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平仮名が考案された背景
平安時代の日本社会では、日本語を話すものの、それを読み書きする手段を持たない人々がほとんどでした。また、漢字の習得には多大な時間と労力を要するため、民衆の間で漢文を普及させることには限界がありました。一方で、学識と文才を兼ね備えた知識人や、高い教養を持つ女性も少なくなかったことから、日本語を綴りたいという願いは絶えることがありませんでした。
そのような社会的背景の中で、平安時代の初期、漢字を日常用いていた識者らによって平仮名が考案されたと考えられています。平仮名は女性的なイメージが強いため、宮中に仕えていた女房らによって考案されたのではないかという説もありますが、定かではありません。平仮名は、大陸より持ち込まれた漢字を参考に、それらを崩して簡略化して生み出された文字でした。それゆえ、使い続けるうちに、やがて平仮名の利便性と流麗な美しさが認知されるようになり、短期間のうちに知識人の間で普及していきます。
昨今の学術的な見解によると、平仮名は特定の人物が考案した文字ではなく、万葉仮名の草書体が長い年月をかけて変化し、自然に成立した文字と考えられています。一方で、平仮名が誕生した背景を振り返ると、その創作者として必ず名前が挙がる人物がいます。それが偉大な宗教家として知られる空海です。民間では古くから、空海を平仮名の創作者とする伝承も語り継がれてきました。なぜ、古代の人々は、空海を平仮名と結びつけたのでしょうか。本稿では、こうした伝承を踏まえながら、平仮名が成立した背景に迫ります。
空海が学んだ思想の背景
空海は奈良時代後期から平安時代初期に活躍しました。遣唐使として中国へ渡り、アジア大陸における最先端の学問や宗教を学んできました。当時の長安には仏教だけでなく、道教、ゾロアスター教など、東西の思想が集まっていました。特に当時、キリスト教の一派であるネストリウス派の景教が広められ、長安には大秦寺と呼ばれた景教の寺院もありました。そのため、国際都市であった長安で学んだ空海は、景教を含む西アジア系の宗教文化や思想などに触れた可能性が指摘されています。また、語学に卓越した才能を持っていた空海だけに、旧訳聖書で用いられているヘブライ語に関心を寄せていた可能性もあるでしょう。
帰国後、空海は朝廷の保護を受けながら、国内屈指の宗教家として人々の精神的な救済と文化の発展に尽力し、優れた書家としても皇室に仕えながら活躍しました。また、高野山を開山し、真言宗の総本山を創設したことでも有名です。さらに、空海が執筆した「声字実相義」は、キリスト教に準じた景教の聖典である新約聖書の「言は神」という教えに通じるものがあります。
これらの背景から、空海が平仮名を考案し、さらには「いろは歌」を作ったという説も、古くから語られてきました。これは空海が優れた思想家であり、言葉や文字に深い関心を持っていた書家として名声を博していたことに起因しているようです。それゆえ、「いろは歌」の作者についても空海説が広まりました。しかし、空海が平仮名を創作したことを示す史料は見つかっておらず、現在では伝説のひとつとされています。
平仮名の作者に纏わる現在の学説
現在の学説では、平仮名の成立は9世紀頃であり、空海の時代の直後と考えられています。そして、平仮名は空海という一人の天才により創作されたものではなく、多くの知識人や文人たちの努力や創意工夫により、長年にわたり漢字に工夫がなされて書き継がれる中で形成された日本独自の文字というのが通説です。つまり平安時代初期に、万葉仮名の草書体が発展する過程で、文字が徐々に簡略化されて仮名として書かれるようになり、時間をかけて文字が整えられていったと考えられています。
古代の人々が空海説を信じた理由
空海が平仮名の創作者であったことを示す確かな証拠はありません。しかし、平仮名が成立した平安時代において、草書、音韻や言語など、すべての分野において卓越した才能を発揮した人物が空海であったことも事実です。それゆえ、当時の人々には平仮名や「いろは歌」のような高度な作品を生み出せる人物として、空海が最もふさわしく映ったのでしょう。こうしたことから、空海を平仮名の創作者とする説が生まれ、空海説が語り継がれてきたのです。その理由としては、主として次の3点が挙げられます。
1.空海は偉大な能書家として知られ、平安時代より日本の「三筆」の一人として、名声を博していました。文字の成り立ちや描写を熟知し、達筆で、その美しさや表現力を深く理解していたと考えられるだけに、平仮名のような独創的かつ、流麗な美しい文字を創作できるのは、空海しかいないと思われるようになったのです。
2.平仮名の47文字すべてが盛り込まれている「いろは歌」は、「色は匂へど散りぬるを」と始まる美しい歌です。仮名文字を一字ずつ用いて優れた歌を創作するには高度な技巧が必要であり、そのような才能を持つ詩人は、当時の人々にとって空海以外に考えられなかったのです。
