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2026/05/12

片仮名が草案された背景 ヘブライルーツが導入された片仮名の成り立ちを探る

平仮名と片仮名は漢字を基に考案されたか?

日本語の文字として日常用いられている平仮名と片仮名は、一般的には漢字を省略、もしくは草書化するという過程で、平安時代に考案されたと考えられています。ところがその読み方と文字の形に合致する漢字が複数ある中で、なぜ特定の漢字が選ばれたのか、またその基準は何かということに関しては定説がありません。

例えば「あ」と読むことのできる漢字は「亜」「阿」など複数あり、これらの漢字からどのようにして一つの漢字が選ばれ、日本固有の文字の原型となったのでしょうか?数ある漢字の中から仮名文字の形状に類似しているものを選び、それが仮名文字の基となったと想定するに留まっています。

漢字が「真名」と呼ばれるようになった理由

『神国神字弁論』に記載される阿比留草文字
『神国神字弁論』に記載される阿比留草文字
日本古代の文字としては、アヒル文字と呼ばれる神代文字が史上最古であるという見解もありますが、定説では大陸より持ち込まれた漢字が、日本で用いられた最初の文字ではないかと伝えられています。これらの漢字は仮名文字が創作された頃から「真名」と呼ばれました。漢字と仮名が時に対比するようになった結果、漢字を「真名」と呼ぶようになったのでしょうか。やがて仮名文字は漢字表記の補助的な役割を担いながら、次第に独立した日本固有の表音文字として用いられ始めます。

「マナ」と言えばイスラエルの民が荒野をさまよい歩き、約束の地であるカナンの地へ旅している途中、神が天から降らせた食物の名前として有名です。「マナ」の原語を直訳すると「これは何」となり、それは神から与えられた命の賜物を意味しています。旧約聖書申命記にはマナが与えられた理由として、「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった」と記されています。

現存最古の新約聖書の写本の一部
現存最古の新約聖書の写本の一部
マナは命の象徴であり、神の言葉に直結する意味を含んでいたのです。新約聖書においては「言葉には命がある」という記載も見られ、イエスキリスト自身も、「わたしは天から降って来たパンである」、「朽ちる食べ物のためではなく、永遠のいのちに至る食物のために働くがよい」と語られたのです。「マナ」とは「永遠の命」に至る食物を象徴し、人は神の言葉によって生きるという教えに繋がっていたことからも、「マナ」と「言葉」の関連性を窺い知ることができます。

漢字が当初「真名」と呼ばれた背景には、象徴的な意味付けがあったと考えられます。天から降ってきた無数のマナをイスラエルの民が食べて生きながらえたように、大陸より紹介された多くの漢字から知的な恵みを得て、日本の文字文化が息吹き始めたことを意味しているのかもしれません。そして、これらの漢字を「真名」と呼び、日本の文字文化の基盤となるべく「命の言葉」と表現した可能性があります。また、日本古語で愛をマナと読んだ理由も、神の賜物や永遠の命というテーマに関係していたのではないでしょうか。こうして多くの渡来人の流入とともに、漢字文化は人々の間で急速に普及していくこととなります。

ヘブライ語と同じ22の子音を持つ仮名文字

クムランで発見された最も長い死海文書のひとつ
クムランで発見された
最も長い死海文書のひとつ
「真名」という言葉に象徴されるように、古代日本文化の根底には、イスラエルの文化が息づいていました。その一例を日本語の文字体系に見出すことができます。ヘブライ語のアルファベットは、22の子音と「アイウエオ」と同じように発音される5つの母音から成り立っています。日本語の文字にも「あいうえお」と読む5つの母音があり、それに9文字の子音を組み合わせ、最後に「ん」を加えた文字列から構成されています。

そして興味深いことに、「だ」「ぱ」などの濁音と半濁音が含まれる文字や、「じゅ」「みゃ」などの拗音を伴う文字を独立した子音と捉えるならば、子音の総数は22になります。例えば「ぴゅ」という文字は、「は行」の「H」という子音に属するのではなく、「PY」という別の子音に「う」の母音を足してできた字と考えるわけです。そうすることにより、新しく子音が13種類加わり、日本語の仮名文字もヘブライ語と同じく22の子音数を持つことになります。さらに仮名文字は片仮名に限らず平仮名も含めて、その原形となる古ヘブライ文字や古アラム文字の形状に酷似しているのです。これらはすべて、単なる偶然ではなかったようです。

