伊那節の囃子詞「アバヨ」の意味は?
江戸時代、長野県の伊那地方で収穫されたお米を木曾へ輸送する際、その道中で唄われたのが「御嶽山節」です。そして時代の流れとともに、「御嶽山節」は伊那流の盆踊り唄として変化を遂げ、1908年頃には伊那節と呼ばれるようになりました。
伊那節では、「アバヨ」という囃子詞が唄われます。この掛け声のような囃子詞は、木曾路を往来した馬子らの挨拶にそのルーツがあると伝えられています。今日では「あばよ!」は「さようなら」を意味する言葉として知られています。しかし、この言い回しは決して綺麗な表現とは言えず、むしろ乱暴な言葉遣いとして受け止められることも少なくありません。また、「さようなら」を意味することから、一種の捨て台詞のような響きになってしまいがちです。
そのような、一見すると粗野な表現とも受け取られがちな「アバヨ」という言葉が、甲信越地方を代表する伊那節という民謡の囃子詞として用いられ、大勢の人々によって繰り返し唄われてきたのです。そう考えると、「アバヨ」を単に「さようなら」と解釈するだけでは、どこか不自然さが残ります。そこには何か違う思いが込められていた可能性があるのではないでしょうか。果たして古くから伝えられてきたこの言葉には、何らかのからくりがあり、今日とは異なる意味で唄われていたのでしょうか。
「父なる神」を意味する「アバヨ」
「アバヨ」の「アバ」は、ユダヤ教に言葉の起源があると考えられます。旧約聖書はヘブライ語と、その兄弟語であるアラム語で書かれています。そのアラム語で「父」を意味する言葉が、אבא(abba、アバ) であり、ヘブライ語でもほぼ同等の綴りであるאב(ab、アバ) と書きます。この「アバ」という言葉は祈りの言葉として知られ、神に祈り求める時や、「父なる神!」と祈る時に使われる言葉です。
そのため、イエスキリストもオリブ山で地にひれ伏して祈られた際、「アバ、父よ」と声をあげたのです(マルコ14章36節)また、使徒パウロもローマ人への手紙において、祈る時に「アバ、父よ」と神を呼ぶことの重要性について説明されています(ローマ書8章15節)。
日本に一番近い隣国の韓国では、「お父さん」のことをハングルで「アッパ」と言います。もしかすると、この「アッパ」の語源も聖書に書かれている「アバ」にあるのかもしれません。イスラエルからの渡来者の多くは、朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたとすると、朝鮮半島も古代、イスラエル文化の影響を強く受けたと想定されます。よって「アッパ」の語源がヘブライ語やアラム語であったとしても、何ら不思議ではありません。
さらに、その「父よ」を意味する「アバ」に、「神」を指す「ヤ」または「ヨ」という言葉を語尾に付け足すと、「アバヤ」、「アバヨ」になります。すると「父」と「神」が合わさり、「父なる神」を意味するようになります。その「アバヨ」というヘブライ語が引用され、伊那節の囃子詞として残されたのではないかと推測されます。したがって、伊那節の「アバヨ」とは、唄の中でひたすら「父なる神よ!」と祈り求める思いが込められた囃子詞と考えられるのです。
「アバヨ」が「さよなら」になった経緯
では、元来「父なる神」を意味する「アバヨ」がなぜ、日本語では「さようなら」を意味する挨拶の言葉として用いられるようになったのでしょうか。その理由は、ユダヤ人の挨拶言葉から理解することができるかもしれません。
ユダヤ人の挨拶には、神に纏わる表現が用いられています。たとえば「こんにちは」は、ヘブライ語でשלום(shalom、シャローム) と言います。この言葉には従来、「平安」「調和」「繁栄」などの意味が込められています。それゆえ、「シャローム」と挨拶を交わすことにより、相手に対して「(神様からの)平安がありますように」という祈りが含まれることになります。
また別れの際にも同様に「シャローム」という言葉を用いて、שלום(シャローム) またはהיה שלום(haya shalom、ハヤシャローム) と語りかけ、「神の平安がありますように」という願いを相手に伝えるのです。ユダヤ人が挨拶する際に交わす言葉の背景には、常に神の存在があります。
その神とは「父なる神」のことです。だからこそ、ユダヤ人が祈る時には「父なる神よ!」と始まることが多く、イエスキリストも同様に、「父なる神よ」と祈ったのです。したがって、「シャローム」「平安を!」という言葉には常に神の存在があり、「父なる神よ、平安を与えたまえ!」という願いが込められていたと考えられます。
このように、別れる際に用いられてきた「シャローム」という言葉には、「アバヨ・シャローム」という祈りの意味が込められていたことから、「アバヨ」も挨拶の意味として使用されるようになったと考えられます。そして時を経て、「さようなら」を意味する言葉としても使われるようになったと推測されます。「父なる神よ!」、「アバヨ」とは、いつも神に祈り求める思いを込めた言葉として、「シャローム」という挨拶の言葉に連なり、語られるようになったと思われます。その名残が、今日の現代語で使われている「アバヨ」という別れの挨拶に繋がっているのではないでしょうか。
伊那節
わしが心と 御岳山の
胸の氷は 胸の氷は いつとける
ア ソリャコイ アバヨ胸の氷は 朝日でとける
伊那節の元唄となる「御嶽山節」より
娘島田は 娘島田は ねてとける
ア ソリャコイ アバヨ
伊那節
ハァー天竜下れば しぶきに濡れる
正調伊那節より
(ハオイヤ)
持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠
(ハ ソリャコイ アバヨ)
