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2021/01/12

東方へ消え去る「失われたイスラエル10部族」

国立歴史民俗博物館は平成15年、放射性炭素年代測定をベースにした研究成果を発表し、水稲農耕を主とする弥生時代のはじまりが、これまでの推定よりも5世紀ほど遡り、紀元前10世紀頃から始まっていたことを明らかにしました。その弥生時代の初期にあたる紀元前8世紀、西アジアのイスラエルでは国家が崩壊の危機に直面していました。国の創始者として君臨したダビデ王がエルサレムを都に定め、ダビデの町が建造され、その子息であるソロモン王がエルサレム神殿を建立して栄華を極めた時代からおよそ2世紀を経ていた頃です。当時のイスラエルは日本の弥生時代初期のイメージからは想像できないほど優れた文化を有していました。鉄工や鋳物、建築だけでなく、造船や航海技術も発展し、3年に1度はタルシシの港から巨船が世界に向けて出港していました。これらタルシシ船は、アフリカやアジアの沿岸を航海しながら、金や銀などの鉱物や象牙などの物資を輸送していたことが歴史書に記されています(歴下9章21節)。 

ところがソロモン王が死去した後、国家は南北に分裂し、イスラエル12部族のうち、ユダ族とベニヤミン族の2部族からなる南ユダ王国と、残りの10部族から構成される北イスラエル王国となりました。そして平和な時代は終焉を告げ、2つに分かれた王国は醜い争いの時代に突入したのです。両国ともに周辺諸国と戦争を繰り返すだけでなく、時には南北同士でも戦いを繰り広げながら国家は共に弱体化し、徐々に滅びの道に至ります。

イスラエルの荒野から死海を望む
イスラエルの荒野から死海を望む
紀元前722年、北イスラエル王国はアッシリアの攻撃を受けて首都サマリアが陥落し、2世紀に渡り栄えてきた北の王国が滅亡しました。そして北イスラエル王国に住む10部族の多くはアッシリアに捕虜として連行されたのです。「イスラエルは自分の国からアッシリアに移されて今日に至っている」と旧約聖書の列王記下17章には記録されています。その後、これらイスラエルの民は中東を経由してアジア大陸各地に離散し、民族の足取りが歴史から途絶えてしまいます。イスラエルの著名な歴史家ヨセフスは1世紀、「ユダヤ古代誌」にて「残りの10部族は現在までユウフラテス川向こうの地におり、その数は無数で確定できない」と記しています。アジア大陸の東方へと消え去った後、離散したイスラエル10部族の行方がわからなくなったのです。これが「イスラエルの失われた10部族」と呼ばれる所以です。

北イスラエル王国の崩壊について旧約聖書には、その経緯だけでなく、人口の推移についても複数の記述が見られます。当時の民族移動の規模を推定するにあたり、以下の内容が参考となります。

  • 古代イスラエルでは、「全てのイスラエルびとは系図によって数えられた」(歴上9:1)ことから、人口数はかなり正確に記録されていたと考えられる。
  • 前16世紀、モーセの時代において20歳以上のイスラエル子孫を数えると、既に60万人を超えていた(民26:51)。
  • 前10世紀、ダビデ王の時代、イスラエルには戦争で剣を抜く兵士だけでも80万人いた(サム下24:9)。
  • 前9世紀、国家が南北に分裂した後、南ユダ王国第4代ヨシャパテ王の時代では、軍人だけを数えても、ユダ族78万人、ベニヤミン族38万人、合わせて100万人以上が南ユダ王国に存在した(歴下17)。
  • 前722年、北イスラエル王国が崩壊した際、その10部族の中から捕囚としてアッシリアに移された民が大勢存在した(列王下17:23)。

これらの記述から、国家が崩壊した時点での北イスラエル王国の人口は、数百万人の規模であったことがわかります。何故なら、北よりも人口の少ない南ユダ王国でさえ、北が崩壊する2世紀前には既に100万人規模の軍人が存在し、男女合わせた総人口は200万人以上になっていたと想定されるからです。南ユダ王国の2部族に対し、北には10部族が存在したことから、北イスラエル王国の全人口は従来から南ユダ王国よりも多かったのです。

北イスラエル王国が崩壊した時点では、国の人口が数百万人まで膨れ上がっていたと推測されるにも関わらず、アッシリア碑文によると、捕囚された民の数は、およそ2万8千人にしかすぎませんでした。それ故、ほとんどの民は離散したと考えられ、10部族はアジア大陸の東方に向けて、歴史から姿を消すことになったのです。北イスラエル王国の捕囚の民のその後については、一世紀に書かれた歴史家ヨセフスによる記録以外、ほとんど存在しません。その後、捕囚の終焉や母国イスラエルへの帰還に関する記録なども皆無であることから、いつしか「失われた10部族」は歴史の謎として伝承されるようになりました。

北イスラエル王国の崩壊に続き、南ユダ王国もそれから間もなく滅亡し、バビロンにて捕囚の身となります。それから一世紀近く経った後、南ユダ王国の民が再びエルサレムに帰還した際、「エルサレムにはユダの子孫、ベニヤミンの子孫および、エフライムとマナセの子孫が住んでいた」ことが聖書の歴史書に記録されています。つまり、北イスラエル王国10部族の中でもエフライム族とマナセ族に限っては、ごく一部の民は歴史から消えることなく、南ユダ王国のエルサレムに残されていたのです。しかしながら、その人数や詳細は不明であることからいずれにしても、北イスラエル王国の10部族は、歴史の謎としてアジア大陸のどこかへと消えていったのです。

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コメント
  1. 小林智恵子 より:

    感動して読ませていただいています。昔、NYに住んでいた時、大家のユダヤ人の方に私の祖母の写真を見せた事がありました。そうしたら、間髪入れず、祖母をユダヤ人だ、と言った事を思い出します。
    これだけの資料を調べていただき心から感謝ですm(_ _)m まだまだ読み終わるには時間がかかりますが、老後の楽しみが出来ました🍀

中島尚彦

中島 尚彦

1957年東京生まれ。南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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