民謡の中のヘブライ語
ふるさと日本から生まれた民謡は、比類なき素晴らしい文化遺産です。日本の民謡は心を励ます人生の応援歌として、いつの時代も変わらず多くの人に愛され、歌われ続けてきました。
これらの民謡の中には意味が不可解な囃子詞を含むものが多数あります。しかしながら、長い年月を経ても、その言葉尻さえ失われずに今日まで歌われ続けてきたことに驚きを隠せません。
囃子詞の多くはヘブライ語でその詞の意味を理解することができるだけでなく、それらの歌詞の背景には、一貫したテーマが存在することがわかってきました。表面上は日本語でありながらも、本来はヘブライ語で創作された唄であることから、二重の意味が込められていたことになります。すると、私たち日本人は長い歴史のタイムスパンにおいて、囃子詞本来の意味に気付かぬままに、ヘブライ語で書かれた歌詞を単なる日本語の掛け声と思って唄い続けてきたことになります。
誰もが知っているソーラン節や会津磐梯山、木曾節、伊勢音頭囃子など、日本列島各地で唄われ続けている民謡の多くには、明らかにヘブライ文化の息吹を感じることができます。それらの囃子詞の意味をヘブライ語で理解することにより、民謡のルーツを知るだけでなく、古代、これらの囃子詞を繰り返し唄っていた人々の思いに寄り添うことができるでしょう。
青森民謡の囃子詞はヘブライ語
青森県の新郷村にはキリストの墓が存在し、周辺の地域では古くから「ナギャド・ヤラ」、または「ナニャドヤラ」と呼ばれる民謡が祭りで唄われてきました。キリストの墓に象徴されるように、「ナニャドヤラ」の祭りと唄、そのものはユダヤの影響を強く受けたものでした。よって「ナニャドヤラ」の民謡で唄われる囃子詞の意味は、日本語では理解できなくても、イスラエルの言語であるヘブライ語で読むと、理解することができます。その詞には「救い主よ、立ち上がり給え!」という思いが込められていたのです。
青森県には「ナニャドヤラ」以外にも、様々な民謡が古くから唄われ続けてきました。中でも奥津軽を中心に開催される「嘉瀬の奴踊り」では、三味線に合わせて民謡を唄いながら、盆踊りを舞う祭りとして著名です。その技芸は県の無形民俗文化財にも指定されています。「嘉瀬の奴踊り」の歴史は17世紀後半の元禄年間と伝えられ、従来は田植踊りとして知られていました。その唄のなかで叫ばれる囃子詞も、「ナニャドヤラ」同様に、ヘブライ語で綴られていたようです。
「嘉瀬の奴踊り」をヘブライ語で読む
「嘉瀬の奴踊り」では、「ハア・ヨイヤナカ(ヨヤナカ)・サッサ」という囃子詞が連呼されます。一見、日本語では意味を成さないこれらの言葉は、ヘブライ語で読むことにより、その意味を理解することができます。
まず、「ハア」はヘブライ語でהא(ha、ハ) と書きます。この詞は「見よ!」、という感嘆詞として頻繁に使われています。次のיהי(yohi、ヨヒ、ヨイ) は、そうなる、存在する、そのようになる、を意味します。つまり「ハ・ヨヒ(イ)」という詞は、「見よ、そうなる!」という意味になることから、この後に続く言葉が重要になります。
「ヤナカ」は「神」を意味する「ヤ」と、「ナカ」に分けて解読します。נכח(nakha、ナカ) は「~がおられた」、「休まれた」ことを指す詞です。 その接頭語として神の「ヤ」を加えているので、「ヤナカ」は「神がおられた」という意味になります。そして「そうなる」を意味する「ヨヒ(イ)」と繋いでיהי יה נכח(ヨイ・ヤナカ)とすれば、「神がおられるように!」、「神よ、いてください!」という祈りの思いを込めた詞になります。すると「ハア・ヨイヤナカ」、「ハア・ヨヤナカ」 とは、「見よ、神がおられますように!」、という詞として理解することができるのです。