古代日本に持ち込まれたヘブライ文字

十戒が書かれた石板を持つモーセが描かれている
十戒が書かれた石板を持つモーセ
前8世紀、イスラエルの北王国がアッシリアの攻撃を受けて崩壊した後、南ユダ王国も壊滅し、多くの難民がイスラエルを出国して世界各地へと離散していきました。そして東の果てまでアジア大陸を横断し、そこから船に乗ってさらに東に浮かぶ島々、日本列島まで到達した民も少なからず存在したと考えられます。中には西アジアの港から船を用い、大陸の海岸沿いを航海して日本列島まで辿り着いた民もいたことでしょう。もしその仮定が正しいとするならば、すでに高度な文明を有していたイスラエルからの渡来者により、彼らが用いていた固有の文字が古代の日本社会にもたらされていたはずです。とりわけイスラエル系の民は文字を重んじ大切に扱ってきた民族であり、モーセの十戒に代表されるイスラエルの律法や預言書を神聖なるものとして厳重に保管していたと考えられています。そのため、彼らはそれらの文献を携えてきたに違いありません。それゆえ、読み書きができる者はごく僅かな一部の律法学者に限られていた古代社会ではあっても、イスラエル民族固有の文字が日本列島に持ち込まれたと推定できるのです。

無論、当初はイスラエル系渡来者の数は少なく、特にイスラエルから旅する途中、どこにも滞在せず、直接日本列島まで到来した人々はごく僅かであったことでしょう。また、列島に移住した際、イスラエルの民が拠点とした地域も、渡来者の総数が少ないだけに限定的であったと考えられます。さらに、離散したイスラエルの民は、自らの痕跡を移住先の拠点に留めず、その存在が知られないようにしていると噂されるほど、歴史に爪痕をほとんど刻まれないまま今日に至っています。

それゆえ、古代の日本社会において、いつ、どこに、イスラエル系の渡来者が到来し、どのように生活したかを知るためのデータを見出すことは困難です。しかしながら、日本書紀や古事記に記載されている神々が旅する移動経路や、物語の舞台となった地域や集落、そして文化的背景や、さまざまな状況証拠などを手掛かりから、そのヒントを見出すことは可能です。そしてそれらのデータから、彼らが単に日本に渡来しただけでなく、地域文化の形成や発展にも貢献をしていたことを推察することができます。その最も顕著な事例のひとつが、日本固有の文字と言われる仮名文字の存在です。

飛鳥、奈良時代に紹介された漢字文化

昨今の人口統計学の研究によると、弥生時代後期における大陸からの移民の数は100万人とも言われています。確かに膨大な数に上る渡来者が朝鮮半島を経由して日本列島を訪れたことは事実であり、その結果、弥生時代の歴史が古墳時代、飛鳥時代、そして奈良時代へと一気に移り変わっていきました。突如として訪れ始めた多くの渡来者の中には、中国で高度な教育を受けた知識層も含まれており、必然的に漢字文化が古代の日本社会に紹介されることとなりました。そして渡来人を中心とする学者の間では、有無を言わさず、漢字が主要な文字として使われるようになったのです。これら新たな渡来者の波に押され、遥か昔に日本列島へと移住してきた初代イスラエルの民の存在は、次第に歴史の中に埋もれていくことになります。

遣唐使船
“遣唐使船”by PHGCOM at zh.wikipedia
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日本と中国との文化交流が深まり、文字文化の象徴である漢字や、大陸に由来する宗教文化などが矢継ぎ早に国内に流入した飛鳥、奈良時代において、中国の優れた文化の日本への導入は、もはや国家にとって不可欠であったことは言うまでもありません。しかも日本に居住する多くの知識層は大陸で既に高度な教育を受けてきた渡来人、あるいはその二世、三世であったと考えられます。そのため、高度な学問については中国で習得するか、もしくはそのコンテンツを日本においても学び続けるという図式が形成されていたのです。それゆえ、政権争いの渦中にあっても、遣唐使のように多くの学者・僧侶が大陸に旅立つことになり、中国との文化交流の過程において、漢字文化は知識層にとって基本的なコミュニケーション・ツールとして認識されていきました。さらに中国大陸からの渡来者の波が長年にわたって継続したこともあり、日本列島では中国文化に通じた知識層を中心に、漢字文化が普及していきました。

