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2021/10/14

「さんさ時雨」は恋唄か戦勝の唄か! 囃子詞の意味から浮かび上がる意外な結末

「さんさ時雨」の歴史

東北地方でも太平洋側、宮城県を中心に古くから唄われてきた民謡が「さんさしぐれ」です。長年にわたりさまざまな祝宴の場において、手拍子を打ちながら唄われ続け、民謡の中でも名曲として全国に知られるようになりました。「さんさ時雨」は、今日でも九州の黒田節に匹敵する格調の高い祝い唄として、多くの人に慕われています。

その歌詞は、16世紀の戦国大名であり、東北の陸奥国と出羽国、旧仙台藩領に君臨した伊達正宗によって作詞されたという伝承があります。伊達政宗が磐梯山にて敵を打ち破ったことを記念した戦勝の唄というのが根拠ですが、その歌詞の内容は戦争とは結びつかず、また、「さんさ時雨」は会津地方においても民衆から愛され、唄われてきた民謡であることからしても、会津を打ち負かしたことが「さんさ時雨」の背景にあるとは考えづらいでしょう。一方、江戸時代の吉原にて恋心をよんだ情歌がルーツとも言われ、その流行唄が江戸土産として、東北地方にも伝播したという説もあります。

そしていつしか、祝儀唄として東北地方に広まった「さんさ時雨」は、会津地方では「目出度」、山形界隈では「ショオガイナ」としても知られるようになりました。

「さんさ時雨」の歌詞と囃子ことば

さんさ時雨で唄われる囃子詞は、「ハァヤートヤート」と「ショーガイナ」です。また、唄の中には、「音もせで来てぬれかかる」という一見、不可解な歌詞も登場し、「鶴と亀とが舞いあそぶ」という鶴亀にかけた一句も用いられています。

さんさ時雨は、以下の歌詞から始まります。

さんさ時雨か萱野の雨か
(ハァヤートヤート)
音もせで来て濡れかかる
(ショウガイナ)

その歌詞は、日本語なのか、何語なのかわからない、実に不思議な響きを持っています。ごく一般的には、歌詞に含まれる言葉の語呂や意味から察して戦勝記念の唄ではなく、むしろ男女関係の情事に関する唄として理解されることが多いようです。それが、この民謡がはやった理由の一つともなりました。

「さんさ」はヘブライ語で「喜べ!」

今一度、民謡の題名である「さんさしぐれ」という言葉の意味を考えてみましょう。まず「さんさ」は、時雨が降る音が擬音化した言葉であるという説があります。その雨の音が「サンサヨー」という囃子言葉となり、それが「さんさ」に訛り、いつしか慣用句として様々な民謡の唄で「さんさ」または「さっさ」という囃子詞になって各地で広まったと考えられています。その他、鬼退治をする際に笹を持って踊ったことが「笹踊り」となり、それが「さんさ踊り」となったとか、「サーサー」と声を掛けられて皆が踊らされせたことから「サーサー踊り」になったなど、諸説があります。しかしながら、いずれも「さんさ」という言葉の意味をわかりやすく説明するに至っていません。

「さんさ」の語源は、ヘブライ語で「喜ぶ」「喜べ!」を意味するשש(sas、ササ) もしくはשוש(sus、スッス) と考えられます。「ササ」「サス」「スッス」という言葉には、喜ぶ、幸せになる、という意味が込められています。だからこそ、古くから人々が集まり、お祝いをする場においては、「ササ」「サッサ」という言葉が民謡の中で頻繁に用いられて唄われるようになったのでしょう。その一例として、「さんさ時雨」では、「ササ」が多少訛って「サンサ」と唄われているのです。

「時雨」しぐれの意味は「舞い上がる」?

 「さんさ」に「喜べ」という意味が含まれているとするならば、「時雨」とどのように結びつくでしょうか。「時雨」とは、秋から冬にかけて、ぱっと降り出す小雨のことを指します。特に日本海側において、短時間にさっと降ったり止んだりする雨のことを指します。その「時雨」を「さんさ」に繋いでも、降り出す雨を喜べと唄うこと自体、意味が通じません。また、「さんさ時雨」は東北地方でも太平洋側を中心に広まった民謡であることからして、日本海側の雨が唄のタイトルになるとも考えられません。

