もう半世紀ほど前になるでしょうか、当時、中学受験の勉強をしていた筆者は日本地理の山や川などの地名を丸暗記していました。そしてある日、試験で川の名前を書き損じてしまいました。でも、なぜ間違ったのかわからず、不思議に思ったことを今でも覚えています。四国の川と記憶していた吉野川が、実は近畿地方にも存在することに気づかなかったのです。四国の吉野川は、剣山の麓を経て、紀伊水道に流れ出る四国三郎の異名を持つ雄大で美しい清流ですが、実は同名の川が、奈良県を横切るように高野山の北側を流れています。この川は、和歌山県側においては”紀ノ川“と呼ばれていますが、不思議なことに高野山を境目として、奈良県側の上流部分を”吉野川“と呼ぶのです。
広大なデルタを作る吉野川この川の名前はヘブライ語で「神の救いの川」を意味するため、四国剣山の麓を流れる吉野川だけでなく、高野山沿いの川も空海によって命名されたと考えるのが妥当でしょう。四国の吉野川は空海の故郷、讃岐の南方を流れ、和歌山の吉野川は空海の総本山となる高野山の麓を流れています。このふたつの吉野川をヒントに、剣山と高野山の繋がりだけでなく、その背景に潜む壮大な空海のライフプロジェクトが浮かび上がってきます。
高野山は819年ごろ、空海が開いた「紀伊山地の霊場と参詣道」としてあまりに有名であり、世界遺産にも指定されています。ところが実際に高野山という山は存在しません。和歌山県の北東部に位置する高野山は、山の固有名称ではなく、標高900メートルを誇る八つの峰々に囲まれた一帯を指しているのです。空海が高野山を見つけて、そこに寺を建立したと思われがちですが、実際は、聖地とするべき山々を見出した空海が、その地域を高野山と名づけたにすぎないのです。
コウヤはヘブライ語で(kolya、コーヤ)、もしくは
(koakhya、コッヤ)と書くことができます。前者は「イスラエルの声」を意味する
(コーイスラエル)の「声」を意味する「コー」という言葉に「ヤ」を加えて「コーヤ」、つまり「神の声」となります。後者の場合「いと高き力」「優勢」を意味する
(コッエルヨン)というヘブライ語に含まれる神の名、「エルヨン」を「ヤ」に置き替えて、「コッヤ」つまり「神の力」となります。エルヨンには「いと高き」という意味があることから、「高野」という漢字をあてたのかもしれません。神の声が響き渡る山、そして神の力を肌に感じずにはいられない壮大な大自然に囲まれた聖地が高野山なのです。空海の熱い思いが、その名前に込められています。
しかし、あれほど四国の剣山と吉野川を愛し、88箇所の巡礼所まで創設した空海が、なぜ自らの宗教哲学の集大成とも言える大本山を四国に造らず、紀伊の山々を選び、そこを新たなる信仰の聖地としたのでしょうか。その謎を解く鍵は、かごめかごめの歌のヘブライ語訳(【「かごめかごめ」の真相に迫る】の章参照)をガイドラインとして、2つの吉野川沿いに聳え立つ剣山と高野山、そして伊勢神宮と天皇が住まわれる京都御所の位置関係を理解することにあります。そして、空海が描いた高野山の地理的位置づけに注目することが不可欠です。
剣山と伊勢神宮を結ぶ線上に並ぶ高野山剣山と伊勢神宮を直線で結ぶと、その線上に高野山が存在しますが、驚くことに、伊勢神宮から京都御所と高野山までの距離を地図で測定すると、ともに108.5㎞となり、完璧なまでに一致しているのです。これは偶然の一致ではなく、すべて計算ずくめで厳選された聖所の位置づけの結果と言えます。古代社会においては聖なる山と海岸沿いのランドマークを結びつけながら、それぞれのクロスポイントに聖地となるべき地を見出していったのです。空海はそのマスターマインドの一人でした。
石上神宮 拝殿四国の剣山と吉野川を愛するあまり、空海は自らが定めた高野山と呼ばれる聖地のそばを流れる川も、「神の救いの川」を意味する吉野川と命名しました。そして新しく遷都された平安京の恵みに力を添えるべく、石上神宮へのラインを中心線として平安京とは対称となる位置でしかも、伊勢神宮からは同距離であり、しかも伊勢神宮と剣山を結ぶ線上に高野山を位置づけたのです。こうして高野山は永遠のパワースポットとして、剣山と伊勢神宮に挟まれるだけでなく、平安京を見渡しながら石上神宮や再度山とも地理上のリンクを保ちながら、永久に神宝を見守り、国家の平安を祈るための聖地となるべく今日まで至っています。
空海は、剣山を何故重視するかが非常に興味あります。
空海が剣山を重要した理由をざっと考えてみました。まとめると、以下のとおりです。
高い山
1.古代の民は「高い山」に神が住まわれるという山岳信仰をもっていた。
2.剣山は空海の生まれ故郷、香川の讃岐国周辺の最高峰であり、西日本最高峰の石鎚山とほぼ同等の標高1955mを誇り、各地からその頂きを見ることができる
3.剣山は淡路島、紀伊水道の海上、熊野からもその頂上を見ることができることから、古代より最高峰として認知されていたと考えられ、その頂上では神が祀られたと推定される
聖書の教え
4.中国に遣唐使として渡った際、ネストリウス派の信仰にふれた空海は、旧約聖書の中で最高峰の山が重要視されていることを学んだ。「主の家の山はもろもろの山のかしらとして固く立ち、諸々の峰よりも高くそびえる」(イザヤ2:2)
5.イザヤ書にはひたすら、「高い山にのぼれ」(40:9)という教えが連呼されていることから、空海は最高峰の重要性を心得、剣山に限らず、各地の最高峰を自らの足で登り、祈り清めていた。
イスラエルと剣山とのか関り
6.古代より剣山にはイスラエル民族が渡来し、ソロモンの秘宝が隠されたという伝承があり、空海もその言い伝えを知っていた。
7.香川(讃岐国)から剣山に向かう途中には、ユダヤ系のイスラエル民族が造成したと考えられる神の祭壇を備えた神明神社のような場所が存在することから、イスラエル系渡来者の関与についても深い関心を寄せていた。
空海と神宝との関わり
8.奈良界隈で学び、天皇家との接点をもっていた空海は、国家の危機と怨霊の問題に悩む天皇を助けるために、神宝の存在を明らかにし、安置する必要性を痛感していた
9。和気清麻呂、地政学の天才との交流の結果、古代より剣山がレイライン上の中心となっていることを知り、多くの皇室に関係する神社が剣山と結び付いていたことを再確認する。
10. 剣山があまりに重要であることから、空海は自らの人生の最終拠点となる聖地を特定する際、剣山と伊勢神宮を結ぶ線上に、高野山の地を見出した。
神が祀られた伊勢神宮の地が剣山を基点とした元伊勢の数々から特定されたように、空海自身の終身地も、たとえその場所が山奥の急斜面であったとしても剣山と伊勢を結ぶつける場所であることから、その地点がピンポイントで見出されたことは、注目に値します。