日本固有の文字が草案された背景

しかしながら、学問の基盤として既に認知された漢字ではあっても、所詮、中国語と日本語の間には言語として多くの相違点があり、文法も大きく異なっていました。また、漢字文化は一旦、知識階級層に普及するものの、日本固有の文字ではないため、いくつもの弊害が目立つようになります。例えば、中国語を学ばなければ到底理解できない書簡が出回ったことから、大陸で教育を受けてきた中国系の渡来者が圧倒的に有利な立場に置かれるようになってしまったことが挙げられます。さらに学問に限らず権力闘争に関わる内政や諸外国との交易においても、文字の活用と解釈が多大なる影響力を持ち始めました。その結果、中国語を理解しない在来の統治者、学者や住民などを不利な立場に追いやるなど、さまざまな問題が浮上し、国内に強い危機感が生じました。こうした状況を背景に、中国の漢字文化とは一線を画し、日本語の発音に適した日本独自の文字を創作し、それらを普及させることが望まれるようになったと推測されます。

古代日本においては漢字文化が日本に紹介されるより前に、文字文化を有するイスラエル系の渡来者がすでに列島を訪れており、その先住者によりヘブライ語を理解する文化の基盤が一部の地域に脈々と受け継がれていたと考えられます。やがて、日本語を文字で表記する必要性に迫られる中で、漢字文化が導入される前から、日本語をヘブライ語のアルファベットで表記することが試みられたのではないでしょうか。その際、先祖代々伝承されてきたヘブライ文字が流用された可能性が高いと考えられます。

特にヘブライ語は、子音と母音の組み合わせにより成り立つ言語であり、日本語と同様に「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」という五つの母音を共有しています。そのため、日本語の発音に準じて、それらにヘブライ語の文字を当てはめることは決して難しくはなかったのです。つまり、ヘブライ語の文字は、仮名文字を創作するための格好のお手本だったのでしょう。こうして仮名文字が体系づけられ、創作されるベースは遠い昔から着々と日本の土壌で培われていきました。

ところが1世紀前後を境にして中国大陸から新たなる渡来者の波が押し寄せ、瞬く間に中国語と漢字の導入が列島内で急速に進み、時代が一変します。新しい渡来者の中には、中国大陸に長年滞在した多くのイスラエル系の民も含まれ、中にはヘブライ語を流暢に扱うことのできる学者も少なからず存在したはずです。しかし、中国からの渡来者の波はその勢いを留めることなく、彼らが携えてきた漢字の文字文化は、あたかも日本語の主流となる言語であるかのごとく、中国語を母語とする知識層によって大胆に広められていったのです。その時代の急変に危機感を抱いた在来の民は少なくなかったことでしょう。特に文字文化えをすでに持っていたイスラエル系の民は、漢字のみが日本語の公式な文字となることに不安を覚え、日本語に相応しい日本固有のアルファベットを先住者である彼ら自身が創作し、それを普及させることを望んだに違いありません。

日本の文字文化に多大な影響を及ぼした秦氏

「秦河勝」秦氏の族長的な人物
「秦河勝」秦氏の族長的な人物
その願いを叶える原動力として貢献したのが、弥生時代後期から奈良、平安時代にかけて国内の政治や経済、文化など、多岐にわたり強い影響力を持った秦氏の存在でした。秦氏らを中心とするユダヤ系の有力者は前1世紀頃から朝鮮半島より大勢渡来するようになり、古代の日本社会で次第に頭角を現し、国家の中核となる朝廷においても大きな影響力を持ったのです。そして古来より列島にて育まれてきた少数民族によるユダヤ文化の芽は、秦氏らが携えてきた同族のルーツに絡むユダヤ文化の伝統を引き継ぐ風習に後押しされ、日本の土壌で息づくことになります。文字においても、秦氏らは中国大陸で教育を受けていたことから、代々中国語を読み書きできるだけでなく、祖国の言語であるヘブライ語も理解できたと考えられます。

