。そこにはイザヤに委ねられた子供が、イスラエルの奇跡となることが約束されます。そして暗闇の中でも人々が光を見出し、ダビデ王の子孫である一人の男の子が指導者として王座に着き、国家を治めるようになることも預言されています。イスラエルの不信仰にも関わらず、神は救いの道を残し、例え国家が滅びたとしても、神が約束されたダビデ王系の流れは途切れることがないことを示されたのです。

ところが現実問題として、イスラエルの民は北イスラエル王国が滅びてしまっただけでなく、南ユダ王国の民も預言者の忠告に耳を傾けることなく、多くの国民が神の教えを拒絶してしまったのです。その結果、エルサレムと呼ばれた神聖なる場所に住まわれるはずの神が、ふたたびそこに訪れることはなかったのです。そのため、何らかの大切なメッセージが封じられることになりました。その秘められたメッセージを解釈する鍵がイザヤ書8章16節であり、大切なイスラエル神宝の行方を察する手がかりとなります。

封印された預言の意味をひも解く

イザヤ書8章16節の一般的な解釈によると、「あかし」という言葉はイザヤ書の預言全体を指し、それを弟子達が封じるというものでした。しかしながら、イザヤ書に記載されている話の流れを振り返ると、預言書そのものを封じてしまうということは、不自然であることがわかります。国家の崩壊が公に予告され、国王をはじめ、周囲の識者に対して警告が発せられ、それを回避するための救いの道まで示されているのにも関わらず、いまさら預言の「あかし」を弟子たちが封印することに意味があるのでしょうか。イザヤの預言は既に公に語られた言葉であり、もはや封印はできなかったはずです。たとえ一部の預言を封印するにしても、預言のどの部分かが不透明です。また、8章から9章にかけての裁きや救いに関する部分か、律法に関する事項か、もしくは神が約束された幼子によるダビデ王系の継承についての預言だったとしても、それらは時がたてばわかることなので、封印する意味がありません。

預言を封印するということは、なにか大切なメッセージがあり、まだ、その内容を公にできないため、隠してしまうことに他なりません。その言葉が語られずして、後世に言葉の解釈と実現、実行を委ねられるということです。よってイザヤ8章16節で封印されたメッセージとは、極めて重要な内容であったに違いありません。そしてすぐには語ることができない未来像であり、限られた者にしか伝えることのできない救いの道に関わる展開と極意であることから、時を経て後世に託すことになったと考えられます。

この封印に関する謎は、イザヤ書8章16節に記載されている言葉の意味を、原語のへブライ語で正しく解釈することにより、解き明かしていくことができます。キーワードは「あかし」を意味するתעודה(teudah、テウダ)というヘブライ語です。この言葉は英語ではtestimony、certificateと訳され、証、証書の意味です。よって日本語でも「テウダ」は「証」と訳されています。その言葉の響きから、8章16節の「証」はイザヤ書の預言全体を指していると考えられるようになりました。

ところが「テウダ」というヘブライ語の背景には、別のニュアンスも潜んでいたのです。日本語の直訳では「証」と訳すのが普通であっても、その言葉の由来を調べていくと、言葉そのもののルーツにイスラエルの歴史につながる深い意味が込められています。それ故、「証」という言葉の背景を理解し、どのような状況下で使われる言葉であったかを知ることにより、イザヤ書8章16節の主旨とメッセージの流れが、もっとわかりやすくなります。

「あかし」を意味するヘブライ語のתעודה(teudah、テウダ)という言葉のルート語は、עדות(edut、エドゥ)というヘブライ語です。この言葉は、旧約聖書の複数個所に見出され、神宝に関わる証を意味する言葉として3とおりに分けて用いられています。まず、モーセの十戒が印された「2枚の石板」を、直訳では「証の2枚板」という言葉で綴っています。つまり「証」は聖なる神宝に直結する石板を象徴する意味で用いられています。出エジプト31章18節、32章15節、34章29節には、同じ言葉が繰り返し使われています。いずれも「証の2枚板」、שני לוחוח העדוה(sheni lookhot edut、シェネィ・ルホッ・エドゥ) という3つのヘブライ語を組み合わせた言葉です。

次に「証」「テウダ」は、イスラエルの神宝である「契約の箱」という名称そのものにも使われていることに注目です。出エジプト25章22節、26章33,34節や民数記4章5節、ヨシュア記4章16節などに「証の箱」、すなわち「契約の箱」としてארון העדות(aron edut、アロン・エドゥ) という言葉が使われています。「証」とは神宝の中でも最も重要な「契約の箱」を指す言葉だったのです。

「証」の用い方の3つ目は、「証の幕屋」です。幕屋とは前述の通り、神の契約の箱、「証の箱」が安置される移動式の礼拝所のことです。ここでも、「証」という言葉が「契約の箱」に関連して使われていることがわかります。出エジプト38章21節、民数記1章50、53節、10章11節には、「幕屋の証」を意味するמשכן העדות(mishkan edut、ミシュカン・エドゥ)が用いられています。

