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ソーラン節の音頭と由来
ニシン漁の様子 (提供: 積丹町)
北海道では古代から漁業が盛んでした。特に日本海側の沿岸地域においてはニシン漁が盛んであり、生活の糧を求めて各地から人が漁場に集まり、ニシンを追って網を引いたのです。
そして沖合で投げた網にかかった魚を全身の力を込めて汲み上げる時、拍子をとりながらみんなで唄ったのが、「ソーラン節」です。この唄は、「沖揚げ音頭」とも言われ、その中には「船漕ぎ音頭」や「綱起こし音頭」が含まれています。
そのメロディーの唄いやすさと掛け声の響きから、いつの間にか「ソーラン節」は、日本で最も有名な民謡として知られるまでになりました。
ソーラン節の囃子詞とは
ソーラン節は日本人なら誰もが知っている北海道民謡です。ヤーレン・ソーランと始まり、繰り返し「ソーラン」と唄われるソーラン節は、脳裏にしっかりと残る優しい響きがあります。
また唄の途中に「ドッコイショ」という掛け声も入ります。これは日常会話でもよく使われている言葉だけに、その軽快なメロディーを口ずさんだことのある人は少なくありません。「チョイ ヤサエ エンヤンサー ノ・ドッコイショ…」、どこかで一度は聴いたことがある一節です。
しかしながら、ソーラン節で唄われている囃子詞の意味は不可解であり、今日では単なる掛け声の組み合わせにしか思われていないようです。「ソラソラ」という掛け声が間延びして「ソーランソーラン」になったという説もありますが、定かではありません。
「ヤーレン」の意味は「喜び歌う」
ソーラン節に含まれる囃子詞の中には、ヘブライ語が語源になっていると考えられる詞が複数含まれています。それら囃子詞の多くはヘブライ語で意味を理解することができるだけなく、囃子詞どうしが繋がってフレーズを形成し、一貫したメッセージ性のある内容になっています。その趣旨に着眼することにより、ソーラン節がヘブライ語で書かれた行進賛歌である可能性が、より現実味を帯びてきます。
まず、繰り返し唄われる「ヤーレン」の歌詞に注目してみましょう。ヘブライ語には「歌う」「喜ぶ」を意味するרן (ran/ren, ラン/レン) という言葉があります。そこに神の「ヤ」を接頭語として付けると、יה רן(yahren、ヤーレン) となり、「神を歌う」「神に喜び歌う」という意味になります。
また、ヘブライ語で「喜び歌う」を意味するרינן(rinen、リーネン) の未来形として、ירנן(yeranen、イェラネン) という言葉もあります。これは普通に発音すると「イェラネン」ですが、多少訛るだけで、「ヤーレン」とほぼ同等の発音に聴こえます。この「イェラネン」という言葉が「ヤーレン」のルーツにあるかもしれません。いずれにしても、「喜び歌う」ことを意味する「レン」が語源となっていることから、「神を喜び歌う」という意味に捉えることができます。
一人で唄う行進賛歌「ソーラン節」
次に「ソーラン」をヘブライ語で読んでみましょう。日本語の発音とまったく同じסולן(solan、ソラン) というヘブライ語は、ソロシンガー、すなわち「一人の歌い手」を意味します。また、「ソーラン」はリーダー、船頭という意味でも使われる言葉です。ソーラン節で唄う「ソーラン」とは、船を漕ぐ船頭が一人、高らかに声をあげて唄う姿が歌詞の背景にあると考えられます。
すると「ヤーレン・ソーラン」はヘブライ語で「一人でも神に喜び歌う!」と解釈できます。だからこそ、ソーラン節の歌詞には「沖の鴎に潮時問えば、わたしゃ立つ鳥、波に聞け」というような孤独なイメージの節が含まれているのではないでしょうか。「ヤーレン・ソーラン」には、一人でも決して孤独ではなく、いつも神がそばにいる、だから喜び歌う、という強い思いが込められているようです。
「チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー」
「ヤーレン・ソーラン」の後に続く「チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー」という囃子詞は難解であり、意味がないというのが定説のようです。しかしながら、この囃子詞もヘブライ語で読むことができます。まず、「チョイ」の発音に類似したヘブライ語に「ツォエド」「ツォェ」צועד(tso‛ed、ツォエド) という詞があり、「行進する」「前進する」の意味に使われていることに注目です。この詞は「ツォェ」と強く発音し、それが「チョイ」とも聞こえることから、この囃子詞の語源になっている可能性があります。
次に「ヤサエ・エンヤン・サー」はヘブライ語で読むと、「まっすぐに私と神は行く!」という意味になります。まず「ヤサエ」はヘブライ語で、「まっすぐ」を意味する「ヤサー」ישר(yasar、ヤサー) を語源とする言葉と考えられます。