また、「ヤナカ」に近い発音を持つヘブライ語の中に、ינוקא(yanuka、ヤヌカ) という詞もあり、「子供」、「みどり子」を意味することにも注視する必要があります。もしかすると、前述した「神がおられるように!」という願いにかけて、「みどり子がいますように!」、すなわち旧約聖書のイザヤ書で予言された救い主である「みどり子」(イザヤ9章5節)を慕い求める祈りの思いも、、「ヤナカ」という詞の背景に潜んでいるかもしれません。
そして一連の囃子詞は「サッサイ」「サッサ」で締めくくられています。これは「喜ぶ」「歓喜する!」を意味するשש(sasa、サッサ) が語源となった詞であり、それがヨイヤナカ(ヨヤナカ)の語尾に付加されたものです。すると一連の言葉は、「ハア・ヨイヤナカ(ヨヤナカ)・サッサ」にまとまり、その意味は、「見よ、神がおられますように!喜べ!」、となります。また、その詞の背景には、「神のみどり子がいますように!」という願いも込められていた可能性があります。
囃子詞に込められた願いとは
一見、何の関連もない掛け声のような言葉が単に並べられているような囃子詞ではあっても、実は深い宗教的な意味合いが含まれていることがあるようです。なぜなら、日本建国の土台を培ってきたのは、西アジアから渡来したイスラエル系のユダヤ人であったと考えられるからです。
古代、預言者イザヤの一行が大陸を横断して日本にたどり着き、大和の国、倭国の建国に一役買ったことについて、本サイトにおいては様々な見地から、その信憑性について検証しています。もしそれが事実とするならば、当然のことながら日本文化の底辺にはヘブライ文化が根付いているだけでなく、イザヤが預言書に書き記した救いのテーマに従って、救い主、メシアに関する言及が、いろいろな文献や民謡で唄われる囃子詞に残されていても決して不思議ではありません。
イザヤ書9章の1節から7節を見ると、神の裁きを受けて滅び行くイスラエル国家に対し、まだ赤子の救い主が与えられることが約束されています。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる…その名は不思議な助言者。」すなわち古代、イスラエルの民にとって「助言者」、「みどりご」とは、国家を救うメシアの代名詞でもあったのです。
古代社会において、神に祈りつつ、神からの祝福を受けながら日々を過ごすことは、とても大事なことだったに違いありません。毎日が神との出会いであり、その場に神がおられることを願いながら、時には大勢が集まり、神を祝する祭りを催し、そこで唄い踊ったことでしょう。そのような信仰の思いが、そのまま「嘉瀬の奴踊り」の中に囃子詞として採り入れられ、「ハア・ヨイヤナカ・サッサイ」と唄われたのです。そして今日まで唄われ続けてきたのです。
「見よ、神がおられる!喜べ!」、「見よ、神のみどり子が与えられる、喜べ!」と叫びつつ、神を賛美し、神の子、メシアを祝ったのが、「嘉瀬の奴踊り」です。神を讃えた古代の人々の思いを、今日でも囃子詞から知ることができます。
「嘉瀬の奴踊り」の歌詞
一、(ハア ヨヤナカ サッサ)
さあさこれから 奴踊り踊る
さあさこれから 奴踊り踊る二、竹の切口に しこたんごたんと
なみなみたっぷり 湛えし水は
飲めば甘露の 味がする三、稲妻ピカピカ 雷ゴロゴロ
意気地無し 親父
ばら株さひっかかって 千両箱拾った四、親の意見と 茄子の花と
千に一つの またむだもない五、お前百まで 儂ゃ九十九まで
ともに白髪の 生えるまで六、今年ゃ豊作 皆踊るべし
稲の田圃が まず揺らいだな七、嘉瀬と金木の 間の川の
石コ流れて 木の葉コ沈む八、あまり長いは 御座の邪魔に
まずはひとまず 又次御座る(三:四二)