青森県に伝承されるヘブライ民族の渡来
青森県新郷村 キリストの墓本州最北端、北海道に最も近い青森県では、古くからヘブライ民族の渡来が噂されています。八戸と十和田湖の中間に位置する新郷村には、イエス・キリストがあることは有名です。この墓の信憑性は疑わしくとも、イスラエルの歴史に関わる人物の墓が青森県の奥地にあるだけでなく、その地域周辺では、「ナニャドヤラ踊り」と呼ばれる意味が不可解な言葉で唄いながら踊る祭りまで古くから行われているということ自体、何かしらキリストを祀る理由があったのでしょうか。
理由なくして、イエス・キリストの墓が、青森県の奥地に建てられることなど想像もつかないことです。また、青森県の戸来(へらい)村という名称も、「ヘブライ」に起因しているという説があります。確かに「ヘブライ」と「ヘライ」はほぼ同等の発音であるだけでなく、そこに「戸来」という漢字をあて、わざわざ「ヘライ」と読んだことからしても、意図的にイスラエル人を意味する「ヘブライ」を「戸来」にあてた可能性があります。
太平洋岸にある港街は古代から八戸(はちのへ)と呼ばれていました。「戸来」の読みから「戸」は「へ」、「八」は「ヤ」と発音します。よって「八戸」の読みは今日では「ハチノヘ」ですが、本来は「ヤヘ」と読まれていたのではないでしょうか。「ヤヘ」は、ヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」という発音に酷似していることから、「戸来」共々、イスラエルの神に結びつく呼び名であったと考えられます。
青森民謡「ナギャドヤラ」はヘブライ語
その青森県で唄われる民謡の中に、「ナニャドヤラ」とも呼ばれる唄があります。その声の響きは「ナギャドヤラ」とも聞こえることから、「ナニャドヤラ」は「ナギャドヤラ」と呼ばれることもあります。現代では八戸をはじめ、二戸、三戸、九戸など、青森県の東側にあたる地域において、盆踊りの唄として親しまれています。そして定例の祭りの際には多くの女性が輪になって踊りながら、この唄を歌います。
ところが、その歌詞の意味は、日本語では全くといってよいほど通じないのです。そこで様々な説が唱えられ、これまで「梵語説」や「道歌説」、また「恋の歌説」などが提言されてきました。しかしながら、どれもその不可解な歌詞を解明するまでには至りませんでした。
「ナニャドヤラ」の発音を「ナギャドヤラ」としてヘブライ語で読むと、一変して意味のある言葉を有する唄に様変わりします。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』では、この青森民謡が大きく取り上げられています。そこでは、いかにしてヘブライルーツの詩が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説され、実際、ヘブライ語で書かれた日本民謡の歌詞や囃子言葉があることを、複数の事例をもって紹介されています。その内のひとつが、この「ナギャドヤラ」です。
その歌詞は、およそ以下の2文にまとめることができます。
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ヘブライ語で「ナギャドヤラ」とは
「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」としても知られています。そして実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と唄っています。これはおそらく、「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛ったものと推測されます。よって、ここでは原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点をあてることとしました。
まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目です。「ナギャド」は王子、主権者を意味するנגיד(nagid、ナギッド) です。旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられています(ダニエル書9章24節)。「メシア」は油注がれた聖者という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」の意味は、「油注がれた救い主なる君主」、すなわち「救世主」となります。それ故、「ナギャド」「ナギド」という言葉には、単なる君主という意味だけでなく、救い主、救世主という意味合いも、ほのめかされているのです。
その後に続く「ナサレテ」は、その発音のとおり、新約聖書にも記載されている「ナザレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名と考えられます。「ナザレ」はイエスキリストの出自に関わる場所として有名です。よって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と理解することができます。
「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた、「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源は、ヘブライ語で「立ち上がる」のיעלה(yaala、ヤアラ、ヤーラ) と推測されます。すると救い主を意味する「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になることがわかります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を祀る踊り唄の真骨頂となる掛け声ではないでしょうか。
また、「ナギャドヤラヨー」と、最後に「ヨー」がつく節も直後に続きます。「ヨー」は「神」を意味する「ヤ」、「ヨ」を指しています。ヘブライ語で「神」には様々な表現の方法があり、יההו(yahu、ヤフー) 、または略のיה(ya、ヤ)、 יו(yo、よー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」という祈りの言葉だったのです。
次の「サーエ」שעיר(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては、עזאזל(azazel、アザゼル) という「地獄」を意味する言葉と繋がり、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味の言葉としても用いられていました。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」ではないでしょうか。それは、「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」を意味していたのです。つまるところ、その「身代り」とはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、救い主であるメシアが、人々の罪を背負って代わりに死ぬことを指していたと考えられます。
囃子詞に秘められたメッセージ
この青森民謡の囃子詞には、ユダヤ人のメシア、神の子についてのメッセージが秘められていることに驚きを隠せません。西アジアから渡来した大勢の人々が古代、青森県周辺を訪れ、そこに集落を形成して神を祀った結果、「ナギャドヤラ」の祭りが始まったのでしょうか。今日まで青森県に存在する戸来(ヘライ)村は、古代イスラエルの集落を意味するヘブライ村ではないかとも語り継がれ、太平洋に面する東海岸の拠点となった港町は、神の名前を意味する八戸「ヤへ(エ)」「ハチノヘ」とも読めることが、その証であるように思えてなりません。
不思議な話ですが、作り事には思えません。日本語で分からない言葉が、ヘブライ語にあてはめると意味が成り立つとすれば、それは納得できます。
すごい驚きです。去年あたりから聞いてます。嬉しくなりました。
ユダヤ系渡来人が東日本に大勢入植していきたという説(田中英道先生)もありますから、楽しい説明です。ヘブライ語の現代~古語(渡来人には古語が残り易いともいわれますが)等の関連を示してくれるとありがたいのですが。
聖書時代のヘブライ語は英語ではBiblical Hebrewとも呼ばれています。現代のヘブライ語とはかなり違いがあります。古代の風習、しきたり、伝統を何世紀にもわたり踏襲してきたイスラエル民族にとって、その違いは苦になりません。何故なら彼らは、聖書に記載されているヘブライ語を、そのまま今日までユダヤ教会堂であるシナゴグでも読み続け、その言葉の意味も代々理解しているからです。すなわち、イスラエルの民にとては、聖書時代のヘブライ語は、今でも重要な意味をもっているのです。しかしながら、現代のイスラエル人かたみて、意味が明確でない言葉も少なくはなく、その場合は個別に検証が必要です。