その後に続く「エンヤンサー」は「エンヤン」と「サー」、2つのヘブライ語に分けて解釈します。まず、「エンヤン」は「私」と「神」を意味する「アニ・ヤ」אני יה(aniyah、アニヤ) が原語と考えられます。それが多少訛って「エンヤ」になったのではないでしょうか。その言葉の語尾に「行け」「前進せよ」の意味をもつ「サ」 סע(sa、サ) を加えると、「エンヤサ」になります。すなわち「エンヤサ」とは、「神と私は行く!」を意味する言葉と推測できるのです。
これら4つの言葉を合わせるとישר אני יה סע(yasar ani yah sa、ヤサー・アニ・ヤ・サ) となり、発音もほぼ「ヤサエ・エンヤン・サー」と同じです。それは、「まっすぐ私と神は行く」ことを意味します。すると、「チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー」がつながり、囃子詞全体の意味が浮かび上がってきます。それはヘブライ語で、「前進!まっすぐに私と神は進む!」という力強い行進の意味をもつ囃子詞だったのです。
「ドッコイショ」の叫び
「ソーラン節」で唄われる囃子詞の最後は、「ノ・ドッコイショ」という掛け声で締めくくられます。これもヘブライ語で理解することができます。נא(na、ナ) は、「お願いします!」という祈りの言葉であり、「ノ」にも聞こえます。また、「ドッコイショ」はヘブライ語で「押せ!神の救い!」という意味の言葉です。
次に、「ドッコイショ」の「ドッコ」は、おそらくヘブライ語で「押す」「退ける」を意味するדוחה(dokheh、ドケ) が語源になっていると考えられます。「ドケ」はヘブライ語では強く発音する言葉です。実際に「ドケッ」と聞こえるだけでなく、言葉の意味は日本語の「どけ!」と同じく「押しのける」を意味します。この言葉は「終わり」を意味するהקץ(hakets、ハケツ) と一緒にדוחה הקץ(ドケッ・ハケッツ) という表現にも使われ、宗教的な慣用句として終末を押しのける、すなわち「(救い主よ)早くきてください!」という意味にもなります。
「ドケッ」の後に続く「イショ」という言葉は、ヘブライ語で救いを意味するישועה(Yeshua、イェシュア) がルート語になっていると想定されます。この「イェシュア」という言葉に由来する名前が、イエスキリストの「イエス」です。「イェシュ」「イシュ」「ヨシュ」と類似した発音をもつ言葉には、どれも神の救いに通じる意味が込められていることに注目です。
よって「ドケッ」と「イェシュア」という2つの言葉を合わせると、דוחה ישועה(dokheh yeshua、ドッケイシュァ) となり、続けて発音すると、「ドッケイシュ」となり、「どっこいしょ」とほぼ同じ発音になります。その意味はヘブライ語で、「押せ!神の救い!」、もしくは「来たれ!神の救い!」と理解できます。
ヘブライ語で歌うソーラン節の真実
これらの囃子詞を全部合わせて意味を振り返ると、船乗りが一人、遠くに見える目的地に向かってひたすら船を漕ぐ姿が思い浮かべられます。そして力いっぱい船を漕ぎながら「ヤーレン・ソーラン」と唄うのです。「ソーラン節」で唄われる囃子詞は、船乗りが力を込めて船を漕ぎ続けるにふさわしい掛け声だったのです。それは「ひとりでも神を喜び歌う!」という賛美の喜びに満ちた唄でもありました。
そして「ヤーレン・ソーラン」に続く「チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー・ノ・ドッコイショ」はヘブライ語で、「前進!まっすぐに私と神は進む!」という意味の囃子詞だったのです。そこには何事も恐れず、神の助けによりひたすら前進し、船を漕ぎ続けるという、自らを励ます熱い祈りの思いが込められていたのです。
ソーラン節は、荒波を乗り越えて約束の地に向かう際に唄ったヘブライ賛歌と考えられます。神の導きを信じて船を漕ぎ続ける船乗りが、遠くに見える目的地に向かってひたすら船を漕いで進む時、たとえ一人であっても神の助けと守りを信じながら喜び歌い、前進し続けるための行進曲というのが真相のようです。
紀元前7世紀以降、イザヤの預言に従って大陸を横断し、「東の海の島々」を捜し求めたイスラエルの民が、アジア大陸から海を渡り、日本列島を目指すときに口ずさんだ賛歌も「ソーラン節」の囃子詞と同様に、神への信仰を唄ったのではないでしょうか。当時、前途に立ちはだかるさまざまな大自然の困難にもめげずに、神を信じて航海を続け、海を渡って約束の地、日本列島へ到達することを夢見た人々がいました。ひたすら舟を漕ぎ、前進し続けながら喜び唄う掛け声こそ、まさにソーラン節の囃子詞の真骨頂なのです。
