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2025/05/04

1里の距離は70~80mを推定 「魏志倭人伝」の距離データを理解する鍵

魏志倭人伝」に記録されている地名や距離を参考に、邪馬台国への道すじを地図上にプロットするためには、距離の単位である「」の解釈が鍵となります。1里の距離を明確にすることで、史書に記されている距離のデータを元に、倭国を旅するルートが探しやすくなるからです。よって、1里を何メートルと想定するかが重要です。

「里」は尺貫法を用いた距離の単位です。国や時代によって、その長さは大きく異なり、日本では、ごく一般的に1里は約3.9kmと理解されています。しかし古代、律令制の時代では1里が5町、300歩と制定されていたことから、当時の1里はおよそ530mほどであったと推定されています。その数字は今日、中国が定めた1里500mの距離とほぼ同一です。また、中国においても時代を遡ると「里」の解釈が異なり、およそ400mから576mまで変動したことがわかっています。

「魏志倭人伝」における距離の表記は現代の里数とは異なることから、注意深く検証する必要があります。「里」の解釈には長里と短里があり、「魏志倭人伝」では短里が用いられています。実際、短里を1里あたり70mから80mほどの距離と想定することにより、「魏志倭人伝」の距離データを用いて、Google Earthをはじめ3D地図などを参照しながら、旅の道すじを周辺の地勢に沿って検証できるようになります。例えば「魏志倭人伝」には、朝鮮半島の最南端、狗邪韓国から対馬までの距離が千里と記録されています。実際の航海距離はおよそ70㎞になると考えられることから、1里を70mとすれば千里は70㎞になり、数字の辻褄が合います。

しかしながら現実問題として異論は多々あり、短里の解釈もさまざまです。また、邪馬台国に絡む決定的な遺跡がこれまで発掘されている訳でもなく、中国史書の地理データには間違いが多いのではという見解もあり、史書の記述そのものの解釈が多岐に分かれてしまうことも、問題が複雑化する要因の1つです。その他、昨今の遺跡調査から発掘されるデータの解析においても、さまざまな先入観が絡むことにより、史書に記されたデータをそのまま受け止めて地図上にプロットする試みなどは不可能と思われてきたのが実態です。

中国史書のコンテンツを重要視するという原点に戻り、今一度、これまでの閉塞感漂う数々の問題点に留意しながら、歴史を振り返る必要があります。中国の優れた識者らが邪馬台国の情報を収集し、編纂して記録された文献だけに、現代人の目で判断する古代日本の姿ではなく、古代人の目から映し出される倭国の姿や地勢観に寄り添いながら、事象を見極めていくことが大切になります。

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