漢字文化は日本文化の中核となる言語構成において圧倒的な影響力を及ぼすようになりました。また、朝廷の周辺勢力として政権に関わる有力者の間では、漢字に限らず、ヘブライ語や複数の大陸系言語を理解できる学者も大勢いたと推測されます。そして秦氏らユダヤ系の渡来者が政治経済に大きな影響力を与えるほどの勢力を持つにつれ、漢字文化に代わる日本固有の文字文化の基盤がヘブライ語を用いて培われていくことになります。

イスラエルに由来する日本の文字文化

万葉仮名文木簡(複製)
万葉仮名文木簡(複製)
大陸から海を渡ってやってくる渡来者が携えてきた漢字文化が知識層の間で徐々に公用化するにつれて、いつしか日本固有文字文化の必要性が問われるようになったことでしょう。しかしながら、すでに朝廷をはじめとする知識層の間では漢字文化が普及していたことから、日本語の発音を表記するに相応しいシンプル、かつ、わかりやすい固有の文字を創作しなければ、新しい文字を広めることは難しかったはずです。

日本語の文字を草案するにあたり、まず、文字の原型としてヘブライ語を用いることは、自らの民族ルーツを言語に残すという重要な証となるだけに、イスラエル系渡来人にとって大きな意味を持っていました。その結果、ヘブライ語と同じように子音と母音を組み合わせて日本語の発音にダイレクトに対応する表音文字を草案することが、原点になったと推測されます。そしてヘブライ語アルファベットや、その原点に関わるアラム文字など、当時、西アジア各地で普及していた文字を参考に、日本語の文字を体系づける努力がなされ、やがて片仮名が誕生することになります。こうしてイスラエルからの渡来者により、民族が先祖代々用いてきた文字文化に由来する日本固有の仮名文字文化が、その存在感を徐々に増していくことになります。

一般的には、片仮名は万葉仮名を起源として、漢文を和読するための訓点として万葉仮名と併用して用いられたのが最初ではないかと言われています。しかし実際には、その時代を遥かに遡る遠い昔から、仮名文字が考案される文化の基盤ができ上がっていたと考えられます。少数派のヘブライ系渡来人が古くから存在していた社会の中で、日本固有の文字文化が草案される環境は、大勢の渡来者が訪れ始めた弥生時代後期にはすでに整っていたとも考えられます。また、日本語の文字文化の必要性を踏まえると、仮名文字は長い年月をかけて徐々に体系づけられていったのではないでしょうか。そして、漢字文化が日本列島に広まるにつれ、その背後で培われてきたへブライ文化を土台とする仮名文字も台頭してきたのです。

表面的には中国の漢字文化に由来しているように見える仮名文字の文化ですが、実際その根底には、同じ大陸文化でありながらも、西アジアのイスラエル系文化が脈々と流れていたのです。つまり仮名文字とは、ヘブライ語アルファベットを参考にして考案された、古代日本における最初の、表音文字からなる日本語のアルファベットだったのです。そして仮名文字は漢字文化の流入とともに徐々に活用され始め、簡単で覚えやすい表音文字であることから、日本語の基幹となる文字文化の中核として、末長く普及していくことになります。

片仮名のルーツとなる古ヘブライ・アラム文字
(表1) 片仮名のルーツとなる古ヘブライ・アラム文字
※片仮名が草案された時代に用いられていたと考えられる
古ヘブライ語、古アラム語文字を網掛けで表記しています。

片仮名の定説に関わる疑問点を考察

片仮名は、平仮名が創作された平安時代と同時期に創作されたというのが定説です。そして、漢字の草書体から作られたと言われている平仮名とは異なり、片仮名は50音図を基に、漢字の一部をとって新たに創作された文字です。そのため「仮の文字」、もしくは「片方だけの仮名」という意を含めて、片仮名と呼ばれるようになったと一般的に言われています。

確かに漢字の一部分を流用して文字を形成したように見える片仮名は複数あるとように見受けられます。しかし実際に片仮名の形状に似た断片を含み、しかも類似した発音を持つ漢字の数は複数あるため、どのような理由や基準をもって特定の漢字が選別されたかを理解する術はありません。さらに漢字を基にした創作の経緯がはっきりしない文字も複数あることに気が付きます。例えば「キ」「シ」「へ」「ワ」「ン」など、漢字由来説ではその文字の成り立ちを十分に説明できません。

