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2026/05/21

日置と日向に繋がる立磐神社 夏至の日の出方向に開かれる古代集落

鹿児島が日置と呼ばれた背景

神武天皇をはじめ、建国に貢献された古代の人々は、当初、アジア大陸より海を渡り、南西諸島から北上してきたと考えられます。最初に琉球で休息を兼ねて一大拠点を構築し、その後、南西諸島の潮の流れに沿って航海を続け、九州に到達します。そして最初に着岸した大きな島が九州の南岸、今日の鹿児島と推測されます。

古代の民は太陽、天体を見ながら方角を定め航海しました。そして「東の島々」と思われる日本列島に着岸した地点が九州の鹿児島の西海岸です。その最初の港を起点として、そこから太陽が昇る方向を目指して旅をしたと考えられます。よって、最初の着岸地点は「日置」と呼ばれるようになりました。

その鹿児島の日置から夏至の日の出方向を見ると、瓊瓊杵尊を主祭神として祀る霧島神宮が確認できます。その御社殿はこれまで幾度となく火山噴火のため炎上し、その度に場所を移しながら、現在の位置に建てられました。霧島神宮の境内から5㎞ほど北東方向に進むと、山の斜面に建立された霧島神宮元宮があり、その先には高千穂峰が聳えています。

日本書紀に、瓊瓊杵尊が「筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります」と記載されている地が、霧島神宮の裏に聳え立つ高千穂峰であると語り継がれてきました。その頂上には天の坂鉾がしっかりと刺さっています。本宮建国の父らは古代、その山を目指して登り、高千穂峰頂上で神を祀ったに違いありません。だからこそ、高千穂峰は今日でも霊山として名高く、多くの参拝者を集めているのです。

九州の東海岸は「ひむかい」

また、九州の鹿児島に位置する日置と高千穂峰を結ぶ延長線の先にある九州東海岸も重要な場所です。なぜなら古代の民は常に、太陽と天体を観測しながら旅を続けていたからです。よって、九州の山を徒歩で越える民と、海岸沿いに航海する民は、九州の南西の日置から出発しても、そこから遠い東海岸でも落ち合うことができたのです。それゆえ、東方の最終地点は日置に相対する場所として、「ひむかい」「日向」と呼ばれるようになったと考えられます。

「八重山」と「伊集」の語源

その後、日置から内陸に向けて住みやすい集落を拡大するための拠点を探した結果、日置吹上の東方に、今日の日置市中心部にあたる伊集院と呼ばれる地域を見つけます。その近くの山は「八重山」と名付けられ、ヘブライ語で「神」を意味する言葉が用いられたことから、新しい国家の始まりを象徴する場所として覚えられたことでしょう。また、「伊集」と命名されたのは、そこにイスラエルからの民が結集して古代拠点を作ったという証の名残かもしれません。

その伊集院から夏至の日の出方向を辿ると、九州東岸の日向の南方に至ります。その日の出方向に近い、およそ34度の方角には日向、今日の美々津市があり、そこに立磐神社が建立されました。日置に相対する日向の集落においても、神を祀ることは当然のことでした。

美々津市の立磐神社

美々津(みみつ)と呼ばれた集落名は、ヘブライ語に語源があると考えられます。まず、「つ」はヘブライ語で「岩」、「神」を意味します。つまり「岩なる神」という言葉のルーツが「つ」「津」なのです。よって、国内で「津」という漢字がつく地名は古代、何らかの形で神への信仰に関わっていた可能性が高いと想定されます。

また、「ミム」「ミミ」はヘブライ語で「水」「水っぽい」を意味します。つまり「美々津」「みみつ」とは、「水の神」しいては「海の神」を意味する言葉だったのです。つまり、イスラエルの民をアジア大陸から海を越えて導き、航海を続けて日本列島の九州まで無事に辿り着かせてくださった神の恵みを祝し、「水の神」と命名したことが、「美々津」という地名の背景にあるのではないでしょうか。

その美々津市の立磐神社で執り行われる祭では、「ア、ラ、チョーイサー」という掛け声が響き渡ります。一見、日本語では不可解なこの言葉は、ヘブライ語にルーツがあるようです。まず、「アラ」ですが、これは単なる掛け声の可能性もありますが、もしかすると「神」を意味する「アラ」という言葉が、そのルーツに潜んでいるかもしれません。古代イスラエルにおいて、「神」を語る際の呼び名にはさまざまなものがありました。中でも西アジアの地域では、古くから「神」を「アラ」と呼んでいたことが知られています。イスラム教に限らず、初代のキリストを信仰する人々の中でも、地域によっては神を「アラ」と呼んでいました。よって、「アラ」を「神」と理解しても不思議ではありません。

立磐神社の祭りで歌う囃子詞の意味

「チョーイサー」という言葉は、全国各地の祭での掛け声で使われている「チョーサジャー」に類似する響きがあります。ヘブライ語で訳すならば、「チョー」の意味は「叫ぼう!」を意味する צועק (tsoek、チョエ) が語源と考えられます。また、「神」御自身を意味することばが צור (tsur、ツ、ツォ) ですからそれが多少訛って「チョー」になったのかもしれません。その後に続く「イサ-」は、イエスキリストの意味でしょう。今日でも特にイスラム圏において、イエスキリストは「イサ」と呼ばれており、古代からその呼び名は世界各地において引き継がれています。すると「チョーイサー」の意味は、「叫ぼう、イエスキリスト!」または、「神、イエス」、「岩なる神、イエスキリスト」となります。

一見、不可解な祭の掛け声、囃子詞であっても、ヘブライ語を通して読み取ることにより、古代の民が祈り叫んだ言葉の意味が理解でき、その思いを込めた言葉が響き渡ってくるようです。

画像ギャラリー:霧島神宮古宮 / 船木神社 / 高千穂峯

コメント
  1. Ogi より:

    初めまして。突然すみません。私の故郷は宮崎県日向市美々津と言う所です。そこに立岩神社と言って神武天皇が東征のためお船出をした場所があります。その神社で毎年11月にお神輿お担ぐお祭りがあるのですが、そのお神輿を担いでいる人の掛け声がどうしても日本語には聞こえません。「あ、ら、ちぇーいさー」と言い続けながら町中を歩き続け、途中で川の中でお神輿を濡らさぬよう神様の水遊びと言われる事をするのです。最後にお神輿を別の社に納める際には掛け声が「お、さめじゃ」と変わります(もしかしたらこれは納めじゃのことかもしれませんが。)ただこの最初の掛け声は地域の資料や、年寄に聞いても誰も知りません。ヘブライ語のように思えるのですがどう思いますか?

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