「さんさ」の意味はヘブライ語で理解できることから、「シグレ」も同様の外来語として考えてみました。ヘブライ語では「明らかにする」「表す」「発見する」もしくは「打ち上げる」を意味するשיגולה (shigula、シグラ)という言葉があり、実際の発音は「シグレ」と聞こえます。すると「サンサ」と「シグレ」をあわせた「サンサシグレ」という言葉が、ヘブライ語としてひとつの意味を成すことがわかります。その意味は、「喜びを表す!」「歓喜に舞い上がる!」となります。

「さんさ時雨」とは、人々が集い、みんなで共に喜び溢れて小躍りするという、まさに歓喜の祭りを背景に、人々の心が弾む思いが、一連のヘブライ語の中に巧みに綴られていたのです。

神を讃える「ハァヤートヤート」

次に出てくる囃子詞、「ハァヤートヤート」の「ハァ」「ハー」は、ヘブライ語で「見よ!」を意味するהא (ha、ハ) と考えられます。この言葉は感嘆詞として、聖書の中でも頻繁に使われています。

その後に続く「ヤート」「ヤト」は、発音することのできない神聖な神の名、יהוה(Yahweh、ヤーウェー) という言葉の代わりに、「神」を意味する当て字としてיאתוה(yatoh、ヤト) が用いられたと推測されます。「ヤト」の文字列には、「神」を書き記すיהוהのアルファベット文字が含まれています。すると、「ハァヤート」という言葉はヘブライ語で、「見よ、神を!」という意味になります。

ヘブライ語では「溢れる」「満ちている」を意味するיתר (yeter、ヤータ)という言葉もあります。この言葉が囃子詞の語源となり、人々が「満ちている!」「溢れている!」と唄っていたとも考えられます。「さんさ時雨」は「歓喜に舞い上がる!」を意味することから、その喜びが「満ち溢れている!」というのが「ヤート」の意味となり、言葉の流れがうまくつながります。

また「ハァヤート」は、「それは実現する!」「そうなる!」という意味のהיתה (hayatah、ハヤタ)が語源になっている可能性もあります。すると、みんなで「さんさ時雨」を唄い、喜び舞い上がる時、「そうなる!」「そうだ!」という掛け声が、「ハァヤート」の意味としても理解できます。

「音もせで来て濡れかかる」の謎を解明!

次に、解釈が難しい「オトモセデキテ」に注目してみました。この言葉は3つのヘブライ語、「オトモ」「セデ」「キテ」から構成されていると考えられます。

「オトモ」はヘブライ語のאטם(otom、オトム) がルーツで、「止める」「封じる」または「閉ざす」を意味します。「セデ」は戦場を意味するשדה(sedeh、セデ) であり、発音も一緒です。そして「キテ」は「清められた」を意味するחיטא(khite、キーテ) と考えられます。すると、「オトモ・セデ・キテ」の意味がヘブライ語で、「戦場は閉ざされ清められた!」という意味になります。

「ヌレカカル」も同様にヘブライ語で解釈できます。「オトモセデキテ」と同様に、「ヌ」「レカ」「カル」という3つのヘブライ語で構成されている言葉と考えられます。まずנו(nu,ヌ) は「さあ!」「来て!」という意味を持つ言葉です。次に「レカ」ヘブライ語ではלך(lekh、レカ) と書き、「あなたに」だけでなく、動詞で用いられると「行く」「進む」「あなたに」の意味で理解することができます。そして「カル」はおそらく「力」を意味するחיל(heil、カイル) という言葉でしょう。この言葉は古代、「砦」「お城」の意味で使われていました。

これまで不透明だった「ヌレカカル」の意味が、ヘブライ語で浮かび上がってきました。「ヌレカカル」は「濡れかかる」という、情事を示唆する日本語のように聞こえても、実は民と共に喜びながら、神の命に従って地境を広げていく戦勝記念の唄であったと考えられます。その言葉の意味は、「神の砦に向かって進もう!」と理解することができます。そして「オトモセデキテ」と合わせて「オトモセデキテ・ヌレカカル」と続けて読むと、確かに戦勝記念を思わせるような主旨の言葉がヘブライ語で綴られていたのです。戦争に勝利した今こそ、「戦場は封じられて清められた!神の城、砦に向かって進み続けよう!」という強い思いが、この囃子詞に込められていたのです。