また、高貴な文学を綴るために用いられた平仮名とは別に、公文書など実務的に活用されるべく創作されたのがカタカナと言われています。しかしなぜそこまでして、平仮名と同様の表音文字を創作する必要性があったのか、答えに窮してしまいます。他の言語の例を見ても、外来語の文字を基に、ふたとおりの同じ発音を持つアルファベットを同時期に創作するというような事例は見当たりません。文字の創生は複雑であり、その普及と理解に時間がかかることを踏まえれば、用途別にアルファベットの文字セットを重複する形で考案するような無駄な作業が行われるとは考えづらいのです。さらに、日本の土壌においては漢字文化の受容がその根底にあったことから、それに加えて別途、2系統のアルファベットを考案するような必要性が本当にあったのでしょうか。従来の定説には多くの疑問が残されています。

平安時代に突然のごとく片仮名が日本の歴史に姿を現した背景には、その原型となる外来の文字形が当初から存在していたのではないでしょうか。そして、それらの文字形から日本語の発音に対応する個別の文字が選別され、その形状に多少の工夫を凝らした文字のデザインが片仮名の原型になった可能性が考えられます。従来は漢字がそのルーツであることが定説として謳われてきました。しかし前述したとおり、さまざまな疑問が残されているだけでなく、片仮名の成り立ち全てを説明することができないのです。漢字以外に片仮名の起源を説明する手段はあるのでしょうか。

片仮名の基となったヘブライ語

仮名文字を草案する際のベースとなった外来語を、遠い昔に日本列島を訪れたイスラエル系の渡来者がもたらしたヘブライ語と想定することにより、すべての片仮名文字の成り立ちをわかりやすく理解することができます。

前7世紀以降、日本列島には徐々にイスラエル系の渡来人が居住する目的で到来し始めました。それから長い年月を経て、渡来人によっても日本語が話されるようになるにつれ、やがて日本語もその発音のまま、相応しい表音文字を用いて書き記す必要性が生じたことでしょう。幸いにも、ヘブライ語と日本語は、共に「アイウエオ」と発音する5つの母音と子音の組み合わせによって文字が成り立っているため、ヘブライ文字を用いて日本語の発音に準じた表記をすることは簡単でした。それゆえに、同じ民族間でのコミュニケーションのツールとしても、古くからヘブライ語のアルファベットを用いて日本語が表記されたこともあったのではないかと想定されます。

こうして日本語の仮名文字は、ヘブライ語アルファベットを格好の模範として体系づけられ、最終的には、ヘブライ文字の子音に母音を組み合わせて文字形が整えられるようになったと考えられます。その結果、全ての片仮名文字はヘブライ語のアルファベット、及び、そのルーツに絡む同じ西アジア系に属するアラム語の文字形状の面影を残すこととなり、イスラエル系の民にとっては、大変馴染みやすく、覚えやすい文字として目に映ったことでしょう。片仮名で書かれた日本語ではありますが、ヘブライ語と同様の感覚で、きわめて容易に読むことができたのです。これまで片仮名は漢字の一部から草案されたと考えられてきましたが、実はその文字形状のルーツは全て、ヘブライ語に起因していたのです。

日本語の文字文化の一端を担う片仮名

その後の時代においては漢字文化の流入とともに、イスラエル系渡来人の間では、日本固有の文字の重要性が再認識されただけでなく、漢字では表記しづらい表音文字として使用頻度が急速に増えていくことになります。そして満を持して平安時代に至っては、公の文献でも用いられるようになり、日本語の文字文化の一端を担う存在として、片仮名は幅広く認知されるようになりました。そして後世に至っては、外来語の表記に用いられるだけでなく、近代までも漢文調のような格式を持つ公文書では、漢字と併用して片仮名が使われてきました。

