沖縄県最北端の伊平屋島
沖縄県最北端の島 伊平屋島
伊平屋島は、沖縄本島から北西方向41kmに位置する沖縄県、最北端の島です。沖縄本島が古くから那覇を中心に発展するにつれ、人々は周辺の島々へも船で渡るようになりました。そしてやがて伊平屋島にも人々が定住し、亜熱帯海洋性気候に恵まれた島では、平地を中心に古くから稲作が行われていたことが知られています。
伊平屋島へは、沖縄本島北部にある運天港からフェリーが1日2便運航しており、所要時間は1時間20分です。面積は約22平方キロメートルと比較的大きな島ですが、他の島々とは橋で結ばれていないこともあり、琉球諸島の離島の中でも豊かな自然と独自の文化が色濃く残る島として知られています。2024年現在の人口は約1000人ですが、日本各地の離島と同じく人口減少に歯止めがかからず、少子高齢化が進んでいます。
伊平屋とは神を意味するヘブライ語?
伊平屋は、漢字では恵平屋と表記されることもあります。しかし、なぜ「イヘヤ」と呼ばれるようになったのか、その由来は定かではありません。注目すべきは、島の名を逆さに読むと、「ヤヘイ」「ヤへー」となることです。この発音は、ヘブライ語で「神」を意味します。古代、イスラエルからの渡来者が新たな島を見出した際、その地を聖なる場所として「神」、すなわち「ヤヘイ」と称し、そのへブライ語を逆読みして「イヘヤ」と呼ぶようになったのかもしれません。
久高島のアグル御嶽
もし、その解釈が正しいとするならば、伊平屋島は古くから「神の島」として認識されていたことになります。そうであるならば、島内には御嶽のような祈りの場や、神を象徴する磐座などが存在し、今日でもその痕跡を確認することができるはずです。例えば、神が宿る島として知られる沖縄本島の南東沖約5kmに位置する久高島には、男性が足を踏み入れることができない御嶽が複数存在し、古くから琉球の聖地として崇められてきました。また、久高島は沖縄本島の斎場御嶽とも深く結び付けられ、近年までイザイホーと呼ばれる宗教儀式が女性のみで執り行われてきたのです。
同様に、伊平屋島も琉球の聖地として考えられてきたのであれば、その証として、人々の信仰に関わる何らかの痕跡が残されているはずです。
伊平屋島の象徴となる「ヤヘー岩」
伊平屋島の「ヤヘー岩」
伊平屋島が古代から重要視され、聖なる場所として考えられていたと推測される理由は、島の北方に位置する巨石の存在にあります。伊平屋島北端の西側には、海辺に隣接する山の形の岩石があり、「ヤヘー岩」と呼ばれています。海岸から約50m沖に位置する「ヤヘー岩」へは、干潮時には砂浜を歩いて渡ることができます。
伊平屋島は琉球諸島の北端に位置することから、琉球から南西諸島を経由して日本列島へ向かう船旅の出発点にもなり得る島でした。そのため、古代の人々は、まるで天から降り立ったかのような「ヤヘー岩」の特徴的な姿に注目し、航海の目印としたのではないでしょうか。つまり「ヤヘー岩」は、船旅における重要な指標であったと考えられます。
「ヤヘー岩」が重要視されたもうひとつの理由は、グスクの痕跡が残されていることです。琉球の人々にとってグスクとは城であり、守りの象徴でもありました。「ヤヘー岩」の中腹には、古代の築城に関連するとも言われる石積みの跡が残されており、古くから人々がこの岩に足を踏み入れ、何かしら宗教儀式を行っていたことがうかがえます。また、外敵から島を守るための砦として機能していたという伝承も残されています。よって、「ヤヘー岩」は堅固な守りの象徴でもあったのです。
直径100mほどしかない小さな「ヤヘー岩」が、なぜ古代から船旅の重要な指標としてだけでなく、グスクの伝承を伴う城跡として、伊平屋島を守る存在でもあったのでしょうか。その理由は、「ヤヘー岩」の位置そのものが、古代の人々にとって特別な意味があったからに他なりません。「ヤヘー岩」は極めて重要な地点であり、大地の指標として用いられたと考えられる根拠は、「ヤヘー岩」を通るレイラインの考察から垣間見ることができます。
「ヤヘー岩」と高千穂のレイラインを考察
伊平屋島ヤヘー岩と高千穂のレイライン
レイラインとは、山や岬、島、神社など、複数の重要な地の指標が、地理上で一直線に並ぶ現象です。日本列島に存在するさまざまな地の指標と「ヤヘー岩」が、地図上のレイラインによって結ばれていることを確認すると、なぜ「ヤヘー岩」が重要視されたのかを理解することができます。