つまり、「あかし」と訳されているヘブライ語の「テウダ」は、聖書が書かれた時代では、明らかに聖なる神宝に関わる言葉として使われたのです。具体的には、モーゼの十戒が彫られた2枚の石の板、それらを収納する契約の箱、そして契約の箱を安置する幕屋という、3種類の神の聖所に関連する言葉に沿って用いられていたようです。それ故、イザヤ書8章に書かれている「証」という言葉は、イザヤが語った「預言の証」と解釈するよりも、むしろ、「神宝の証」と理解した方が、より原語が持つ言葉のニュアンスに忠実な解釈であると言えます。

「神宝のあかしを束ねる」ことの意味

イザヤ書8章16節では、この大切な「証」をどのようにせよ、と記載しているのでしょうか。ここで使われている動詞はヘブライ語のצור(tsur、ツ-) です。この言葉の意味は従来、英語ではBind Up、すなわち「束ねる」「まとめる」と解されています。またconfine、bind、besiegeとも訳され、日本語では「束ねる」だけでなく、「閉じ込める」「包する」と解されることもあります。続く「証」という言葉はイザヤ書の預言を意味することを前提に考えると、それらの証の言葉を「束ねて」「まとめる」、という表現でも何ら遜色はないようです。よってתעודה צור (tsoor teudah、ツー・テウダ) から始まる16節は、ごく一般的に「証をまとめる」というような日本語で翻訳されてきました。前述した聖書の訳を参照してもわかるとおり、文語訳では、ひとつにくくることを意味する「つかね」を用いて「證詞をつかね」、口語訳では「あかしを一つにまとめ」、また新改訳では「あかしをたばねよ」と訳されています。

また、新共同訳では「証の書を守り」、新世界訳では「証を包み」とし、ただ単に束ねてまとめるだけでなく、それらを包んで保護する意味に解釈している訳もあります。何故なら、「ツ―」という言葉には、まとめるという意味の他に、英語のConfine、Secure、「しっかり閉める」「厳重に保管する」という意味も含まれているからです。その凡例が申命記14章25節に記され、「ツ-」は「(金を)包む」意味で使われています。また、エゼキエル5章3節でも同様に「(毛を着物の裾に)包む」という使い方が見られます。どちらも「包む」と訳すのが一般的であり、それは大事なものを包んで保管する、という意味に捉えることができます。

ところが「証」というヘブライ語のルーツには、前述したとおり神宝の存在が見え隠れしていることから、「イザヤ預言の証」と解釈するよりも、むしろ「神宝の証」と考えたほうが、イザヤ書の趣旨と文脈の流れに沿って考えやすくなります。その決め手となるのが、「まとめる」「束ねる」を意味する「ツ―」というヘブライ語です。ヘブライ語では「神」の名前は直接呼ぶことが禁じられているため、さまざまな呼び名が使われてきました。実は、そのうちのひとつであり、とても大切な呼び名が「ツー」なのです。動詞では「まとめる」「束ねる」を意味する「ツー」は、名詞になると、「岩」、「神」を意味します。古代から今日に至るまで、イスラエル人にとって神とは「岩なる神」であり、「岩」「ツ―」は神聖な「神」をも意味する言葉だったのです。

すると「預言書の証をまとめる」、と考えられていたイザヤ書8章16節の言葉が、もしかすると「神の証」、「神の神宝」、そして「神の契約の箱」を示唆した言葉であった可能性が見えてくるのです。

イザヤが目論んだ神宝の持ち出しと保管

イザヤ書8章16節の最初に書かれている「ツ・テウダ」というヘブライ語の意味を今一度、振り返ってみましょう。「ツー」は、名詞では「岩」「神」を意味しますが、動詞では「まとめる」「束ねる」だけでなく、「保管する」「保護する」「包む」という意味もあります。すると「ツ・テウダ」の意味は、「証を包む」「証の言葉を守る」となります。また、「証」という言葉のルーツには神宝の存在が見え隠れしていることから、神を意味する「ツ」と合わせて考えると、「神の証」、すなわち「神宝」のニュアンスも込められていることになります。「ツ」はそもそも「神」を指す言葉であることから、「ツ・テウダ」とは神に関する証、すなわちイザヤの預言か、神宝、もしくは両方を指しているとも考えられます。それ故、イザヤ書8章16節は、文字どおりに「証をまとめる」という解釈だけでなく、「神宝を保管する」、「神の証を守る」と理解することもできるのです。イザヤ書の趣旨と文脈の流れを振り返ると、後者の解釈のほうがよりわかりやすく、前後のつじつまも合います。