これらの片仮名のルーツとなったと想定されるヘブライ文字の成り立ちについて、今一度、振り返ってみることにします。

ヘブライ文字の起源

ヘブライ語は元来、イスラエル人の言語であり、アラム語、フェニキア語とともにセム語派に属します。前14世紀頃、地中海周辺では村落間での物々交換において文字を使った伝達手段が発展し、フェニキア(今日のレバノン周辺) の地域を中心にフェニキア文字が使われるようになりました。そしてイスラエルもその文字文化の影響を大きく受けたのです。フェニキア文字は22 文字の実際の発音に準じるアルファベットから成り立ち、それがヘブライ語のアルファベットであるKetavIvriの原型になったと言われています。実際、フェニキア文字とヘブライ文字は、その子音が同数であるだけでなく、その形状もほとんど同じです。

この22文字により構成されるヘブライ文字は、例えば旧約聖書を執筆する際に使われました。そして前6世紀、南ユダ王国の民がバビロニア地方へ捕虜として連行され、バビロン捕囚の時代に至るまで、ヘブライ語を表記する文字として使用されていたのです。ところが国家が崩壊した後は、多くの民が世界各地に離散して行方がわからなくなっただけでなく、南ユダ王国の民の多くは異国の地、バビロンの捕囚となったことから、単一国家の言語としてヘブライ語を継承していくことが難しくなりました。その結果、ヘブライ語は周辺地域の言語の強い影響を受けるようになります。特に前7世紀頃から中近東全域において広範囲に普及し、使われ始めたアラム語の影響は大きく、徐々にヘブライ語の存在が歴史から消え去っていくことになります。

前5世紀、捕囚後の国家再建にあたり活躍した祭司エズラにより、古代のヘブライ文字の復興が試みられました。その過程で、文字の形状は従来の文字に類似するも、より角張ったアラム文字の形を参考に書き換えられたのではないかと言われています。そして一般的にはヘブライ文字に類似した形状のアラム文字が使われるようになり、ヘブライ人が所有していたパピルスや羊皮紙には、ごく普通にアラム語が記載されるようになったのです。こうして古ヘブライ文字は、時代とともに少しずつ形状を変化させながら一旦はアラム文字の影響を受けた書体に移行されていったのです。また、前1世紀頃までには死海文書に見られるような、今日、ヘブライ文字のアルファベットとして知られる角張った文字形に類似した書体も確認されています。ヘブライ語には日本語でいう楷書体のような文字の他に、その形状を多少くずした筆記体も多く見られ、それらは草書体とも呼ばれています。

その後、ヘブライ語とアラム語をベースにしたパルミラ語が、前1世紀から3世紀に全盛期を迎え、その文字形状からも、ヘブライ語の進化の様子が窺えます (表1参照)。これらの前7世紀から3世紀頃に普及したヘブライ文字やアラム文字、パルミラ文字などが、片仮名を草案する際のベースになったと考えられます。

片仮名成立過程の推測
(表2) 片仮名成立過程の推測
※母音と子音は古ヘブライ文字、及び古アラム文字を参照

ヘブライ文字から草案された片仮名

日本列島にイスラエル系の渡来者が訪れたのは、少なくとも前7世紀、イスラエルの北王国が崩壊した直後の時代まで遡り、それから何世紀にもわたり、移民の波は継続します。特に弥生時代後期にあたる前1世紀以降から3世紀にかけての渡来者の数は膨大であり、その中にはイスラエル系の民も多く含まれていたと考えられます。これらのイスラエル系渡来者によって西アジアの高度な文化が日本へ流入することになり、ヘブライ文字の文化もその例にもれず、初期の渡来者によって直接持ち込まれたと考えられます。そして、その後も継続して、ヘブライ語だけでなく、後のアラム語やパルミラ語まで、ヘブライ語の表記に使われていた文字体系が日本列島に紹介されたことでしょう。

メシャ碑文で使用されているものと同様のフェニキア文字
メシャ碑文で使用されている
ものと同様のフェニキア文字
片仮名のルーツとなるヘブライ語のアルファベットを振り返る場合、フェニキア文字をルーツとしたヘブライ文字からアラム文字、パルミラ文字、そしてより角張った楷書体の文字までを網羅した上で検証する必要があります。これらの文字は千年近い年月をかけて徐々に進化し、発展してきていますが、文字形状の類似性からしても、イスラエルの文化がさまざまな地域の文化圏と交流をもち、相互に深く関わりながら、それぞれの文化が発展した様相を垣間見ることができます。そのヘブライ文化の象徴でもある文字の延長線上に日本が存在し、列島においては、新たなる仮名文字の文化が開花したのです。

