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2013/10/18

エルサレムに通じる甑島のレイライン

エルサレムへの想いが込められた甑島

前7世紀、祖国であるイスラエル北王国と南ユダ王国が崩壊する中、アジア大陸に沿って東方へ移動し、神の約束された「東の島々」を探し求めて日本列島へ到来した民が目にしたのは、琉球諸島から遠く北東へ、潮の流れに沿って連なる島々でした。そして、海原を恐れることなく勇敢に長い航海を続けた彼らは、瀬戸内海の東の果てに浮かぶ淡路島を見出したことでしょう。数々の島が列状に連なる光景は、イスラエルの民にとって、正に神の言葉に記された「東の島々」というメッセージが具現化したものと映ったに違いありません。また、淡路島には古代から注視されていた神籬石の存在もあり、列島の拠点を新たに見出すための貴重な指標として用いられることになります。

淡路島の神籬石のほかに、もうひとつの重要な指標として探し求められた場所がありました。それは、故郷エルサレムと同じ緯度に位置する離島です。那覇から船で南西諸島沿いを北上してきたイスラエルの民は、エルサレムが位置する北緯31度47分の緯度線を通過することになります。その緯度上に存在する島は、エルサレムとレイラインによって結ばれる場所として認識され、故郷の地の利を分かち合うことのできる重要な拠点として考えられたのです。

イスラエルの首都エルサレムと同じ緯度に位置する島は、鹿児島県の西方に浮かぶ中甑島です。甑島は上甑、中甑、下甑の3つの島から成り、中甑島の南側にはヒラバイ山と呼ばれる標高156mの小さな山があります。ヒラバイ山の緯度は31度46分であり、エルサレムとほぼ同じ緯度です。このように、中甑島はエルサレムとほぼ同緯度にあることから、海原を旅する人々にとっていち早く見出され、故郷イスラエルを想起させる貴重な指標として重要視されたのです。そして、中甑島南端にある小高い海沿いの山が、エルサレムの緯度に最も近い場所に位置していたことから、その山はイスラエル人を意味する「ヘブライ」という名称で呼ばれるようになったのではないでしょうか。さらに、長い年月を経て「ヘブライ」の読みは徐々に訛り、「ヒラバイ」と発音されるようになり、現在の「ヒラバイ山」という名に転化したと考えられます。

甑大明神が巨大な磐座である理由

甑島の「甑」は「コシキ」と読みます。その名は「続日本書紀」にも登場し、遅くとも8世紀には、「甑」という名前が南九州で使われていたことが知られています。「甑」とは、米などを蒸すために用いられる、せいろ状の土器を指す言葉であり、その形状から「甑形」と呼ばれています。島内には、その甑形を思わせる巨大な磐座が存在し、「甑大明神」として古くから地元住民から崇められていたことから、この磐座に由来して「甑島」という名が付けられたと語り継がれています。

ところが、実際に甑大明神を詳細に観察すると、それは単に自然岩ではなく、周到に岩が切り出されて造られた巨大な磐座の傑作のようです。確かに波や雨風により浸食されて削られた部分は少なからず見受けられますが、甑大明神の磐座真下や海水に浸かる海辺には無数の岩石が転がっており、そこには岩を割るための矢を打ち込んだと思われる跡が残っているものが少なくありません。人口も少ない鹿児島西端の離島で、しかも巨大な岩石を船で運ぶことが困難な古代において、中甑島でこれほど大規模に岩を伐る理由があったのでしょうか。もし他に目的がないとするならば、甑大明神は何らかの意図のもと、今あるような形を後世に残すべく、岩を切り出して作られた人工の作品である可能性があります。いずれにしても、人の頭をかたどったような甑大明神の姿は、天然の造形だけでは説明し難い印象を受けます。

では、甑大明神は何を目的として、古代、想像を絶する労力を費やし、この巨大な岩を削ったのでしょうか。イスラエルの要塞マサダを彷彿させるような巨大な岩石の上に立つこの磐座は、その正面が沖縄の方向を向き、あたかも南方から渡航する同胞を迎えるための指標として、創作された感があります。それはヒラバイ山の標高は意外にも低く、目印として認識しにくかったため、その場所を明確に旅人に明確に示す必要があったからではないでしょうか。そのために古代イスラエル人は、エルサレムとレイライン上で直結する甑島に、大規模な芸術作品を残すことを試みたのかもしれません。そして甑大明神は、遠くから誰が見ても一目でわかるように、王が冠をつけた形に似せたような姿に削られ、独特な形を有する巨大な磐座として、今日もその雄姿を誇示しています。