古くから唄われてきた民謡の歌詞がヘブライ語で理解できるということは、少なくとも遠い昔、その地域に大陸からユダヤ民族が渡来して、日本文化の形成に一役を担った可能性が考えられます。それらの言葉は地域に土着して語り継がれ、民謡が作詞作曲された際には、それらの伝承されてきたヘブライルーツの言葉が囃子詞として選別され、民謡の中に差し入れられたと考えられます。
こうして日本の民謡には、知らず知らずのうちにヘブライ語にルーツをもつ囃子詞が多く取り入れられるようになり、そのヘブライ文化の影響力は北海道だけに留まらず、日本全土に広がっていくことになります。
道産子なので「ソーラン節」は自然に覚えておりましたが、ヘブライ語ではこんな崇高な詩なのですね。
なぜヘブライ語がなじんでいるのか不思議ですイスラエル人が流れて来たのか、知りたいです
記事を拝見し、感動で胸が震えています。
重い物を運んだり、日本人誰もががついつい口にしてしまう、「よっこいしょ」「こらしょ」「(お)いしょ」など…全て神を誉めたたえていた言葉だとしたら…全ての日本人が知らず知らずのうちにイスラエルの神を誉めたたえていたとしたら…日本人がみな異言で神を誉めたたえているよう。私たちにとって異言であったこれらの言葉の解き明かしをして下さった様で、感動しました。
興味あるお説です。しかし、「音」が似ている事だけでは少々物足りなく、もう少し強烈な「背景・繋がり」が知りたいですね。
たまたま言葉が似ていると言ってヘブライ語が起源だと言われても、そんな密接な関係ないし、、、
日本の古代の歴史を研究している人からの、見解は、ざっくりと話すとイスラエルの王族の末裔が日本を目指して船で辿り着き日本各地のいた豪族を倒し平定し弥生時代に朝廷を築き初代の天皇が生まれたと聞いてます。そのイスラエルの民は元々は縄文時代に日本から世界に渡って各地で文明を築いたは人々だった様です。それから考えると当然の話だと思います。
AD68~70年イスラエルはローマに征服される間に申命記28-52~57ルカ21-20~22を読んでいたキリスト教徒が東の山からアジア大陸、海を渡って日本に辿り着いた。聖書から考えても明確です
コーエン元駐日大使も、ヘブライ語とよく似ているとお話しされたことがあるそうです。
この他にも、「エッサエッサエッサホイサッサ」で始まるおさるのかごやの歌詞もヘブライ語に似ているそうです。日本という国は、約束の地というか、神の国(昔、森本首相の問題発言とされた時期もありますが。)である証拠として、歌となって、伝承されてきたと考えるのが自然なのでしょう
ですから、日本という国は、世界平和の要となって、世界をまとめる役割があるのでしょう がんばりましょう
南中ソーランは、昔、漁師が釣っているときに、励まし合い、歌っていたという説があるそうです。昔と、歌の速さは随分変わっているそうです
そうなんですね~……
ウロ覚えの記憶ですが、私達は星を眺めていた時に、東の太陽を探しに行った民が、日本人では??って、聞いた記憶あります。
どう考えてもヤーレンは「やーれ」、ソーレンは「そーれ」という掛け声ですよね。
なんか、相撲のはっけよいもヘブライ語とこじつけてますが、八卦良いか発気良いの
どっちかが余程近いし、八卦であれば中国ですよね。
って、マジレスしたらダメだったかな?
うわ~日本人はユダヤ人の末裔だ~~~ってノリノリにならないとまずかったかな?
でも、選民思想もほどほどにした方がいいかと・・・
私のサイトでより詳しく流れを説明していますのでよかったらどうぞ(サイト下の方になります)
https://nucky767.wixsite.com/nucky/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F%E5%85%AC
私は北海道民ですが中学生の時、学校への往復が長かったせいで色々な事を考えて歩きました。ある日友人達ととソウラン節の話をしていて、その歌詞の言葉の意味をひとつひとつ考えました。小さな子供の頃からソーラン節を夏の盆踊りで毎年聞かされ育ったので、何気なく覚え意味など考えた事もありません。ニシン漁をしていた方達の想像を含め噛み砕き歩いています。ニシンは大根と一緒にお漬物にし冬の氷が出来るほど冷たい時期になりますと美味しさが頂点になり、祖母の家に行く日にはそれが楽しみなほど美味しいものでした。
そうして考えに考えて、私はコレは絶対に日本語じゃない。と口から出てしまったのです。友人達はえー。と笑っていました。そして今はそれが確信になりました。
歌うと分かるのですが、ヤーレンは節にのっていてヤーレでは無いことが、ソウランはソーれではないと分かります。
同じ様に君が代は
日本の歌詞はどうやっても取って貼り付け色々サクゴしたように感じませんか。
細石…巌をとなりて…苔…まぁぁで
国歌が苔との表現は…大昔を辿ってもムリがある様に思えてなりませんでした。
苔とはそんなに素敵で美しいものなのですか。ご存知の方教えてください。