すると、伊達政宗の戦勝を記念して詠われた句が編纂され、「さんさ時雨」になったという説は、あながち間違いではないかもしれません。「さんさ時雨」で唄われる「オトモセデキテヌレカカル」のヘブライ語訳は、伊達政宗が磐梯山の裾野にて会津の蘆名 (あしな) 氏に勝利したことを祝う言葉として、その意味が合致するのです。もしかすると伊達政宗自身、「さんさ時雨」の歌詞と囃子詞の意味を、ヘブライ語で理解していたのかもしれません。

「ショーガイナー」の意味は

最後に囃子詞としても名高い「ショーガイナー」「ショウガイナー」という囃子詞を検証します。日本語として理解すると、「しょうがないな」という言葉に酷似していることから、ふと、それが語源に思えてきます。しかしながら、祭りで唄う歌詞としては内容が不向きであり、民衆が喜び唄う意味とはかけ離れているのです。ところが、この言葉もヘブライ語で解釈すると、思いもよらず、前節につながる新たなメッセージが浮かび上がってきます。

「ショウガイナ」には元来、当て字があり、「勝凱」と書いたのではないか、という説があります。「さんさ時雨」の背景には、戦勝の記念として「メデタイ、メデタイ」と「凱旋」することから、「勝凱」という言葉が生まれ、そこから「ショーガイナー」という囃子詞が生まれたと推測する訳です。問題は、「さんさ時雨」の歌詞全体が、日本語では戦争に勝利するような意味合いに理解できなかったのですが、ヘブライ語で読む「音もせで来て濡れかかる」には、戦勝を記念する意味が読みとれることから、的を得ているかもしれません。

「ショウガイナー」の意味もヘブライ語で解釈することができます。「ショー」はヘブライ語でשור(sho、ショー)と書き、「壁」「城壁」を意味します。「ガイナー」は「園」または「葡萄畑」を意味するגינה (gina、ギナ)と推測されます。すなわち「ショウガイナー」とは「葡萄畑の壁」「園の城壁」という意味に捉えることができます。

「さんさ時雨」の唄の意味

一見、意味が不可解な「さんさ時雨」の囃子詞は、日本語では恋唄のように聞こえますが、ヘブライ語では全く異なる意味が込められていました。唄のタイトル、「さんさ時雨」の意味は、みんなで喜び、舞い上がることです。何かのきっかけがあり、みんなで祝う、というのが「さんさ時雨」の唄の目的のようです。では、そのきっかけとは何でしょうか。続く囃子詞の意味から探ることができます。

まず、囃子詞の「ハァヤートヤート」は、ヘブライ語で「見よ!神を」という信仰の思いを述べた言葉です。よって、「さんさ時雨」の唄の主旨は、神の恵みに預かること、すなわち信仰の唄であったことがわかります。次に「音もせで来て濡れかかる」は、「戦場は封じられて清められた!神の城、砦に向かって進み続けよう!」という意味が、ヘブライ語で綴られていました。神のご加護により戦勝した後、城壁、砦に向かって雄々しく進む、という信仰の思いが感じられる言葉です。その目的地の砦とは「ショウガイナー」と言われたように、城壁に囲まれた楽園、葡萄畑のような園だったのです。これら一連の戦勝を記念する思いが「さんさ時雨」の骨子となっていたことが、ヘブライ語での解釈より理解することができます。

日本語では不可解な「さんさ時雨」の歌詞は、一見、男女の情事にかけているようにも考えられますが、実はヘブライ語で理解すると、戦いに勝利した民が喜び叫び、神が守られる砦に向かって歩み続け、楽園にたどり着くという、戦勝を記念して歌った勝利のヘブライ賛歌だった可能性が見えてきます。このような歓喜の思いが込められた歌詞だったからこそ、伊達政宗が戦勝を祈念して唄の編纂を命じ、「さんさ時雨」が完成したのかもしれません。そして会津の民に対してあからさまに戦勝の唄を奏でることを避けるため、折句のように2重の意味をもたせたとは考えられないでしょうか。そして表面上は、恋唄のように聞こえるが、実はヘブライ語で詠むと戦勝の唄となり、敵地を攻略して進軍したことが祝されていたのです。あくまで仮説の域をでませんが、歴史の真相に一歩、近づいてきたようです。

このようなルーツをもって東北を中心として全国各地に広まった「さんさ時雨」は、時代の流れとともに、例えその囃子ことばの意味が不透明になっても、後世まで伝承され続けることになります。

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