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2021/03/18

安曇氏の出自はイスラエル!

九州の離島、壱岐と鐘崎・宗像の間にある博多湾の沖に浮かぶ志賀島には、全国綿津見神社の総本宮であり、古来より「海の守護神」1として篤く信仰されている志賀海神社があります。そこで例年催される山誉め祭りでは、ヘブライ語で神官を意味する禰宜(ネギ)と神主が行事を執り行い、「君が代」が歌われています。

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
あれはや あれこそは我君のめしのみふねかや
志賀の浜長きを見れば幾世経ぬらん
香椎路に向いたるあの吹上の浜千代に八千代に
今宵夜半につき給う御船こそ、たが御船になりにける
あれはやあれこそや安曇の君のめしたまふ御船になりけるよ

「安曇の君のめしたまふ御船」と歌われるとおり、この歌は安曇の君に対しての讃歌です。九州王朝の君主であった安曇の君にまつわる伝承を調べてみると、志賀海神社につながる対馬の和多津美神社の存在が浮かび上がってきます。対馬は古代、海人安曇氏が重要な拠点と位置づけた要地であり、その中心的存在が和多津美神社でした。

和多津美神社の参道沿いには「磯良」(いそら)と呼ばれる磐座が存在し、古い海神伝説のシンボルとなっています。御神体である「亀石」は、「磯良恵比須」と呼ばれ、周囲には三本足の鳥居が立ち、御社殿横の磐座とともに御神体石として祀られています。これらの名称は安曇氏の名前とともにすべて、ヘブライ語で理解することができることから、「安曇氏」の出自がイスラエルと深く結びついていることがわかります。

まず、「磯良」は海部の統率者として知られる海の神、「阿曇の磯良」(あづみのいそら)を指します。神功皇后が三韓出兵した際、皇后の働きが成功することに大きく貢献した安曇氏の祖先です。「磯良」(いそら)は発音が「イスラエル」の頭文字となる「イスラ」と酷似していることから元来、イスラエルの略称として使われた名称ではないかと考えられます。

同様に「亀石」と、「磯良恵比須」の「恵比須」もヘブライ語がルーツと考えられる言葉です。「亀石」の「かめ」は、お守りを意味するקמע(kamea、カメア)が語源です。また、「恵比須」(えびす)は、הביס(hevis、ヘビス)というヘブライ語を元に、日本語では「えびす」と発音するようになり、「打ち負かす」「打倒する」という意味で用いられています。よって「磯良恵比須」(いそらえびす)は、「イスラエルが打ち倒す!」、すなわちイスラエルの勝利を意味する言葉と考えられます。

「安曇」(阿曇)氏の名前の意味もヘブライ語で理解することができます。「安曇」はガード、守る、取り囲むを意味するאזר(azhar、アザー)と、水を意味するמימ(mayim,マイム)という2つのヘブライ語からできた言葉です。「マイム」「水」は複数形の単語であり、その単数形は、מי(mey、メイ、ミ)です。旧約聖書におけるノアの箱舟に関する記述においても、洪水によって「水」があふれた際にもמי(mey)が用いられています2。これら2つの言葉を合わせると、אזר מי(azharmey,アザメイ、アザミ)という「水のガード」「海を守る」、すなわち「海の守護」を意味する言葉となります。海人豪族として名を馳せた安曇氏だからこそ、海の守護神となるべく「アズミ」という名で知られていたのでしょう。すると、「安曇磯良」は「海の守護神イスラエル」と解釈できます。

志賀島神社では綿津見三神が祀られ、これら三神は海神安曇氏の祖神でもあります。また「安曇磯良」は志賀島大明神とも呼ばれているのです。つまり志賀島大明神とは「海を守るイスラエルの神」であり、志賀島神社の創設者は綿津見神社と同族の安曇氏であったことがわかります。志賀島の祭りでは、古くから「君が代」が歌われ、「我が君」として安曇の君が讃えられてきました。それは安曇氏がイスラエル系の王族の出自であることをほのめかしているだけでなく、「君が代」がイスラエルの神、王を讃える歌であったことの証と考えられます。こうして志賀島神社と綿津見神社は、遠い昔から同じイスラエル民族の絆で繋がっていたのです。

[脚注]

  • 1志賀海神社. [アクセス日: 2020年3月].
  • 2旧約聖書 創世記7章7節

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中島 尚彦

1957年東京生まれ。南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。