「民謡の宝庫」なる福島県
東北地方は民謡の宝庫として知られています。福島県も例にもれず、「会津磐梯山」をはじめ、多くの民謡が存在します。特に福島の相馬地方は「民謡のふるさと」、あるいは「民謡の宝庫」とも囁かれてきた程、全国的に著名な民謡が沢山あります。
例えば手拍子に合わせて囃される「相馬甚句」、踊りながら唄われる「相馬盆唄」、民謡軍歌として著名な「相馬流れ山」、家を建てる時に唄われる「相馬土搗唄」、手を叩いて囃される「相馬二遍返し」など、福島県では多くの民謡が大衆に親しまれ、今日まで唄われ続けてきました。
「相馬二遍返し」のルーツとは
中でも「相馬二遍返し」と呼ばれる民謡のルーツは、羽黒山神社での月例祭で信者が唄ったことにあると伝承されてきました。信者が月例祭に集い、掛け合いで唄われた「羽黒節」が広まった際に、その囃子から転化して生まれた民謡です。そしていつしか、宴会、酒盛の席では必ずと言ってよいほど唄われるまでに民衆に受け入れられ、そのお囃子も自然と覚えられていったのです。
この囃子詞には、「ハー、イッサイコレワイ、パラットセ」という独特な発音をもつ囃子詞が含まれています。日本語とは到底思えないほど、不思議な言葉の響きがあります。無論、その意味は不明です。
長年にわたり、多くの人々が何故、このような意味の不明な言葉を口ずさんできたのでしょうか。誰も疑問に思うことなど、なかったのでしょうか。いずれにしても、日本語では意味のなさないこれらの囃子詞でも、外来語として捉え、ヘブライ語で読むと、その意味が浮かび上がってくることがあります。
「ハー、イッサイ」はヘブライ語か!
「相馬二遍返し」の中で繰り返し唄われる囃子詞は、「ハー、イッサイコレワイ、パラットセ」です。これらの囃子詞は日本語では意味のない言葉でも、ヘブライ語で読むと意味が通じる場合が少なくありません。早速検証してみましょう。
「ハー」はヘブライ語でהא(ha、ハ) と書き、「見よ!」を意味する感嘆詞です。旧約聖書の中でも、随所に使われている言葉です。
続く「イッサイ」はおそらく、イエスキリストを言い表していると考えられます。聖書時代から現代に至るまで、西アジアや東南アジアの中でも特にイスラム圏においては、イエスキリストのことを「イサ」と呼ぶことがあり、多くの文献にも記されてきました。これはギリシャ語の「イェスー」が訛って、「イサ」という名称に可変した言葉です。「イサ」は日本語の発音では「イッサ」とも聞こえます。囃子詞の「イッサイ」は「イサ」「イッサ」とほぼ同じ発音であることから、同様にイエスキリストを指しているという想定で続きの囃子詞を読んでいくと、自然な文脈として意味合いが通じることがわかります。
「イッサイ」はイエスを指しているという前提で「ハー、イッサイ」を読むと、囃子詞全体の意味が明確になります。それは、「見よ、イエスキリストを!」という思いを伝える言葉だったのです。新約聖書には、バプテスマのヨハネがイエスキリストに目を留めて、「見よ!神の子羊」と叫んだことが、ヨハネ書に記載されています。それと同じような気持ちと意味合いが込められた、信仰の言葉と考えられます。
「コレワイ、パラットセ」の意味は
難解な「コレワイ」という囃子詞も、ヘブライ語でその意味を理解することができるかもしれません。まず「声」の意味を持つקול(kol、コル) の語尾に、「神」を意味するיה(ya、ヤ) を足すと、「コルヤ」「コレヤ」となります。しかしながら「コレワイ」の発音とは、かなり乖離しています。そこでヘブライ語は逆さ読みをすることもできることから、「神」を記す子音יהוהの4文字を後ろから読んでהוהי(Huhi、フヒ) とし、「コル」のあとに付けます。すると逆さ読みでは声の「コル」と合わせて頭の הを落とすだけで、「コレ・ヴァイ」となります。その発音が多少訛って「コレワイ」になった可能性があります。つまり「コレワイ」とは、「神の声」を意味していることになります。
次に「パラットセ」は、「パラット」と「セ」という2つのヘブライ語から成り立っているという前提で読んでみましょう。ヘブライ語でפלא(pala、パラー) は「優れた」「不思議」「驚くこと」を意味します。その言葉をルート語とした פלאות(plaot、プラオット) は、救いや裁きから逃れる救済の意を含めた「素晴らしい奇跡」という意味の言葉です。その「プラオット」が多少訛って「パラット」になった可能性があります。
そして「セ」は「喜ぶ」を意味する「サッサ」の「サ」が訛ったものと考えられます。囃子詞では「サ」とも「セ」とも聞こえる場合があります。つまり「パラットセ」は「素晴らしい(神の)御業を喜べ!」という意味になります。
「相馬二遍返し」で唄われてきた信仰告白
「ハー、イッサイコレワイ、パラットセ」という「相馬二遍返し」の囃子詞は、日本語では全く意味がわかりませんが、ヘブライ語で読むと、きちんと意味を成していたことがわかりました。
「見よ、イエスキリスト!神の声!神の素晴らしい御業を!」
それはまさに、大勢が祭りに集い、神様を讃えるにふさわしい詞だったのです。この信仰告白こそ「相馬二遍返し」の囃子詞に秘められた真骨頂であり、今日までその意味が不透明なまま唄われてきたのです。
福島県をはじめとする東北地方は民謡の宝庫であるだけでなく、そこにはヘブライのルーツが眠っていたのです。