吉野川に繋がる2つの聖地
四国と紀伊半島とを流れる2つの吉野川を見つめ直すと、その背景には空海の存在が見え隠れしているようです。四国の吉野川は剣山周辺を源とし、支流の穴吹川を介して、空海の故郷である讃岐の南方を流れ、紀伊水道へと注ぎます。一方、近畿地方の吉野川は空海の総本山となる高野山の麓を流れ、奈良県から和歌山県を通って海へと至ります。剣山を古代の霊峰として崇めるだけでなく、生涯の集大成の地となる高野山を重んじた空海にとって、これら2つの聖地が吉野川によって結ばれることは、大きな意味を持っていたのではないでしょうか。そのため、高野山を四国の剣山と結び付けようと構想し、剣山を源とする清流が吉野川を下り、紀伊水道を越えて高野山へと連なるという思想のもと、高野山周辺では紀の川をあえて「吉野川」と呼ぶようにしたと推測されます。
四国と近畿地方を流れる二つの吉野川は、紀伊水道によって隔てられ、それぞれ異なる地域を貫いています。しかし、その河口はほぼ同緯度に位置し、さらに両河川の上流には、いずれも空海と深く関わる聖地が存在します。
四国の吉野川上流には空海が霊峰として崇めていた剣山が聳えています。古代より神宝の伝承で知られる剣山は比類なき聖地とされています。空海ゆかりの八十八ヶ所霊場の巡礼路も、まるで剣山に目を向けているかのように、迂回を繰り返しながら随所で剣山に近づこうとする意図が読み取れます。そして、この剣山と結び付くもう一つの聖地が、剣山と伊勢神宮を結ぶレイライン上に存在する高野山です。四国と紀伊半島を流れる2つの吉野川の上流には剣山と高野山が存在し、2つの聖地が深く関連付けられていることの重要性を示しているようです。
高野山とは八つの峰々の一帯を指す
高野山は819年頃、空海が開いた修行の地であり、紀伊半島、和歌山県でも奈良方面に近い山奥に位置しています。今日では「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として広く知られ、世界遺産にも登録されています。
和歌山県の北東部に位置する高野山は固有名称ではなく、標高900メートルほどの八つの峰に囲まれた一帯を指しています。したがって、高野山という名の付く個別の山は存在するわけではありません。一般的には空海が高野山という山を見つけて寺院を建立したと考えられがちですが、実際は、空海の修行の場として見出した山々一帯が、いつしか高野山と呼ばれるようになったのです。後述するとおり、この名称を定めたのも、おそらく空海であったと推測されます。
高野山の場所が見いだされた手法
和歌山の高野山は、空海が自らの集大成として生涯を全うするために備えた聖地です。和歌山と奈良の県境に位置し、当時は人の往来もほとんどない深い山中にありました。そのような未開の地を見出し、修行の場として定めたのです。では、なぜ空海はこの地を選んだのでしょうか。また、どのようにして高野山の場所を特定したのでしょうか。
高野山の立地が重要とされる理由は、その山奥の場所が伊勢神宮と剣山を結ぶ一直線上に位置するだけでなく、伊勢神宮から高野山までの距離が、天皇の居所である京都御所からの距離とほぼ一致している点にあります。まず空海は、伊勢神宮と剣山を結ぶレイラインに注目したと考えられます。この一直線上に高野山を見出すことができれば、伊勢神宮と剣山という、空海にとって特に重要な二つの聖地が、自らの修行の場と常に結び付くことになるからです。
では、伊勢神宮と剣山を結ぶ一直線上のどこに、高野山を見出すことができるのでしょうか。おそらく空海は、天皇がお住まいになる京都御所と、このレイラインを結び付けることにより、ピンポイントで高野山の聖地を見出したと考えられます。その方法はいたってシンプルでした。まず、伊勢神宮から京都の御所までの距離を測り、それと同距離となる地点を、伊勢神宮から剣山を結ぶ直線上に求めるのです。実際に剣山と伊勢神宮を直線で結ぶと、その延長上に高野山が存在します。さらに地図上で距離を測定すると、伊勢神宮から京都御所まで、そして高野山までの距離はいずれも約108kmとなり、一致していることがわかります。これは単なる偶然ではなく、綿密に計算された聖地選定の結果と言えます。