また、「ツ・テウダ」の後には「弟子らはモーセの律法を封じなさい!」という言葉が続くことにも注目です。なぜ、モーセの律法を封じる必要があったのでしょうか。それは何を意味しているのでしょうか。イスラエルの民が重要視してきたモーセの律法を封じることが明言されていることから、その前文と併せて考えるならば、「証をまとめて律法を封印せよ」とするよりも、「神宝を保管し、律法を封印せよ」という解釈の方が、イザヤ書のメッセージに寄り添うように理解できます。すなわち、神の証である神宝をまず大切に保管し、そのうえでモーセの律法を封印することが語られたと考えられます。神の証である神宝とは「契約の箱」であり、その中にはモーセの十戒が刻まれた2枚の石板が入っていたのです。よって、神宝なる契約の箱を国が滅びる前に持ち出して、どこか違う場所で大切に保管するということは、律法が書かれたモーセの石板が略奪されることなく、契約の箱の中に封印されることを意味します。そのことを、イザヤは書き記したと考えられます。

イザヤ書の記述から察するに、イスラエルの民は不信仰ゆえに聖所に住まわれる神を拒絶したため、もはやイスラエル神殿には神が不在であったことがわかります。その結果、国家は滅亡する一途をたどっていたのです。それ故、神の存在の象徴である契約の箱や神宝を何とか保護し、略奪から守らなければなりませんでした。国家が滅びゆく最中、モーセの時代以来、何世紀にもわたり大切に保管されてきた契約の箱と神宝を、これから破壊されると予言された神殿に、イスラエルの預言者、祭司、レビ人が置き去りにすることなど、到底考えられません。大切な神宝だからこそ、契約の箱を神殿から持ち出して厳重に保護する必要があったのです。

その神宝の遷移を先導したのがイザヤであったと考えられます。そしてその実行を手伝った弟子たちや宗教儀式を司るレビ人達は、その移設の事実については「封じる」、すなわち、口を閉ざすことが定められたのではないでしょうか。それ故、イスラエルの神宝がどこに移設されたかは歴史の謎となり、今日までその場所は秘められてきたのです。

このように解釈すると、イザヤ書8章から9章全体の流れがとてもわかりやすくなります。イザヤ書に書かれた聖書のメッセージは、以下の内容にまとめられています。 「北イスラエル王国の崩壊を目の当たりにし、神のみ頼るはずの南ユダ王国の民であったが、同じく背信行為に走ってしまった。よって国家は滅びることとなる。それ故、モーセの石板が入っている契約の箱を守るため、それを箱内に封印し、厳重に保管できる場所に移設することとなる。その後、イスラエルの奇跡となる約束の子が現れることから、彼に望みを託せよ。ダビデ王朝は復活し、民は大いなる光を東方に見出す。」これが、イザヤ書が発した預言メッセージの内容だったのです。このイザヤの預言により励ましを受けたイザヤの弟子達は、イスラエル王国の復活に希望を抱きながら、神が刻まれたとされる2枚の石板が入っている契約の箱を封印し、エルサレム神殿より持ち出しました。その後、契約の箱がどこに運ばれたかは、歴史の謎となり、イザヤの弟子達の間でも完全に封印されたのです。

イザヤの導きにより、エルサレム神殿から神宝が持ち運ばれたことを、聖書はイザヤ書をとおして暗黙のうちに証していたのです。そして神宝の大切さを信じていたイザヤは、国家が滅亡する直前、神宝なる契約の箱を密に神殿から持ち出したのではないでしょうか。そしてモーゼの石板、律法は契約の箱の中に封印されたのです。その勇気あるイザヤの行動により、神が約束されたダビデの王座は、東の島々にある新天地においても継承されることとなりました。神の王国は、とこしえまで絶えることがないのです。

コメント
  1. 井上 より:

    以前よりホームページ拝見させていただいております。特にヘブライ語と日本語の表を参考にさせていただきながら、歴史の謎解きをしております。歴史に関する語句がたくさん増えてくるとうれしいです。
    ひとつお尋ねさせていただきます。もし 神宝が日本にあった場合 世界にとっても日本にとってもかなりの影響があると思われるのですが どのような影響がありそうでしょうか?平和な道をたどれるのでしょうか・・・

  2. rick より:

    日本の宗教文化的背景や国内の伝統的な祭り、詞などを検証すると、古代、イスラエルの民が渡来した可能性は極めて高く、また、それに伴い何等かの神宝が持ち込まれた可能性も否定できません。海中神輿などの行事は、もしかすると契約の箱(聖櫃)が船から持ち出されたことを象徴しているイベントであり、それがルーツとなった行事にも見えます。もし、イスラエル神宝が日本に存在していた、または今でもどこかにあるとするならば、そしてその真相が明かされた場合、時代は急変すると思います。その理由は聖書の預言書に書かれているとおりです。それは末世、末法の時代を意味します。神宝の証は、おそらく日本国民が霊的に奮起する起爆剤になるとも考えら、世の終わりは近づき、世界情勢は混とんとする最中、日本では信仰に芽生える民が大勢いることが想定されます。いずれにしても、平和な道というより、大変な時代の幕開けとなりそうです。

  3. 井上 より:

    ありがとうございます。
    私もそのように思います…
    長い間沢山の人達が守ってきた大切なものが、色々な意味でバラバラな世界が終わり 1つになる 新たな平和な世界の始まりになれば良いな…と思います。

コメントする