1. ホーム
  2. 日本の島々と文化エッセイ集
2024/11/20

伊平屋島の古代聖地「ヤヘ岩」 レイラインの考察から認知された琉球の指標

沖縄県最北端の伊平屋島

沖縄県最北端の島 伊平屋島
沖縄県最北端の島 伊平屋島

伊平屋島は沖縄本島から北西方向41kmに位置する沖縄県、最北端の島です。沖縄島が那覇を中心とする憩いの島として古代から発展するにつれて、周辺の島々にも人々が船で旅するようになりました。そしていつしか伊平屋島にも人々が居住し、亜熱帯海洋気候にも恵まれた結果、島の平地においては古くから稲作が行われていたことが知られています。

伊平屋島には沖縄本島の北方にある運天港より1日2便、行き来するフェリー船で1時間20分かけて渡航します。面積は22平方キロメートルもある大きな島ですが、他の島々とは橋を通して繋がっていないこともあり、琉球諸島の離島の中でも大自然の美しさと島独自の文化がそのまま残されている島として知られています。2024年現在およそ1000人が島に居住していますが、日本各地の離島の状況と同じく人口減少に歯止めがかからず、少子高齢化が進んでいます。

伊平屋とは神を意味するヘブライ語?

伊平屋は漢字表記では恵平屋と書くこともあります。なぜ「イヘヤ」と呼ばれるようになったかは定かではありません。注目すべきは、島の名を逆さに読むならば、「ヤヘイ」「ヤへエ」となることです。この言葉の発音は、ヘブライ語で「神」を意味します。古代、イスラエルからの渡来者が新しい島を見出した際、そこを聖なる場所として「神」「ヤヘイ」と称し、そのへブライ語を逆読みして「イヘヤ」と呼ぶようになったのかもしれません。

久高島のアグル御嶽
久高島のアグル御嶽

もし、その解釈が正しいとするならば、伊平屋島は古くから「神の島」として知られていたことになります。そうであるなら島内には御嶽のような祈りの場所や、神を象徴する磐座などが存在し、今日でもその痕跡を確認することができるはずです。例えば神が宿る島として知られる沖縄本島の東南端、知念岬から5km少々の場所に位置する久高島には、男性が足を踏み入れることができない御嶽が複数存在し、古代から琉球の聖地として人々から崇められてきました。また、久高島は沖縄本島の斎場御嶽とも紐付けられ、昨今までイザイホーと呼ばれる宗教儀式が女性のみで執り行われてきたのです。

同様に、伊平屋島が琉球の聖地として考えられてきたのならば、その証として島内にも、人々の信仰に関わる何等かの痕跡が残されているはずです。

伊平屋島の象徴となる「ヤヘ岩」

伊平屋島の「ヤヘ岩」
伊平屋島の「ヤヘ岩」

伊平屋島が古代から重要視され、聖なる場所として考えられていたと推測される理由は、島の北方に位置する巨石の存在から知ることができます。伊平屋島北端の西側には、海辺に隣接する山の形の岩石があり、「ヤヘ岩」と呼ばれています。海岸から50mほどの短い距離に位置した「ヤヘ岩」には干潮時、海辺を歩いて渡ることができます。

伊平屋島は琉球諸島の最北端に位置することから、琉球から南西諸島を経由して日本列島を船で北上する際、出発の基点にもなりうる島でした。それ故、古代の民は、伊平屋島の北端に存在する天から滴り落ちてきたような岩石の形状に目を留め、そこを旅の目印としたのではないでしょうか。つまり「ヤヘ岩」は、船旅の指標として大切な場所だったと考えられます。

「ヤヘ岩」が重要視されたもう一つの理由が、グスクの痕跡が残されていることです。琉球の人々にとってグスクとは城であり、それは守りの象徴でした。「ヤヘ岩」の中腹には太古築城に関連するとも言われる石積みの跡が残っており、古くから「ヤヘ岩」に人が足を踏み入れて何かしら宗教儀式を行っていたことがわかります。そして外敵から島を守るため、琉球のグスクとして城のような役割を担っていたという伝承も残されています。よって、「ヤヘ岩」は堅固な守りの象徴でもあったのです。

直径100mほどしかない小さな「ヤヘ岩」、何故、古代より船旅の大切な指標としてだけでなく、グスクの伝承に繋がる石積みの城跡に見られるように、伊平屋島のお守りのような役目も果たしていたのでしょうか。その理由は、「ヤヘ岩」の位置そのものが、古代の人々にとって重要な意味をもたらしていたことに他なりません。「ヤヘ岩」の場所が極めて重要であり、地の指標として用いられたと考えられる根拠は、「ヤヘ岩」を通るレイラインの考察から垣間見ることができます。

「ヤヘ岩」と高千穂のレイラインを考察

伊平屋島ヤヘ岩と高千穂のレイライン
伊平屋島ヤヘ岩と高千穂のレイライン

レイラインとは、山や岬、島、神社など、複数の地の指標となる大切な場所が、地理上で一直線に結びついている現象です。日本列島に存在するさまざまな地の指標と「ヤヘ岩」とが、地図上のレイラインにおいて結び付いていることを確認することにより、何故「ヤヘ岩」が重要視されたのか、その理由となる地理上の位置付けを理解することができます。

