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2026/09/24

元伊勢と剣山に繋がる「かごめかごめ」 御巡幸地のレイラインから見えてくる神宝の繋がり

最難関の秘境に囲まれる剣山周辺の地勢

元伊勢御巡幸の目的は神宝の守護であり、人の手の届かぬ安全な場所に神宝を秘蔵することでした。しかしながら日本列島は広いようで実は狭く、神宝の収蔵場所が公表されてしまえば、いつ何どき、盗賊がやってくるかわかりません。よって神宝の収蔵場所は、単に隠ぺいするだけでなく、物理的に到達することが大変難しい秘境を厳選するしかなかったのです。

その結果、神宝を秘蔵するための御巡幸最終目的地として選ばれた場所が、西日本で2番目の標高を誇る剣山周辺であったと想定すれば、剣山がレイラインの起点として特別視された理由が明確になります。剣山周辺は断崖絶壁の山々に囲まれ、多くの河川も流れていることから、足を運ぶにも大変な労力を要しました。それ故、大切な神宝を秘蔵するには、もってこいの場所だったのです。

それ故、誰もわからない場所に密かに秘蔵することが目論まれ、元伊勢の御巡幸という謎めいた長旅が計画されたのです。そして神宝の秘蔵場所となる最終目的地を剣山と定め、他の聖地と剣山を結ぶレイライン上に並ぶ場所を、御巡幸地の条件としたと推測されます。

元伊勢御巡幸と船木氏の役割

その神宝を四国の徳島山岳地帯まで持ち運ぶ原動力となったのが、元伊勢御巡幸の船旅を主導した船木氏と考えられます。紀元前1世紀頃から始まった元伊勢御巡幸において、80余年も続いた長旅の後半、縁の下の力持ちとして倭姫命御一行を琵琶湖そばの伊久良河宮から伊勢まで導いたのが、海人豪族として名高い船木氏でした。大陸に由来する船舶技術を携え、経済力にも富んでいた船木氏は、皇室の御一行に船舶を提供しただけでなく、神宝の護衛も任されていたことでしょう。よって、船木氏の動向を見据えることにより、元伊勢御巡幸における最終段の結末が見えてきます。

御一行が伊勢の五十鈴河上に到達し、そこで神が祀られた後、船木氏は短期間で何故かしら伊勢の拠点を去り、船で海岸沿いに紀伊半島最南端まで下り、そこから紀伊水道を北上したのです。そして紀伊半島の吉野川上流にある伊都郡へと向かい、丹生都比売神社の周辺に拠点を設けました。拠点となった場所の背景には、辰砂などの資源の確保がありました。海洋豪族であるだけに、船底の防水加工をするためには水銀の元ともなる辰砂の確保が不可欠だった時代です。そして船木氏は辰砂を探し求め、紀伊半島だけでなく、淡路や四国、そして最終的には播磨、神戸から明石界隈にまで到達します。

船木氏と淡路島の石上神社

紀伊半島で拠点を設けた後も船木氏は移動を続けます。そして淡路島の北部山頂へと向かったのです。そして標高の高い山の一角にて巨石を移動するという難題に着手し、そこを磐座としたうえで、その周辺には環状列石のように岩石を並べて祭祀活動を行ったと考えられています。地域一帯は船木一族によって拠点が設けられたため、舟木村と呼ばれるようになりました。その後、船木氏は大阪の住吉大社方面から摂津国へと拠点を広げ、最終的には明石国の加古川から上流に上り、今日、加西市と呼ばれる地域を拠点とし、住吉酒神社をはじめとする数々の神社を建立しています。また、加古川の支流となる東条川沿い、今日の小野市周辺にも船木の集落は広がりを見せ、多くの住吉神社が建立されました。

元伊勢御巡幸の結果、伊勢にて天照大神が祀られます。しかしながら何故か、船木氏は足早に伊勢を去り、淡路島へと向かったのです。その背景には大切な理由が秘められていたようです。船木氏により、淡路島の舟木に建立された石上神社は、単に巨石を御神体として祀る神社ではありませんでした。その場所は、元伊勢の原点となる日本の聖地三輪山や、長谷寺、斎宮と同緯度線上に位置していたのです。しかも剣山と日本の創始に深く関わる伊弉諾神宮、そして霊峰として名高い摩耶山や六甲山を結ぶ線と交差する場所に存在したのです。また、石上神社からちょうど真北に向かうと、そこには明石国の住吉神社も建立され、船木氏の拠点が設けられています。これらのレイラインが石上神社の場所で交差することから、その位置の重要性がわかります。

元伊勢御巡幸の神宝は「かごめかごめ」と同一?

一見、不可解な元伊勢御巡幸による長旅の目的は、神宝が秘蔵された場所の謎を解くための鍵を後世に伝えることであったと考えられます。船木氏の動向を振り返ると、剣山を意識していたことが明らかになってきます。それ故、御巡幸地に絡むレイラインはすべて、剣山を通りぬけていたのです。それは剣山が共通の起点として示されるように工夫されただけでなく、そこが御巡幸の最終目的地であることも分かるように目論んだ結果ではないでしょうか。同様に船木氏は、淡路島の伊弉諾神宮と剣山、摩耶山、六甲山を結ぶ線と、三輪山の緯度線が交差する地点を、聖地の力がクロスする重要拠点と定め、その場所に巨石を移動し、そこで祭祀活動を執り行ったのではないでしょうか。これが淡路島の舟木にある石上神社創始の背景と考えられます。

船木氏が剣山のレイラインに結び付く場所に拠点を設け、そこで祭祀活動を執り行った理由は、元伊勢御巡幸の最終地点となる剣山に神宝を運んだこと以外に答えがありません。元伊勢の御巡幸地と剣山を交えたレイラインの存在に気づくことにより、神宝の行く末が見えてきます。そしてその神宝は、「かごめかごめ」の歌の背景に潜む神宝と同一であった可能性があるのです。

「元伊勢のレイライン」は剣山が起点

元伊勢御巡幸により守護されていた神宝が、最終的には邪馬台国へ遷されたとするならば、その新しい秘蔵場所は、伊勢からさほど離れていない地域に存在したはずです。その場所を特定するには、邪馬台国の比定地を中国史書の記述を基に検証するだけでなく、元伊勢の御巡幸地に絡む数々のレイラインと、それらの繋がりを調べることも重要です。

一見、不規則に散在しているように見える御巡幸地ではありますが、それらの場所にはひとつの共通点が存在します。全ての御巡幸地は、四国剣山とレイライン上で繋がっていたのです。剣山と元伊勢に関わる御巡幸地を通るレイラインを地図にプロットすると、どの御巡幸地も剣山と直結するレイラインが存在していることがわかります。それは、四国の剣山を起点として、他の聖地や霊峰、地の指標を結ぶ線上に、それぞれの御巡幸地が見出されたことを意味しています。

こうして全ての御巡幸地は一か所ずつ念入りにロケーションが精査され、剣山という起点をレイライン上で共有することができたのです。その結果、それぞれの御巡幸地から剣山の方向を見ると、その御巡幸地と霊峰を結ぶ一直線上の間には、大切な聖地が必ず並ぶようになったのです。それらの聖地と一直線上にぴたりと並ぶ剣山の存在は、例え目にすることはできなくても、人々の心に徐々に根付いたことでしょう。

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