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2023/12/04

空海の集大成を象徴する高野山 吉野川を通じて剣山と繋がる山奥の聖地

吉野川に繋がる2つの聖地

四国の徳島県を流れる吉野川
四国の徳島県を流れる吉野川
四国と紀伊半島とを流れる2つの吉野川を見つめ直すと、その背景には空海の存在が見え隠れしてくるようです。四国の吉野川は、剣山の界隈からその支流となる穴吹川を介し、空海の故郷である讃岐の南方を流れて紀伊水道に注がれています。一方、近畿地方の吉野川は、空海の総本山となる高野山の麓を流れ、奈良県から和歌山県を通って海に流れています。剣山を古代の霊峰として崇めるだけでなく、生涯の集大成となる高野山の場所をも大切していた空海にとって、これら2つの聖地が吉野川を通じて繋がることは夢だったのではないでしょうか。それ故、高野山を四国の剣山に結び付けることを目論み、剣山から流れる清流が吉野川を下り、紀伊水道を越えて高野山まで及ぶようにと、紀の川の名称も、高野山界隈では吉野川と呼ぶようにしたと推測されます。

四国と近畿地方、双方を流れる吉野川は、紀伊水道によって分けられ、全く違う地域を流れています。しかしながら、その河口はほぼ同緯度に並んでいるだけでなく、いずれもその上流には、空海が深く関わっていた聖地が存在します。

四国八十八ヶ所のお遍路MAP
四国八十八ヶ所のお遍路MAP
四国の吉野川上流には空海が霊峰として崇めていた剣山が聳え立っています。古代より神宝の伝承が纏わる剣山は比類なき聖地であったからこそ、空海が訪ねた88ヶ所の札所を結ぶルートは、まるで剣山に目が向けられているかのごとく、迂回を繰り返しながらも随所で、剣山に近づこうとする意図が読み取れます。その剣山と結び付く聖地が高野山です。2つの吉野川の存在、そして剣山と伊勢神宮を結ぶレイラインが、2つの聖地が紐付けられていることの重要性を証しています。

高野山とは八つの峰々の一帯を指す

高野山は819年頃、空海が開いた修行の地であり、紀伊半島、和歌山県でも奈良方面に近い山奥に存在します。今日では「紀伊山地の霊場と参詣道」としてあまりに有名であり、世界遺産にも指定されています。

和歌山県の北東部に位置する高野山は、山の固有名称ではなく、標高900メートル程を誇る八つの峰々に囲まれた一帯を指しています。よって、高野山という名の付く個別の山は存在しません。空海が高野山という山を見つけて、そこに寺を建立したと思われがちですが、実際は、空海の修行の場として見出した山々一帯が、いつしか高野山と呼ばれるようになったのです。後述するとおり、その名付け親は、おそらく空海であったと想定されます。

高野山の場所が見いだされた手法

剣山
剣山
和歌山の高野山は、空海が自らの集大成として生涯を全うするために備えた聖地です。高野山は和歌山と奈良の県境にあり、人が足を踏み入れることのないような山奥に存在します。そのような未開の山地を空海は見出し、自らの修行の場所と定めたのです。では何故、そのような山奥の場所が選ばれたのでしょうか。どのようにして空海は、高野山の場所を特定できたのでしょうか。

高野山の場所が重要な理由は、その山奥の場所が伊勢神宮と剣山を結ぶ一直線上に存在するだけでなく、伊勢神宮から高野山までの距離が、天皇がお住まいになられる京都御所からの距離と全く同一であることにつきます。まず空海は、伊勢神宮と剣山を結ぶレイラインに注目したことでしょう。この一直線上に高野山を見出すことができれば、伊勢神宮と剣山という空海が愛して止まない2つの大切な聖地が、自らの修行の場と常に結びつくことになります。

では、伊勢神宮と剣山を結ぶ一直線上のどこに、高野山を見出すことができるのでしょうか。おそらく空海は、天皇がお住まいになる京都御所と、このレイラインを結び付けることにより、ピンポイントで高野山の聖地を見出すことができたと考えられます。その方法はいたってシンプルでした。伊勢神宮から京都の御所までの距離を測り、それと同距離の場所を伊勢神宮から剣山を結ぶ直線上に見出すのです。剣山と伊勢神宮を直線で結ぶと、その線上に高野山が存在しますが、驚くことに、伊勢神宮から京都御所と高野山までの距離を地図で測定すると、ともに108.5㎞となり、完璧なまでに一致しているのです。これは偶然の一致ではなく、すべて計算ずくめで厳選された聖所の位置づけの結果と言えます。