まず、「ヤヘ岩」が古代聖地として名高い高千穂に結び付いていたことが、レイラインの検証からわかります。地図上において伊平屋島の「ヤヘ岩」から北東方向に浮かぶ南西諸島の宝島女神山に向けて線引きすると、その直線の先が鹿児島の桜島に当たります。そこからさらに、そのレイラインを北へ伸ばすと、古代聖地として知られる高千穂神社に繋がります。つまり伊平屋島「ヤヘ岩」のレイラインは、南西諸島の女神山と桜島を通じて、高千穂に結び付いていたのです。

高千穂神社が建立された聖地は、その地点を通るもうひとつのレイラインが存在します。それが古代の聖山である四国の石鎚山と、鹿児島の中甑島にあるヒラバイ山を結ぶレイラインです。高千穂神社は石鎚山とヒラバイ山を結ぶ線と、「ヤヘ岩」と女神山、桜島のレイラインが交差する地点に建立されていたのです。つまるところ、九州の山奥に神を祀る高千穂の聖地を見出せたのは、「ヤヘ岩」と石鎚山のレイラインが交差する場所を特定することができたからと推測されます。

「ヤヘ岩」と出雲、諭鶴羽山のレイライン

伊平屋島ヤヘ岩と船木神社のレイライン
伊平屋島ヤヘ岩と船木神社のレイライン

「ヤへ岩」を通る二つ目のレイラインは、「ヤヘ岩」と古代の海洋豪族である船木一族が拠点とした鹿児島西海外沿いの日置市にある船木神社を結ぶ線です。このレイラインを北方に伸ばしていくと、出雲大社をぴたりと通り抜けます。また、南方に伸ばすと伊江島の中心となる城山を通り抜けています。つまり「ヤヘ岩」のレイラインは、出雲大社と船木神社に結び付いていただけでなく、琉球の城山とも繋がりを持っていたのです。このような一直線の並びを古代の民は重要視していたと考えられます。

さらに三つ目のレイラインは、「ヤヘ岩」と、古代、オノゴロ島とも考えられていた可能性のある徳島県の小松島にある日の峰山を結ぶ線です。このレイラインの延長線には、記紀にも記されている古代の聖山、淡路島の諭鶴羽山が存在します。

諭鶴羽神社 山頂からの景色
諭鶴羽神社 山頂からの景色

つまり、「ヤヘ岩」はレイラインとの繋がりを通じて、出雲と高千穂、諭鶴羽山、日の峰山、そして宝島の女神山や船木神社とも結び付いていたのです。

三つのレイラインを通して、「ヤヘ岩」が、高千穂と出雲の古代聖地だけでなく、諭鶴羽山、日の峰山、城山、桜島、ヒラバイ山などの山や、船木神社などの聖地と繋がっていたことを、今日でも地図上で確認することができます。これらの繋がりを古代の人々は理解する術を知っていたのかもしれません。いつしか「ヤヘ岩」は、伊平屋島の重要な地の指標として重宝されるようになり、神聖なる名称として「ヤへ岩」と呼ばれるようになったと推測されます。

「ヤヘ岩」の意味は「神の岩」

高天原と高千穂、出雲のレイライン
高天原と高千穂、出雲のレイライン

伊平屋島北方にある海岸沿いの巨石は、いつしか「ヤヘ岩」と呼ばれるようになりました。その語源には定説はありませんが、おそらくヘブライ語がルーツとなっている可能性が高いようです。「ヤヘ」「ヤヘー」とはヘブライ語で神を意味するיהוה(yhwh、ヤ―ウェー)の読み方のひとつです。よって、「ヤヘ岩」という名は、ヘブライ語では「神」の岩を意味していたことになります。

伊平屋島の最北端にある岩石からなる岩場は、実は琉球諸島全体に関わる北方の大切な指標だったのです。その場所は、出雲や高千穂、諭鶴羽山、日の峰山などの霊峰とレイライン上で一直線に繋がり、また、高千穂を交差するレイライン上では石鎚山とも結び付いていたのです。これらの古代霊峰と紐づけられた場所が、伊平屋島の「ヤヘ岩」が存在するスポットです。そこは数々の聖地の力が結ぶ着き、地の力が結集する場所であったことから、「神」が祝福された地に存在する美しい岩場として、「ヤヘ岩」、すなわち「神の岩」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

「ヤヘ岩」は古代から大切にされた地の指標であり、レイライン上においても重要な拠点であることが知られていました。よって「ヤヘ岩」は神が祝福された地として、そこにはグスクと呼ばれる城が構築され、神を祀る儀式が執り行われる神聖な場所として認知されるようになったと推定されます。だからこそ、岩の名称は「神」、ヘブライ語で「ヤヘ」と呼ばれるようになったのです。

コメント
  1. 田名区民 より:

    伊平屋島に住んでる者です。興味深く読ませて頂きました。
    伊平屋は古い文献で『恵平屋(えへや)』と表記されている事もあり正しく記事の内容を裏付けているようで、驚きました。

コメントする