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2024/08/05

名前からわかる安曇氏のイスラエル出自! 安曇氏の祖神である綿津見三神を祀る志賀海神社

志賀海神社の亀石遙拝所

「君が代」が歌われる志賀海神社の山誉め祭り

志賀海神社 拝殿
志賀海神社 拝殿
九州の離島、壱岐と鐘崎・宗像の間にある博多湾の沖に浮かぶ志賀島には、全国綿津見神社の総本宮であり、古来より「海の守護神」として篤く信仰されている志賀海神社が建立されています。例年、志賀海神社で催される山誉め祭りでは、禰宜(ネギ)と神主が行事を執り行い、「君が代」の歌詞を含む讃歌が歌われています。

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
あれはや あれこそは我君のめしのみふねかや
志賀の浜長きを見れば幾世経ぬらん
香椎路に向いたるあの吹上の浜千代に八千代に
今宵夜半につき給う御船こそ、たが御船になりにける
あれはやあれこそや安曇の君のめしたまふ御船になりけるよ

安曇氏が拠点とした和多津美神社

歌の最後では「安曇の君のめしたまふ御船」という言葉が綴られていることから、この歌は安曇の君に関する讃歌であることがわかります。九州王朝の君主であった安曇の君にまつわる伝承を調べてみると、志賀海神社につながる対馬の和多津美神社の存在が浮かび上がってきます。対馬は古代、海人安曇氏が重要な拠点と位置づけた要地であり、その中心的存在が、和多津美神社でした。

和多津美神社 磯良恵比須
和多津美神社 磯良恵比須
和多津美神社の参道沿いには「磯良」(いそら)と呼ばれる磐座が存在し、古い海神伝説のシンボルとなっています。神社の御神体である「亀石」は「磯良恵比須」(いそらえびす)と呼ばれ、境内には三本足の鳥居が立ち、御社殿横の磐座とともに御神体石として祀られています。「いそらえびす」という名称は、安曇氏の「あずみ」と同様に、ヘブライ語で言葉の意味を理解することができることから、「磯良恵比須」を祀る和多津美神社のルーツには、イスラエルの存在があった可能性が見えてきます。さらには和多津美神社のルーツと深く関わりを持つ「安曇氏」の出自も、イスラエルに結びついていたと考えられるのです。

「磯良恵比須」と「亀石」をヘブライ語で読む

「磯良恵比須」の「磯良」(いそら)という名称は、海部の統率者として知られる海の神、「阿曇の磯良」(あづみのいそら)を指していると考えられます。神功皇后が三韓出兵した際、皇后の働きが成功することに大きく貢献した安曇氏の祖先にあたります。「いそら」の発音は、「イスラエル」の頭文字となる「イスラ」に酷似していることから、古代イスラエルの略称として使われていた名称ではないかと推測されます。

次に、「恵比須」(えびす)は、「打ち負かす」「打倒する」という意味で用いられているהביס (heviys、ヘビス) というヘブライ語が原語であったと考えられます。その「ヘビス」という発音が多少訛って、日本語では「えびす」と発音するようになったのではないでしょうか。よって「磯良恵比須」(いそらえびす)はヘブライ語で「イスラエルが打ち倒す!」、すなわちイスラエルの勝利を意味する言葉と考えられます。

和多津美神社 亀甲石
和多津美神社 亀甲石
また、和多津美神社で祀られている「亀石」の「かめ」という発音もヘブライ語で理解できることは、大変興味深いことです。「かめ」は、お守りを意味するקמע (kamea、カメア)というヘブライ語が語源と考えられます。すると、「磯良」「恵比須」そして「亀石」のいずれもヘブライ語で読み解くことができることになります。それらの言葉のルーツには総じて、イスラエルが勝利するためのお守り、という意味が込められていたと考えられます。

ヘブライ語で「守る」を意味する「安曇」

「安曇」(阿曇)氏の名前の意味もヘブライ語で理解することができます。「安曇」はガード、守る、取り囲むを意味するאזר(azar、アザー)と、水を意味するמימ(mayim、マイム)という2つのヘブライ語を合わせてできた言葉と推測されます。「マイム」「水」は複数形の単語であり、言葉を形容する際には変化して、מי(mi、ミ)となります。旧約聖書におけるノアの箱舟に関する記述において「洪水の水」を表現する際には מי(mi)を含む מי המבול (mi hamabul、ミハマブル)という言葉が用いられています(創世記7章7節)。

これら2つの言葉を合わせると、אזר מי(azharmey、アザメイ、アザミ)という「水のガード」「海を守る」、すなわち「海の守護」を意味する言葉となります。海人豪族として名を馳せた安曇氏だからこそ、海の守護神となるべく「アズミ」という名で知られていたのでしょう。よって、「安曇磯良」は「海の守護神イスラエル」と解釈できることになります。

イスラエルにつながる志賀海神社と綿津見神社

志賀海神社 参道
志賀海神社 参道
志賀海神社では綿津見三神が祀られ、これら三神は海神安曇氏の祖神でもあります。また「安曇磯良」は志賀島大明神とも呼ばれているのです。つまり志賀島大明神とは「海を守るイスラエルの神」であり、志賀海神社の創設者は綿津見神社と同族の安曇氏であったことがわかります。また、志賀海神社の山誉め祭りでは、禰宜(ネギ)と神主が行事を執り行っています。禰宜という言葉は一見して日本語のように思われがちですが、「ネギ」という発音は、ヘブライ語で神官を意味します。よって、禰宜に関わる宗教行事のルーツにも、古代イスラエル人が関わっていたと考えられます。

志賀島の祭りでは、古くから「君が代」が歌われ、「我が君」として安曇の君が讃えられてきました。それは安曇氏がイスラエル系の王族の出自であることをほのめかしているだけでなく、「君が代」がイスラエルの神、王を讃える歌であったことの証と考えられます。こうして志賀海神社と綿津見神社は、遠い昔から同じイスラエル民族の絆で繋がっていたことがわかります。

コメント
  1. Nico Tachibana より:

    長野県安曇野の穂高神社には大きな船が祭られています。諏訪大社のミイサクチ祭りはアブラハムによる息子イサクの生贄儀式を継承したものですね。安曇族と出雲族は同系でしょうか?