甑(こしき)の語源はヘブライ語か

しかしながら、なぜ、蒸し器として用いられた土器の形が「コシキ」と呼ばれるようになったのでしょうか。その語源はこれまで明らかにされてきませんでした。「コシキ」という言葉は実は、ヘブライ語に由来すると考えられます。日本語で「甑」は、鉢形の器の底に小さい穴が複数開けられた土器を意味します。この器を湯釜の上に載せると、穴からから立ち上がる蒸気によって内部の穀物を蒸すことができます。この甑の役割は、ヘブライ語で「コシキ」と呼ばれる仕組みと共通しています。חוסך(Khosekhet、コシキ)は節約、もしくは節約装置を意味し、具体的には、熱い煙が出る場所に水管を通し、その熱で水を加熱するような仕組みを指します。これは、甑における加熱の考え方と極めてよく似ています。すなわち、蒸気や煙などの外部熱源を利用して器を加熱するという発想です。このような「コシキ」の仕組みは古くから伝承され、やがて蒸気熱で加熱する器も、煙で過熱する管と同様に「コシキ」と呼ばれるようになったのでしょう。そして、その器が島で広く用いられ、さらに甑の形状にも見える巨大な磐座が信仰の対象となったことから、島そのものも「コシキジマ」と呼ばれるようになったと考えられます。

甑島のレイライン

古代、「東の島々」を船で渡り廻り、各地に拠点を見出すために旅したイスラエルの民にとって、ヒラバイ山が極めて重要な役割を果たしていと考えられます。そのことは、レイライン上で甑島、淡路島、そして諏訪湖畔に造営された諏訪大社が一直線に結び付いていることからも知ることができます。ヒラバイ山から淡路島の神籬石に向けて線引きをすると、そのレイラインは北東方向に延び、諏訪大社の御神体と伝えられる守屋山と、諏訪大社の前宮本殿が存在する場所を通り抜けます。そして守屋山の山麓近くには、古代集落として名高い阿久遺跡も広がっています。つまり、中甑島のヒラバイ山は、淡路島の神籬石を通じて、延長線上にある守屋山および、諏訪大社の前身である前宮本殿へと結び付けられていたのです。

守屋山の「モリヤ」という名称は、アブラハムがイサクと一緒に登った山と同じ名称です。また、ミシャクジ神の「ミシャク」は「イサク」という名に由来するという説も古くから唱えられています。さらに本来の語源はおそらく、ヘブライ語で守護、守りを意味する「ミシュマー」という言葉に、イサクの名をヘブライ語で逆読みした「クッシ」「クジ」を語尾に付加した「ミシュマクジ」であり、それが転じて「ミシャクジ」と発音されるようになったとも考えられます。つまり、「ミシャクジ」とは「イサクの守り」「イサクの守護」を意味するヘブライ語に由来し、古代の諏訪大社では、「イサクを守護する神」としてミシャクジ神が祀られ、人身供養の儀式が執り行われていたことになります。アブラハムによるイサクの奉献伝承が、いつしか諏訪大社の祭祀の中に取り入れられ、今日まで継承されてきたと考えることもできるでしょう。

甑島の指標と神籬石を結ぶレイラインは、諏訪湖湖畔に諏訪大社前宮の位置を正確に示しただけでなく、族長時代のイスラエルを彷彿させる祭祀が諏訪大社において今日まで伝受け継がれてきたことをも示唆しています。さらに、甑島のレイラインはイスラエルの都エルサレムとも紐付けられていることから、その延長線上に佇む諏訪大社には、イスラエルから渡来した人々の篤い信仰が込められたのかもしれません。そしてその古代の息吹は、今日でも諏訪大社の祭りや伝承の中に垣間見ることができるのです。

甑島のレイライン
甑島のレイライン

画像ギャラリー:甑島 / 甑大明神 / 諏訪大社 / 守屋山

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