3.空海は語学の達人であり、日本語のみならず梵語や中国語なども習得し、言葉そのものの重みに深い関心を持ち、研究に取り組んでいました。そのため、日本語を表現するに適した日本独自の文字体系を創案する動機は十分にあり、複雑な漢字や万葉仮名とは異なる新たな表記方法の考案に関わったのではないかと推測されます。
空海説の真相
1.平安時代最高の書家
空海が生まれたのは774年であり、平安時代の初期、835年に亡くなっています。その時代が平仮名成立期と考えられる9世紀前半と重なっています。つまり、空海の生涯と平仮名の成立期はほぼ一致しているのです。しかし、空海が平仮名を考案したことを直接裏付ける史料は存在せず、現在では伝承の域を出ないと考えられていますが、平仮名の成り立ちと、「いろは歌」に含まれている折句を検証していくと、古代からの伝承に、何らかの史実が反映されている可能性が見えてきます。
まず注目すべきは、空海が平安時代において最も優れた書家であり、語学の達人であったことです。平仮名は漢字を草書体として簡略化することで成立しているため、その創作の背景には漢字や草書だけでなく、優れた書の技術も必要だったと考えられます。空海は「三筆」の一人として嵯峨天皇と並ぶ国内生粋の書家でした。また、漢字だけでなく、草書や梵字にも精通していたため、漢字を崩して平仮名を考案するために必要な文字知識を、誰よりも持っていたと考えられます。それゆえ、漢字を崩して新たな表音文字を生み出す素地を備えた人物として、空海の名が挙げられるのも不自然ではありません。
さらに、漢字習得の困難さを熟知していた空海は、漢字と片仮名の併用による漢文の普及に見切りをつけ、中国に由来する漢字だけに頼らず、日本固有の文字体系を作りあげることを目論んだのではないでしょうか。難しい漢字を学ばなくても、表音文字だけで日本語表記を完結させることを熟考した結果生まれたのが、平仮名です。日本語の発音に基づいて誰もが文章を読み書きできることを目指した空海だけに、平仮名が日本独自の文字として発展していく出発点を、空海に求める考えが生まれたのでしょう。こうして、空海が平仮名を創作したとする伝承が語り継がれるようになったのではないでしょうか。
2.空海の言霊思想と語学の達人
阿刀氏の出自として、幼き日々を四国の香川で過ごした空海は、奈良で活躍する著名な僧侶らを親族に持ち、多くの経典を学ぶ機会に恵まれていました。10代になってからは伯父を通して皇族との繋がりも深まり、若くして遣唐使に任命されます。そして中国では梵字や音韻学を学んだだけでなく、空海が師として仰ぐ恵果和尚の拠点である西安でも広まっていたキリスト教の一派であるネストリウス派の景教に触れ、ヘブライ語で記された聖書を学んだ可能性もあります。そしていつしか空海は、言葉や文字は単なる意思の疎通のためのツールではなく、宇宙の真理そのものを表しているという思想へと至ります。
言葉と音を重視する思想に基づき、誰もが簡単に学べる文字体系を整備しようとした空海の思いは、「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」に見ることができます。そこには、音、文字、言葉によって真理となることが論じられています。つまり、空海にとって、言葉は命そのものであり、「言葉が神」であり、言葉には神の霊が宿ると考えたのです。それは景教の聖典として中国大陸でも読まれていた新約聖書のヨハネ書にある「言は神であった」「この言に命があった」という聖句にも繋がる教えであり、後の真言密教への発展に繋がります。
例えば、「あ」という平仮名の最初の文字では、その音に宇宙の創造に関わる意義が宿ると空海は考えたのです。その思想は、新約聖書の黙示録に神が、「わたしはアルファである」と語ったと伝えられているとおり、アルファベットの最初の文字に全能者の思いが込められていることに由来しているかもしれません。そして空海は、言葉の音そのものに真理が宿るとして、真言と梵字、音写を重要視したのです。このような思想を踏まえると、空海が音を文字化して日本固有のわかりやすい文字形体を草案するには、十分な動機があったと考えられます。
3.空海と景教(キリスト教)との出会い
空海が遣唐使として中国に渡った際、そこで触れた可能性のある景教の教えとは、空海にとって小さい頃から耳にしていた内容であったかもしれません。なぜなら、空海の母は渡来系のルーツを持つ阿刀氏の出自であり、空海は叔父の阿刀大足からは儒教や漢学など、大陸ゆずりの高度な教育を日頃学んでいたからです。また、空海は伯父を通して若き日から皇族との繋がりも持ち、都を造成する際に手腕を振るった秦氏とも接していたと考えられます。その秦氏は自らを秦の始皇帝の末裔と称するなど、その出自については諸説あり、イスラエル系のユダヤとの関連を指摘する説もあります。
さまざまな言語の習得は言語学に卓越した知識を持っていた空海にとって馴染みやすいものであり、景教の聖典である聖書でさえも原語のヘブライ語で読みこなしていた可能性が考えられます。そして「言葉が神」であり、「言葉には神の霊が宿る」と確信した空海は、人々の心を潤いし、生きる力を与える言葉を広く伝えたいと願ったのではないでしょうか。そのため、命の言葉として多くの人々に宿すために、新たな文字体系の創作を天命と心得たのです。それゆえ、「魂が宿る言葉」をできるだけ短期間に、世間により広く普及させるために、誰もが容易に読み書きできる文字の創作に着手したのではないでしょうか。こうした考えが、後に空海が平仮名の創作に関与したとする伝承を生み出したのかもしれません。