  2. 中島 より:

    難しい質問ですね。というのも出雲族の定義、解釈がまばらであり、考え方が分かれるからです。出雲族を海を渡って渡来したスサノオ命の子孫、出雲の国造りに関わったスサノオの子、または孫である大国主神の家系とするか、国津神系に属するかなど、様々な見解があります。

    イザヤの一行がイスラエルから渡来した、という前提で考えますと、王族と共に船で先行して渡来した民は、天孫族、すなわち王系ユダ族の人々を中心とした皇族のグループであったと考えられます。そして南西諸島、琉球に滞在している間、列島の調査や開拓を進めるために別のグループの民が先行して島々に渡ったようです。その中には朝鮮半島を経由して渡来してきた民もいました。それらの人々は、イスラエルのレビ族を中心とする民であり、王系ユダ族とは別のイスラエル人です。そして先行して国造りに携わったことから国津神と呼ばれたと考えることにより、歴史の流れが見えてきます。

    すると、出雲の国造りには双方が関わっていることになり、出雲族のルーツには天津神と国津神の双方が存在することになります。それ故、出雲族は海洋豪族の流れを汲んでいるとも考えられのです。安曇族は海洋豪族の一つであることから、出雲族と血統の繋がりが多少なりともあると考えてよいのではないでしょうか。

  3. seagod.bluedragon より:

    古代と言うのは簡単では有りません。今伝わる都市伝説は違うのが正しいです。おそらく、あわとの関係から聞かれて居たり、ユダヤが関係するとされてますが、そこにも疑問が有ります。
    エラム人が諏訪に渡った忌部氏等ではないでしょうか?又元々は出雲大社も別の場所に有りました。
    イスラエルを結びつけたい思いは分かりますが、忌部氏、賀茂氏は同族で、ダビデにはいきつかないらしいですよ。アズミのワタツミが何処から繋がるかはまだまだ分からないですが、皇族等と山幸彦との中から関係が出来ます。これらはエジプトからイスラエル、新羅から日本へ渡ったダビデの子孫らしいです。なので、神武天皇まで辺りの系図に繋がる氏族はその子孫に値するでしょう。

  4. キノコ より:

    実は自分の先祖が海の神、わたつみを祀ります。先祖は昔から呉等の場所と関係が有るかと、又フェニキア文字も姓に関係した時期が。歴史は古いので証拠には難しいですが、諏訪は最初は阿曇族も居たようですが、タケミナカタが来た時は居なかったと。
    私の姓に関係する場所はアズミや、神功皇后、海に水に関する場所を居住してました。又大きく違うのは性質です。諏訪は鹿を食し、アズミは鹿を神としていて、性質が全く逆です。やはり信仰心があった一族は性質に関しては守られたと。
    以前は皇室との事を書きましたが、元々は神様の系譜は山幸彦と結ばれた龍宮乙姫の豊玉姫が阿曇族です。濃い繋がりは豊玉姫、玉依姫、わたつみですね。瀬戸内海経由です。
    我が家は後は阿曇族から別の氏族になりましたが、藤原氏です。

  5. あづみーの より:

    キノコさんのコメントに鳥肌です。わたしは安曇野市生まれ在住の者です。安曇野で水関連の活動をしています。豊玉姫様流れを汲んだ安曇族。山間部にありながら、お船祭りを開催する穂高神社。池田町には表、中、底海神神社があったりします。安曇野の歴史に非常に興味を持ち縁のある、土地に行ってます。
    非常に、興味深い内容だと思いました。

  6. キノコ より:

    あづみーのさん有り難いです。但し阿曇族は白村江の戦い後散らばりましたので、全てが藤原氏では無く、阿曇氏を名乗られた方々も居ますし様々有るのかも知れませんが、諏訪とは信仰心においては思考が違うと。又阿曇族は亀ですが、諏訪は鶴だったかと。安曇野なのですね。私も近くは無いですが同県ですので経験からも解ります。本社は志賀海神社になりますね。他ワタツミ神社や、豊玉姫系の神社も九州に有ります。又君が代は有名です。金印も。
    静かに参拝され、騒がれないのが好ましいと思います。

  7. あつみ より:

    日本では数万年前の船が出土したり石器や土器の発見が世界と比べてとんでもなく圧倒的に多い。長距離航海が出来たのと、鬼界カルデラの破局噴火で今の愛知県手前まで大きく被災したのをきっかけに大陸へ渡った人々が多くいたといいます。聖書も英語に書き換えられる前は「東へ」という言葉が何度も出てくるみたいですし、エジプトではピラミッドが東から来た人々が建造したと遺跡や文献に書かれているように、古代日本人が西へ渡り混血と異文化吸収を経て、また日本に戻って来たのではないでしょうか。とすると、ヘブライ語も古代日本語の影響があることになります。そうすると安曇、磯良、恵比須、イサク、モリヤ、などはもともと日本にあった言葉という事も多いに考えられます。結果、ユダヤが祖先とする日ユ同祖論ではなく、ユダヤが戻ってきた「日ユ同化論」ではないかという論も近年では多くなって来ていますね。

    諏訪は今は鹿ですが、過去にはヤギかヒツジのような種か近い種がいたそうです。諏訪大社上社の元となるお袋石なども山間部ですが祠の下の部分が船になっているものもありますね。

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