片仮名の形状を創作する方法は、必ずしも難しいものではありません。イスラエルの民が日本に渡来したと想定される時期に持ち込まれたと考えられる、ヘブライ語やアラム語のアルファベットに基づき、日本語の発音に対応する子音の文字、及び母音となる文字を選別し、それらを組み合わせてひとつの文字の形状にまとめるだけです。前述したとおり、ヘブライ語のアルファベットは時代とともにその形状を少しずつ変化させています。イスラエルからの渡来者が日本列島に訪れ、居住を開始した時期は前7世紀頃と想定されることから、ヘブライ語の文字を選別する際は、それから日本の弥生時代後期、古墳時代までのおよそ10世紀という長い期間にわたり使用されたと考えられる文字体系を検証する必要があります。

それら、片仮名を草案する際に用いられた可能性のあるヘブライ語の文字は、前6世紀に見られるヘブライ語のオストラコン、前6世紀以降の古代アラム語、前5世紀以降の帝国アラム語、そして死海文字やパルミラ語があり、全てが検討の対象になります。そして、これらのヘブライ語の文字体系をベースに、どのようにして片仮名が草案されたか推測するわけです。これら片仮名の原型となったアルファベットの文字は、(表1)に掲載されています。

長母音を表す4種の子音文字
Matres lectionis
-長母音を表す4種の子音文字-
また母音に関しては、今日では7世紀から9世紀頃にかけて、聖書に記載されているヘブライ語の文字を正しく発音するために、イスラエルのマソラ学者たちが考案したニクダーと呼ばれる母音記号が広く用いられています。しかしながら、片仮名が草案されたと考えられる時代においては、まだニクダーが存在しなかったため、それ以前のヘブライ語における母音表記方法が検討の対象とする必要があります。

ニクダーが使われる以前の時代、既に前十世紀には、4つの子音文字、アレフא、へーה、ヴァヴו、ヨッドיが、母音としても併用して使われていました。そしてא(アレフ、a)はa/e/o(ア、エ、オ)、ה(へー、h)もa/e/o(ア、エ、オ)、ו(ヴァヴ、v)はo/u(オ、ウ)、י(ヨッド、y)はi/e(イ、エ)の母音として用いられたのです。

これら4つの母音を「アイウエオ」に相当する母音として用い、それらを子音と組み合わせて統合することにより、新しい片仮名文字が草案されたと考えられます。西アジアの諸言語では、子音に付加される母音は、その下に記載されることが一般的ですが、言語や時期によっては母音が横や上部に付け加えられることがあります。それゆえ、片仮名の文字を創作するにあたり、母音の添付方法は、上、下、横、斜めと、およそ自由に、文字形を描きやすいように工夫されたと想定できます。また、場合によっては母音を落として子音だけの形状にすることもあったでしょう。このようにして日本語の発音に該当する文字は、ヘブライ語やアラム語のアルファベットに母音が足されて一体化され、その合作された文字の形状をわかりやすく整えることにより、片仮名の文字が完成されたのです。

ヘブライ語を基に片仮名を創作する視点

片仮名をヘブライ語の文字を基本にして創作する際、大事な視点は、ヘブライ語が読めるイスラエル系渡来人が見て、一目で識別できるように子音もしくは母音の原型を残しながら、文字形を工夫することです。その主だった事例をいくつか挙げてみましょう。

まず「イ」「コ」「ノ」「レ」のように、子音の字体をほぼ、そのまま流用できる場合があります。次に母音を足して合作する方法ですが、「ク」「ケ」「ソ」「ル」のように左側に足す方法や、「セ」のように右に足す方法、「シ」「チ」「ミ」「ラ」のように上部に足す方法、「ニ」「ユ」のように子音を横にして下部に足す方法、「ホ」のように文字の中心を上下に母音を交差させる方法、「ヌ」「メ」のように斜めに交差して足す方法、「オ」のように斜めに母音を足す方法があります。また、「タ」「ネ」「ワ」のように母音を子音の上にそのままかぶせる方法もあります。特殊な事例としては、子音を横にして、その下に母音を付加した「サ」「ヒ」「モ」のように子音そのものを反転した状態で文字形成したもの、そして「ロ」のように子音と母音を左右に並べて囲ったものもあります。