平仮名とは難しい漢字を十分に習得していなくても、日本語の発音に基づいて誰もが文章を読み書きできることを目指して創作された、日本独自の文字体系だったのです。これは、片仮名とも共存することができる、新たな仮名文字の誕生を意味していました。空海が平仮名を創作し、平仮名47音を「いろは歌」にまとめたと想定することにより、思いもよらず平仮名の草案から「いろは歌」の創作までの流れが空海の存在を中心に繋がり、空海説の信憑性が高まるように思えます。
「いろは歌」に隠された空海の思い
平仮名の考案者が空海という説の根拠のひとつが、「いろは歌」の存在です。平仮名だけでなく、「いろは歌」についても古くから、空海が作者ではないかと言い伝えられてきました。これは、「いろは歌」ほど極めて美しく巧みに構成された字母歌を創作でき人物は、日本を代表する書家である空海しか存在しないと思われたからではないでしょうか。
「いろは歌」の特徴は、平仮名を一音ずつ重複なく用いながら使うだけで、七五調の「いろは歌」の韻律を完成させています。
いろはにほへと(7)
ちりぬるを(5)
わかよたれそ(7)
つねならむ(5)
うゐのおくやま(7)
けふこえて(5)
あさきゆめみし(7)
ゑひもせす(5)
このように「いろは歌」は、表面上では七五調に整えられた完成度の高い歌になっています。しかしながら、平安時代の和歌の基本は五七五七七調でした。それゆえ、「いろは歌」が七五調であることに違和感を抱き、その成立が平安時代よりも後であるという説が、昨今の研究では提唱されています。
ところが、「いろは歌」別の視点から読み解くこともできるのです。歌詞を5文字ずつ区切り、5x5の升目に入れて読むことにより、表面の七五調とは異なる構造が見えてきます。そこには五七五七七調に整えられた歌も隠されていたのです。升目に入れた「いろは歌」の歌詞を、横読み、斜め読み、縦読み、角読み、そして飛び石読みすると、そこに秘められている暗号文のような歌が浮かび上がってきます。「いろは歌」を五七五七七調で読むと、以下の歌詞になります。
いちよらや あゑさけゐつわ
とかなくて しすみこゐれり
いはほとなて
この歌詞の意味は、「いろは歌」の作者の背景を知るうえで、極めて重要な手掛かりとなります。なぜなら、その歌詞は、明らかにキリスト教の教理を知っている作者しか書けないものだからです。歌詞の内容は、あたかもキリスト教の根本的な思想を知っているかのごとく、その教えを綴っているように見えるのです。
その核心は、「咎なくて死す」という一節です。これは、聖書に記されているイエス・キリストの生きざまについて、綴られた言葉です。しかも驚くことに、「いろは歌」の作者は巧みな折句を用いて、「咎なくて死す」お方が、「御子」であることを告げているのです。そして大事な子が、何の罪もないのに死に至ったと、伝えています。その「御子」は「入りて葬られる」と続きますが、なぜか最後には「巌となって」いることが示されています。つまり、罪なくして死なれた御子が葬られた後、巌という新たな姿となって現れたことを、暗黙のうちに告げているのが、「いろは歌」が伝える秘められたメッセージだったのです。
平仮名と「いろは歌」は空海の作?
このような、聖書の記述に基づくイエス・キリストに関する内容を「いろは歌」の中に込めた人物は誰でしょうか。その有力な候補の一人として挙げられるのが、空海です。空海は、平安時代、中国大陸で景教文化に接した可能性が高く、かつ優れた語学力と書の才能を兼ね備えていました。景教の教えに触れ、イエス・キリストについて学んでいたとするならば、空海自身が「いろは歌」を書き上げ、その中に折句として信仰のメッセージを込めた可能性が考えられます。さらに、「いろは歌」を升目に入れると、その角の文字は「い」「え」「す」になっていることは注目に値します。この一致は偶然とは言い難く、空海が目論んだ功名なメッセージだったのかもしれません。
「いろは歌」の作者が空海という前提で考えると、「いろは歌」は47の平仮名全部を網羅した母字歌であることは重要な意味を持ちます。その事実から、平仮名そのものも、空海が考案した可能性が浮かび上がってくるのです。「いろは歌」が景教の影響を受けた空海の作品とすれば、平仮名の字形にヘブライ文字との体系的な関係があっても不思議ではないのです。むしろ、それは空海が中国大陸で接した異文化の知識を、日本独自の文字体系の創出に応用した可能性を示すものとも考えられます。
今後、「いろは歌」には景教的思想が込められていること、さらに平仮名とヘブライ文字の字形と体系的な関連が立証されるならば、平仮名の作成者が空海であったという説は単なる伝説ではなく、史実を反映した伝承としてあらためて検討されることになるかもしれません。