こうして高野山は、京都御所と伊勢神宮に紐づけられるだけでなく、その延長線には剣山も存在することになったのです。古代社会においては聖なる山と、さまざまなランドマークを結びつけながら、レイライン上に聖地を見出だすことが常でした。空海はそのマスターマインドの一人だったのです。

高野山に繋がるレイラインの不思議
高野山に繋がるレイラインの不思議

「高野」はヘブライ語で「神の声」「神の力」

高野山とは日本語の名称と思いがちですが、ヘブライ語でも読むことができます。「コウヤ」は、ヘブライ語でקוליה (kolya、コーヤ) と書くことができます。「コーヤ」の「コー」は、ヘブライ語で「声」を意味する קול(kol、コー) 、「ヤ」は神を意味するיה(yah, ヤ)であることから、「コーヤ」は「神の声」となります。

また、「コーヤ」はכוחיה(koachya、コァヤ) と書くこともできます。ヘブライ語には、「いと高き力」を意味するכוח עליון(koach elyon、コァエルヨン) という言葉があります。כוח(koach、コァ)は「力」、「エルヨン」は「至高」を意味します。「エルヨン」に接頭語として「エル」を加えて「エルエルヨン」とすると、「いと高き神」の意味になり、旧約聖書の中でも用いられていることから、神に結び付く言葉であることがわかります。その「エルヨン」を、「神」を意味する「ヤ」に置き替えて「コァヤ」とすれば、「神の力」となります。そのルート語となる「コァエルヨン」には「いと高き」という意味の意味も込められていることから、「高」という漢字をあてて「高野」としたのかもしれません。

神の声が響き渡る山、そして神の力を肌に感じずにはいられない壮大な大自然に囲まれた聖地が高野山なのです。空海の熱い思いが、その名前に込められています。

しかし、あれほど四国の剣山と吉野川を愛し、四国においては八十八ヶ所の巡礼所となる寺院まで巡り回った空海が、なぜ自らの宗教哲学の集大成とも言える大本山を四国に造らず、紀伊の山奥を選び、そこを新たなる信仰の聖地としたのでしょうか。その謎を解く鍵は、2つの吉野川と、その吉野川の源流沿いに聳え立つ剣山の存在、そして伊勢神宮と天皇が住まわれる京都御所の位置関係を理解することにあります。

高野山に繋がるレイラインの不思議

石上神宮 拝殿
石上神宮 拝殿
空海は自らの集大成となる聖地の場所を探し求めるにあたり、その場所がレイライン上において、愛する剣山と伊勢神宮、そして天皇がお住まいになられる平安京の京都御所が結び付けられる箇所を、ピンポイントで探したことでしょう。よって、その場所はまず、伊勢神宮と剣山を結ぶ線上に求められたのです。そして新しく遷都された平安京の恵みに力を添えるべく、伊勢神宮から平安京までの距離を測り、伊勢神宮と剣山を結ぶ線上においても、伊勢神宮から同じ距離の位置に高野山の場所を見出したのです。不思議なことに、伊勢神宮と剣山、伊勢神宮双方を結ぶ2つの線のちょうど中間には、古代の聖地、石上神宮が建立されています。もしかすると平安京の場所は、伊勢神宮に結び付く石上神宮のレイラインを中心線として、伊勢神宮と剣山を結ぶレイラインに対称となる線上に見出されたのかもしれません。

四国の剣山と吉野川を愛するあまり、空海は自らが定めた高野山と呼ばれる聖地のそばを流れる川も、「神の救いの川」を意味する吉野川と命名したのではないでしょうか。こうして高野山は永遠のパワースポットとして剣山と伊勢神宮に挟まれるだけでなく、平安京を見渡しながら石上神宮とも地理上のリンクを保つことになりました。また、伊勢神宮と石上神宮を結ぶレイラインの先には再度山があり、空海が自ら手をかけて精巧に掘った亀の像が存在することにも注目です。空海の英知と信仰の象徴となる高野山は、こうして多くの大切な聖地と結び付きながら、神宝を見守り、国家の平安を祈るための修行の地となるべく、今日まで至っています。

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