ヘブライルーツが隠された片仮名

全ての片仮名が、ヘブライ語やアラム語の文字と母音を合作した文字の形状に酷似していることは、一覧表を見れば明らかです。こうした点から、片仮名とヘブライ語は、元来、相互関係があったことを確認できます。しかしながら、片仮名はヘブライ文字やアラム文字をそのまま流用したかのように見えるため、文字の形状があまりにも似すぎてしまったのです。その結果、片仮名のルーツがあからさまに公開されてしまい、非イスラエル系の民の反発を招く危険性を孕んでいました。そうした背景から、そのヘブライルーツを隠蔽するために、あたかも漢字から創られたように見せかける必要があったのかもしれません。

そして最終的にはヘブライルーツがわかりづらく、より日本固有の独創性が際立つ文字体系の創作が望まれた結果、平仮名が考案されることになります。こうして片仮名はいつしか、漢字ベースの創作文字として長年にわたり位置付けられることにより、そのヘブライルーツの実態が今日まで忘れ去られることになりました。

コメント
  1. むむ より:

    変体仮名について知らずに書いてる記事ですね。
    この程度のレベルでは日ユ同祖論が眉唾な珍説の域を出ないのも納得です。

  2. rick より:

    ご意見ありがとうございます。平仮名の歴史については、これまで学術的な研究成果が発表されており、特に国語文学史研究会による著書、「国語文学史の研究四」に記載されている内容が分かりやすく、かつ、根拠が明確に解説されています。
    結論から申しますと、「既に常識となっているように、当初、平仮名は一音節一字体に近い体系を持っていた」と記載されているとおり、平安初期において複数のは字体が存在するも、平仮名はひとつのシンプルな字体にまとまる傾向があったことがわかっています。それが10世紀後半から初期の字体に交えて別の字体も用いられるようになり、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、頻用字体の複雑化が成り立ち、平仮名文字の体系が変っていくことになったとされています。
    本節においては、平安初期、空海によりヘブライ語のアルファベットを元の字体として平仮名が草案されたという仮説をたてております。よって、シンプルな平安時代初期に用いられた平仮名は、現代使われている平仮名の字体に類似していることから、そのまま使わせていただきました。今後、誤解のないように平安時代に用いられた平仮名文字の字体も表に列記することにしました。ご指摘、感謝します。

  3. ひろくん より:

    素晴らしい研究成果のシェアをありがとうございます。

  4. 大崎ニ実 より:

    >古代日本においては漢字文化が日本に紹介されるより前に、文字の文化を持つイスラエル系の渡来者が既に列島を訪れており、その先住者によりヘブライ語を理解する文化の基盤が一部の地域に脈々と受け継がれていました。
    →以前から、漢字が導入したあとで仮名文字が作られたという説に懐疑的でした。
    漢字が来るまで一切文字を持たないなどあり得ないですし、漢字にルビをふるために新たに仮名文字が考案されたというのも無理筋です。私も漢字到来前から仮名文字、若しくは仮名文字の原型があり、日本列島で広く使われていたと思います。
    遺伝子的にヘブライ人と日本人の共通性が示されると確かですが、渡来したであろうヘブライ人の人数とその後の中国大陸経由での渡来人(これは今の中国の漢民族とは異なる人だと思います)の数とで大きな差があるため、遺伝的には共通性が薄まってると思います。
    「日ユ同祖論」と揶揄されることが多いですが、いまの日本人は多くの民族があたかもシチューのように、漢方薬のように、ミックスされて形成されたと思います。
    「同一民族」というと語弊が生じやすいですが、日本人独特にミックスされた不思議な民族という意味で用いれば「同一民族」という表現もこれ又正しいと思います。
    いづれにせよ、「日ユ同祖」は夢がありますね❗️

  5. 和賀君計安塁 より:

    蝦夷語(アイヌ語)について調べていましたら、アイヌ語はヘブライ語と類似していると指摘している著書を見つけました。また、初期ヘブライ文字が古代の日本と関係しているようです(縄文後期)。アラビア文字も出土しているいるようです(3世紀の遺物)。調べ始めたばかりなのであまりわかりませんが、こちらに共有させていただきます。

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