まず、レイラインの検証から、「ヤヘー岩」が古代聖地として名高い高千穂に結び付いていたことが見えてきます。地図上において伊平屋島の「ヤヘー岩」から北東方向に位置する南西諸島の宝島の女神山に向けて線を引くと、その延長線上には鹿児島の桜島があります。そこからさらにそのレイラインを北へ延ばすと、古代聖地として知られる高千穂神社へと至ります。つまり、伊平屋島「ヤヘー岩」は、宝島の女神山と桜島を経て、高千穂へと結ばれていたのです。
高千穂神社が鎮座する聖地には、もうひとつの重要なレイラインも存在します。それは古代の霊峰である四国の石鎚山と、鹿児島の中甑島のヒラバイ山を結ぶレイラインです。高千穂神社はこの石鎚山とヒラバイ山を結ぶ線と、「ヤヘー岩」、女神山、桜島を結ぶレイラインが交差する地点に建立されていたのです。つまり、九州中にある高千穂の聖地は、「ヤヘー岩」を起点とするレイラインと石鎚山のレイラインが交差する地点として見出されたと推測されます。
「ヤヘー岩」と出雲、諭鶴羽山のレイライン
伊平屋島ヤヘー岩と船木神社のレイライン
「ヤヘー岩」を通る2つ目のレイラインは、「ヤヘー岩」と古代の海洋豪族である船木一族の拠点とされる鹿児島西日置市の船木神社を結ぶ線です。このレイラインを北に延ばすと、出雲大社を正確に通ります。また、南へ延ばすと伊江島の中心に聳える城山を通り抜けています。つまり「ヤヘー岩」のレイラインは、出雲大社と船木神社を結ぶだけでなく、琉球の城山とも一直線に繋がっていたのです。このような地理的配置を、古代の人々は重要視していたと考えられます。
さらに3つ目のレイラインは、「ヤヘー岩」と、古代、オノゴロ島とも考えられていた可能性のある徳島県の小松島市の日の峰山を結ぶ線です。このレイラインの延長線上には、国生み信仰や修験道の聖地として崇められてきた淡路島の霊峰、の諭鶴羽山が位置します。このように、「ヤヘー岩」はレイラインを介して、出雲、高千穂、諭鶴羽山、日の峰山、そして宝島の女神山や船木神社とも結び付いていたのです。
諭鶴羽神社 山頂からの景色
3つのレイラインを通して、「ヤヘー岩」が、高千穂や出雲の古代聖地だけでなく、諭鶴羽山、日の峰山、城山、桜島、ヒラバイ山などの霊峰や、船木神社などの聖地とも一直線に結ばれていることが、今日でも地図上で確認することができます。これらの繋がりを、古代の人々は何らかの方法で把握していたのかもしれません。そして「ヤヘー岩」は、伊平屋島を代表する重要な地の指標として重宝されるようになり、神聖な名称を持つ岩として「ヤヘー岩」と呼ばれるようになったと推測されます。
「ヤヘー岩」の意味は「神の岩」
高天原と高千穂、出雲のレイライン
伊平屋島北端の海岸沿いにある巨石は、島の重要な地の指標として古くから重視され、いつしか「ヤヘー岩」と呼ばれるようになりました。その語源には定説はありませんが、ヘブライ語に由来する可能性が高いようです。「ヤヘ」「ヤヘー」は、ヘブライ語で神を表すיהוה(yhwh、ヤ―ウェー) の読み方のひとつです。したがって、「ヤヘー岩」はヘブライ語では「神の岩」を意味していたことになります。
伊平屋島最北端にあるこの岩場は、実は琉球諸島全体に関わる北方の重要な指標だったのです。その場所は、出雲や高千穂、諭鶴羽山、日の峰山などの霊峰とレイライン上で結ばれ、さらに高千穂を交差するレイラインによって石鎚山とも結び付いていたのです。これらの古代霊峰と紐づけられた場所が、伊平屋島の「ヤヘー岩」です。そこは数々の聖地を結ぶ要衝として認識されていたことから、「神」が宿る、あるいは神に祝福された岩として、「ヤヘー岩」、すなわち「神の岩」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。
「ヤヘー岩」は古代から重要な地の指標であり、レイライン上においても重要な拠点として認識されていたと考えられます。そのため、この地は神聖な場所としてグスクが築かれ、神を祀る祭祀が執り行われるようになったと推定されます。だからこそ、この岩は「神」を意味するヘブライ語の「ヤヘ」にちなみ、「ヤヘー岩」と呼ばれるようになったのでしょう。

伊平屋島に住んでる者です。興味深く読ませて頂きました。
伊平屋は古い文献で『恵平屋(えへや)』と表記されている事もあり正しく記事の内容を裏付けているようで、驚きました。