ニライカナイ信仰とは
久米島のタチジャミ(立神)沖縄を中心とする琉球諸島では、古くから言い伝えられてきた「ニライカナイ」と呼ばれる神界に結び付く宗教概念があります。「ニライカナイ」とは「ニライ」と呼ばれることも多く、「海の彼方」を意味します。琉球神道の伝承によると、琉球諸島の先、遥か遠い東の海の彼方には、永遠の命に至る理想郷が存在しました。その場所は人が生まれて魂に命を得るだけでなく、魂が帰る死者の国でもあることから、神の島と考えられてきたのです。そして死者の魂は7代を経て一族の守護神になるという伝承から、「ニライカナイ」は祖霊が守護神に生まれ変わる場所として崇められてきました。
沖縄の神々は「ニライカナイ」からやってきたと古くから信じられてきたことから、その信仰心は沖縄に土着する伝統的な宗教観の中でも大切な要素を占め、今日まで至っています。それらの神々は人の住む島々を訪ねて祝福をもたらすと信じられてきました。その一例として沖縄に稲と火をもたらした神も「ニライカナイ」の神々であったと言い伝えられてきたのです。
ニライカナイの語源
沖縄東方に浮かぶ久高島のイザイガーニライカナイとう名称の語源については定説がありません。ごく一般的には「ニライ」は「根の方」を意味すると考えられています。それは日本神話における「根の国」のコンセプトにも通じるという説もあります。
「カナイ」については、その言葉の発音から、「彼方」のことを意味するという説や、「カナ」を「金」と解釈して「カナイ」を堅固な「金浦」の場所とする解釈する説などがあります。また、韻を踏んでいるために意味のない言葉であるという説もありますが、いずれも定かではありません。
ニライカナイ信仰とイスラエル宗教観の類似点
火で唇を神聖にするイザヤニライカナイ信仰の根底にある、「遥か遠い東方の理想郷」というモチーフは、イスラエルの宗教観とも通じるものがあります。何故ならイスラエルの民も、東方にある未知の世界には島々が存在し、それらが神から示された約束の地であることを信じていたからです。
その根拠は、イスラエル国家の宗教リーダーであり、南ユダ王国のヒゼキヤ王に仕えていた預言者イザヤに与えられた数々の預言の言葉から理解することができます。その預言書の中には、「東の海の島々で神を崇めよ」という一文が明記されています(イザヤ24章15節)。それ故、国家を失ったイスラエルの民はイザヤと共に船に乗ってアジア大陸の南岸を東方へと向かい、琉球界隈まで到来したと考えられます。しかし沖縄は目的地である「東の海の島々」の単なる玄関に過ぎず、その先さらに最終目的地に繋がる島々があるという認識を持っていたのです。その結果、沖縄から黒潮の流れに乗ってさらに東方へと向かい、日本列島の島々が見出だされて国生みの歴史へと繋がります。
つまり、遥か遠い東の海の彼方に理想郷の楽園があると信じる「ニライカナイ」信仰と同様に、イスラエルの民も、イザヤの預言に従って、アジア大陸の東方には「東の海の島々」が存在し、その玄関となる琉球諸島の先には、必ず永遠の命に至る神の理想郷、約束の場所があると信じていたと考えられます。よって、「ニライカナイ」信仰の背景には、イスラエルからの渡来者の存在があった可能性が見えてきます。どちらも遠い彼方に浮かぶ東の島を神の理想郷としていたのです。
「ニライカナイ」の語源はヘブライ語?
久高島のアグル御嶽もし「ニライカナイ」信仰のルーツにイスラエル人が関与しているとするならば、「ニライカナイ」という名称をヘブライ語で解釈することができるかもしれません。まず、「ニライ」はヘブライ語でניר(neer、ニー、ニラ) とאי(i、イ)という2つの言葉を混合した名称と考えられます。前者はイスラエルのキブツと呼ばれる集団生活の拠点を称する名前の頭3文字としても頻繁に使われる言葉です。ヘブライ語での原語の意味は「耕された畑」です。つまり「ニー」「ニラ」とは、穀物が収穫できる良地を象徴する言葉であり、それ故、イスラエルのキブツの名称に用いられています。また、後者の「イ」は島を意味します。すると「ニライ」とは、「耕された畑の島」、すなわち、食物が豊かで、居住しやすい楽園の島を意味することになります。
次の「カナイ」は、ヘブライ語で「取得」を意味するקנה(kanah、カナ)の語尾が変化したקנוי(kanooy、カヌイ)という言葉の可能性があります。この言葉には土地や名声を手にするという意味があり、土地を取得した後、その場所に永住するというニュアンスも含まれています。
これら2つのヘブライ語を合わせると、「ニライカナイ」の意味が明確になります。それは「耕された畑の島を得て長く住む」、という意味を持つ言葉であったと推測されます。すなわち「ニライカナイ」とはヘブライ語で、食物に溢れ、長寿を全うできる「理想郷の島」で永住することを意味していたと考えられるのです。それは正に、ニライカナイ信仰により信じてきた東方の楽園となる理想郷を指し、それこそ神がイザヤに約束した東の海の島々だったのではないでしょうか。
海上から眺める淡路島イザヤの一行が目指した最終の目的地である「東の海の島々」こそ、ニライカナイ信仰における「理想郷の島」と想定することにより、歴史の流れが少しずつ見えてくるようです。イザヤの一行は最終的に「東の海の島々」の最終地点となる淡路島に到達し、そこから国生みの歴史が始まります。そして初代の渡来者は国生みの神々と呼ばれるようになり、日本の歴史を塗り替えていくことになります。沖縄のさらに東方の彼方には、国生みの神々が開拓をはじめた美しい東の島々が存在しました。よって、ニライカナイの理想郷とは実在していたのです。ニライカナイ信仰とイスラエルを紐づけることにより、琉球の宗教文化と名称の意味が紐解かれ、古代史の真相が見えてきます。