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2025/06/08

沖ノ島に到来した大陸の旅人 倭国の玄関前に浮かぶ聖なる離島

海の正倉院と呼ばれる所以

沖ノ島は遠い昔から「神の島」として崇敬されてきました。その島にある「一の宮」、沖津宮こそ、宗像神祭祀の中心です。その「二の宮」「三の宮」である辺津宮と中津宮は、遠く離れた沖ノ島まで行けない人達のための遥拝所として造営されたのです。一般庶民にとって沖ノ島は、遠い海に浮かぶ孤島でもあることから、出入りを禁じられていました。今日に至るまで、宗像大社の管轄下にある沖ノ島は、許可なくして誰も入島することができません。そして神の島として女人禁制が保たれ、年に1度しか来訪者を許さないという厳しい掟が守られ続けています。

これほどまで神格化された島は、日本では他に類を見ません。その理由は単に、沖津宮が渡航する民の安全を祈願して造営されて以来、神格化されたということだけではないようです。そこにはアジア大陸からの渡来人、特に海洋豪族や王系一族らが持ち込んで献納したと考えられる多くの神宝が埋蔵されていると推測されます。遠く離れた孤島である故、大切な神宝を収蔵するには絶好の場所と考えられたのでしょう。そして神宝が多く埋蔵されている沖ノ島だからこそ、禁足地として立ち入りが禁じられたと考えられます。

宗像大社の本宮である沖ノ島からは、3次に渡る遺跡調査の結果、弥生時代、紀元前後ごろの遺跡が、洞窟や社務所周辺に多数見つかっています。また、島内の巨岩周辺に存在していた祭祀遺跡は、4世紀から9世紀ごろのものであることが確認されています。これらの遺跡からは鏡、勾玉、金製の指輪などを含む12万点以上の神宝や金銅製馬具などが出土されました。それらは朝鮮半島や中国からの物だけでなく、西アジアからの物も多数含まれています。

遺跡調査の結果は、朝鮮半島から沖の島を訪れた多くの民の出自が、アジア大陸に由来していることを裏付けています。こうして古代祭祀の形態が徐々に解明されるにつれ、いつしか宗像大社の3宮における沖ノ島の重要性が改めて認識されることになりました。それがまさに、「海の正倉院」と呼ばれるようになった所以です。

鐘崎・宗像へ渡航する2つのルート

たとえ小さな孤島であっても、標高240mを超える山が聳え立つ沖ノ島は、対馬や壱岐と北九州の間の玄界灘を行き来する渡航者にとって、大切な海の指標となりました。特に朝鮮半島から倭国の九州北岸にある鐘崎に向かう場合、沖ノ島は釜山から対馬の北岸を通る一直線上に存在するため重要視されました。すなわち釜山近郊の港から対馬の北部の鰐浦周辺を目指すことにより、最短距離で対馬に到達するだけでなく、そのまま真っすぐ進むと沖ノ島に到達できたのです(地図参照)。この航海ルートは中国方面から朝鮮半島の南岸に進み、そこからまっすぐに沖ノ島を経由して九州に到達できるため、渡航距離が短いことが利点でした。

しかし、この沖ノ島経由のルートは途中に他の島々が存在せず、海の難所と言われる玄界灘を長距離進むため、危険な航海路と考えられていたのです。よって、アジア大陸より渡来した民の多くは、朝鮮半島の巨済島や釜山より対馬に南下し、対馬の西岸から北九州へと向かったのです。その結果、朝鮮半島から倭国へ向かうルートは、対馬の西岸から壱岐を介して北九州に渡る航路と、対馬の北岸から沖の島を介する2つの航路が少なくとも存在することになります。

朝鮮半島から沖ノ島を訪れた渡来人の中には、大陸の有力者だけでなく、中には西アジア系の王家に属する皇族もいたのではないでしょうか。それ故、大陸より持ち運ばれてきた多くの神宝が、沖ノ島に秘蔵されることになったと推測されます。多くの渡来人は沖ノ島に到来した後、沖津宮にて神を礼拝し、貴重な神宝や秘宝を献納した上で、鐘崎・宗像へ渡ったと考えられます。それ故、長い年月をかけて、沖の島には多くの財宝、秘宝、神宝が埋蔵されることになります。

そして沖の島での祭祀の働きが活発化した4世紀から6世紀ごろ、宗像では前方後円墳が複数造成され、朝鮮半島の東側、辰韓からの渡来人の流入は、4世紀初頭からピークを迎えることになります。沖ノ島の祭祀に関わる人物像と神宝は、宗像地方の古墳と密接に繋がっていました。宗像大社が助け奉った天孫の民の存在は、沖の島だけでなく、宗像地方の古墳にも、その痕跡を残すほど、極めて重要であったことがわかります。

邪馬台国への旅路はまだ続く…

邪馬台国は、孔子までもが憧れた「君子の国」、そして「長寿の国」としても知られた理想郷の延長線に育まれた古代国家です。そこは中国大陸から海を越えた遥か東方の島に存在する秘境の地でした。史書にも帯方郡から東南方向に「1万2千余里」と記載されており、古代の人々にとっては、遥か彼方の東方に浮かぶ島々の山奥に在る神秘の国のイメージとして映ったことでしょう。

邪馬台国へ向かう旅路の途中、大陸より訪れた渡来者をお出迎えする倭国玄関の象徴が沖ノ島でした。その玄界灘に浮かぶ離島に大陸から神宝を携えてきた渡航者は寄港し、宗像神を祀ったのです。沖ノ島の先には、船旅の難所となる玄界灘が待ち構えています。その荒波を乗り越えて、神秘のベールに包まれた奥地へと向かうことになります。

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