こうして高野山は、京都御所と伊勢神宮に結び付けられただけでなく、その延長線上には剣山も位置することになります。古代においては、聖なる山や重要な拠点を結び、直線上に聖地を見出す思想が存在したとされます。空海はそのマスターマインドの一人だったのです。
「高野」はヘブライ語で「神の声」「神の力」
高野山とは日本語の名称と思いがちですが、ヘブライ語でも読むことができます。「コウヤ」は、ヘブライ語でקוליה (kolya、コーヤ) と表記することが可能です。この「コーヤ」は、「コー」がヘブライ語で「声」を意味する קול(kol、コー) 、「ヤ」は神を意味するיה(yah, ヤ)であることから、「神の声」と解釈することができます。
また、「コーヤ」はכוחיה(koachya、コァヤ) と表記することもできます。ヘブライ語には「いと高き力」を意味する כוח עליון(koach elyon、コァエルヨン) という言葉があります。כוח(koach、コァ)は「力」、「エルヨン」は「至高」を意味します。さらに「エルヨン」に接頭語として「エル」を加えて「エルエルヨン」とすると、「いと高き神」の意味になり、旧約聖書の中でも用いられている言葉です。この「エルヨン」を「神」を意味する「ヤ」に置き替えて「コァヤ」とすれば、「神の力」という意味になります。加えて、語源となる「コァエルヨン」には「いと高き」というニュアンスも込められていることから、「高」という漢字をあてて「高野」としたのかもしれません。
神の声が響き渡り、神の力を肌で感じずにはいられない、そのような壮大な自然に包まれた聖地こそが高野山です。空海の熱い思いは、「高野山」という名の中に込められているのです。
なぜ、高野山の場所が選ばれたか?
しかし、四国の剣山や吉野川を深く愛し、四国においては八十八ヶ所の霊場を巡った空海が、なぜ自らの宗教哲学の集大成とも言える大本山を四国ではなく、紀伊の山奥に求めたのでしょうか。その謎を解く鍵は、2つの吉野川と、その吉野川の源流沿いに聳え立つ剣山の存在、さらに伊勢神宮と天皇が住まわれる京都御所の位置関係を理解することにあります。
空海は、自らの集大成となる聖地を求めるにあたり、レイライン上で剣山と伊勢神宮、そして天皇の居所である平安京・京都御所を結び付ける地点を、ピンポイントで追及したと考えられます。まず、その候補地は伊勢神宮と剣山を結ぶ線上に求められました。さらに、新たに遷都された平安京との関係性を重視し、伊勢神宮から平安京までの距離を基準として、その同距離の地点を同じ直線上に求めた結果、高野山の地が見出されたと考えます。興味深いことに、伊勢神宮と剣山、そして平安京を結ぶ二つの線のほぼ中間には、古代の聖地である石上神宮が位置しています。あるいは平安京そのものも、伊勢神宮と石上神宮を結ぶレイラインを基軸として、伊勢神宮と剣山を結ぶ線に対称となる位置に定められた可能性も想定されます。
四国の剣山と吉野川を深く愛した空海は、自らが定めた高野山の近くを流れる川にも、「神の救いの川」を意味する吉野川の名を重ねたのではないでしょうか。こうして高野山は、剣山と伊勢神宮に挟まれる形で位置づけられると同時に、平安京を望み、石上神宮とも地理的なつながりを保つ場となりました。
また、伊勢神宮と石上神宮を結ぶレイラインの先には再度山があり、、そこには空海が自ら刻んだと伝わる亀の像が存在することにも注目です。空海の英知と信仰の象徴となる高野山は、このように多くの聖地と結び付きながら、神宝を守り、国家の安寧を祈る修行の地として、今日まで受け継がれてきたのです。






