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2024/11/15

御嶽信仰と斎場御嶽のルーツ 神が降臨する聖地の象徴となったセーファの岩

琉球諸島の御嶽信仰とは

大庫理ウフグーイ 斎場(セーファ)御嶽
大庫理ウフグーイ 斎場(セーファ)御嶽
沖縄の宗教文化の根底には、御嶽(ウタキ)信仰があります。琉球諸島に浮かぶ島々の随所には、古代から集落ごとに御嶽が存在しました。御嶽の場所は雨乞いできる岩石の下や岩間、泉や森の空間などに見出され、神が降臨する聖地として祭祀活動が執り行われてきたのです。

今日でも御嶽では地域の祭事が催されることが多く、中には世界遺産として認知された斎場(セーファ)御嶽のように、王国時代では最上級の聖所として、国家の最高神職により管理されていた御嶽も存在します。これらの御嶽の多くは、古代から琉球で踏襲されてきた宗教文化のしきたりに従って、ノロと呼ばれる女性祭祀らにより管理されてきました。

御嶽(うたき)と呼ばれた所以

沖縄本島周辺の古代遺跡
沖縄本島周辺の古代遺跡
何故、島々に存在する岩場を祈りの場と定め、そこを御嶽「ウタキ」と呼ぶようになったのか、その由来には定説がありません。御嶽は大小の岩石を中心とする岩場であることから、その名称の背景には何かしら岩に関わるモチーフが秘められていることに違いはないでしょう。

日本列島では、古代より岩石を神として崇拝する信仰がありました。大自然に育まれたその美しい岩の形状こそ、神の威厳を象徴するに相応しい容姿と考えられたのかもしれません。それらの岩石には神が宿るだけでなく、自然の美しさも兼ね備えていたが故、いつしか岩石の周辺は祈りの聖地として人々から崇められ、御嶽と呼ばれるようになったと考えられます。

御嶽の語源はヘブライ語?

御嶽(うたき)の語源には定説がありませんが、おそらくその言葉のルーツは、ヘブライ語のעתהקי(utahki、アタキ、ウタキ)、もしくはעתיקי(utiki、ウティキ)であると考えられます。その言葉の意味は「古代」です。つまり、古くから踏襲されてきた人々の信仰による祈りを象徴するような言葉と想定されます。

十戒が書かれた石板を持つモーセ
十戒が書かれた石板を持つモーセ
この言葉のルート語となるעתקの3文字からなるヘブライ語には、創世記12章8節にも使われているように、「取り除く」という意味合いも含まれています。それ故、「ウタキ」という言葉には、罪、穢れを取り除くために祈る、という思いが込められているかもしれません。それは聖なるイスラエルの民の群れから祝福が取り除かれてしまわないように祈り求めることを示唆し、その祈りの場所が御嶽と呼ばれるようになったとも考えられます。

西アジアの故郷を遠く離れ、海を渡って東の島々に浮かぶ琉球まで辿り着くも、時間の経過とともに、新天地にてイスラエルの信仰と文化を保ち続けることは、極めて難しかったと想定されます。その結果、イスラエルから渡来した多くの人は、古くから民族が大切にしてきた「十戒」の教えから離れてしまいがちであったことは、想像するに難くありません。よって、神に祈りを捧げ、国家の再生と信仰の復興を願い求めて祝福を祈る場所が、「ウタキ」と呼ばれるようになったようです。

御嶽「ウタキ」とは、古き良き時代に思い寄せる「古代」を意味するヘブライ語が語源です。その言葉の背景には、人々が神の教えから離れ、祝福が取り除かれてしまわないように日々、祈り求めることの大切さが込められていたのです。

斎場(セーファ)御嶽のルーツに迫る

斎場御嶽の三庫理(さんぐぅい)
斎場御嶽の三庫理
琉球諸島に数多くある御嶽の中でも、世界遺産として認定された斎場御嶽は、最も有名です。今日では斎場という名称は「セーファ」と発音され、一般的には「最高位」を意味すると言われていますが、その根拠は定かではありません。しかしながら、その言葉の意味はヘブライ語で読み解くことができます。

「セーファ」とは、巻物、タブレット、十戒の巻物を意味するספר(sefar、セファ)というヘブライ語を本来の語源と考えることにより、言葉の意味をより良く理解できます。注目すべきは、ヘブライ語の「セファ」に境界地帯やフロンティアという意味も含まれていることです。すると神が住まわれる天界と人間の属する地上界との境目を、「セファ」と解釈することができます。よって、その境目に神が降臨するとことを願い、斎場御嶽と呼ばれるようになったと推測できます。つまり、神の臨在を示す最高位の御嶽であることを見事に一言で言い表す言葉が斎場(セファ)だったのです。斎場御嶽では、斜めに折り重なる三庫理(さんぐぅい)の巨大岩石が、その聖域を象徴していることになります。

「サヤハタケ」と「ヤハラヅカサ」の謎

沖縄南城市 ヤハラヅカサの立石
沖縄南城市 ヤハラヅカサの立石
斎場御嶽は知念村のサヤハ原に在り、「サヤハタケ」「サイハノウタキ」とも呼ばれています。また、琉球の創生神、アマミキヨが最初に足を運んだ「ヤハラヅカサ」の拝所も、御嶽近くの南城市、百名の浜の海中にあります。どちらの呼び名にも、「神」を意味すると考えられる「ヤハ」という文字が含まれており、「ヤーウェー」「ヤハウェー」という神の名に由来している可能性が考えられます。

「サヤハ」はヘブライ語で「喜ぶ」を意味するשש(sas、サッ)に「ヤ」の語尾が足された言葉であり、「神を喜ぶ」の意味になります。また、「ヤハラヅカサ」の「ヤハラ」については、ヘブライ語で「山」、「台」そして「土塁」や「突き出した部分」を意味するהר(har、ハー)がそのルーツにあるようです。その言葉に「神」を意味する「ヤ」を足すことにより、「神の山」もしくは「神の立石」を意味するようになります。「ヤハラヅカサ」という言葉も、神を象徴する岩石の容姿を言い表すのに相応しいヘブライ語の名称であったと考えられます。

淡路島の神籬石や、大湯環状列石の中心石など、天を指して真っ直ぐに立っている磐座は少なくありません。「ヤハラヅカサ」においても同様に、岩石が天に向けて立っていたことから、古代より聖なる指標として認知されるようになったと推測されます。これらの岩石は神の存在と結び付けられることにより、信仰の対象となる磐座として人々から崇められるようになります。こうして日本では古代より信仰の対象として列島の随所で岩石が崇拝され、日本固有の岩石に纏わる宗教文化として広まりました。

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