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2021/11/29

「庄内おばこ節」の囃子詞とは 愛の言葉から紐解かれる信仰の思い

囃子詞が多用される東北民謡「おばこ節」

日本民謡では囃子詞が頻繁に活用されています。唄の合間に軽快なリズムとともに囃子詞が声高らかに叫ばれ、大勢の民衆が喜びながら唄い踊るのが特徴です。特に東北地方の民謡では囃子詞が多用され、大きな掛け声ともとれる様々な囃子詞が、唄と共に飛び交います。例えば山形県や秋田県を中心に普及した「おばこ節」のひとつとして名高い「庄内おばこ節」では、「コバエテ」という囃子詞が唄われています。

この囃子詞は日本語では意味をなさないにも関わらず、古くから人々は代々に渡りメロディーとともに口ずさみ、継承してきたのです。不思議な響きをもつ囃子詞ではあっても、地域文化にしっかりと土着し、長年にわたり多くの人に親しまれてきたことは注目に値するだけでなく、日本文化の誇りとも言えるでしょう。

しかしながら、「庄内おばこ節」の囃子詞は本当に意味のない発音の連呼なのでしょうか。それとも古来、何かしらの意味が込められていたのでしょうか。この囃子詞の意味を考察する前に、まず「庄内おばこ節」の成り立ちを振り返ってみましょう。

「庄内おばこ節」が普及した背景

「秋田おばこ」「米沢おばこ」そして「庄内おばこ」に代表される「おばこ節」は、庄内地方で普及した農家の「縄ない唄」と呼ばれた民謡が、その元唄と言われています。中でも「庄内おばこ節」は有名です。山形県飽海郡遊佐町の帝立寺の境内には、「庄内おばこ節 発祥の地」という石碑が建てられています。また、同じ山形県の羽黒町にも「庄内おばこ」の石碑があります。それほどまでに地域に根付いてきた「庄内おばこ節」の唄は、いかにして発祥したのでしょうか。

「庄内おばこ節」の中で唄われる囃子詞は、男女の恋愛感情を唄うものと伝承されてきました。何故なら、「おばこ節」の「おばこ」という言葉は、帝立寺の近くに住む梢(こずえ)という娘と、旅の商人との恋の物語にルーツがあると考えられてきたからです。その「娘」は「おばこ」と呼ばれ、その恋愛をはやした唄が「庄内おばこ節」なのです。

その結果、いつしか稲の切り株で作った人形を「おばこ」と呼ぶようになり、好き相手にプレゼントするという風習も始まることになりました。こうして「おばこ」はいつの間にか恋人の代名詞となり、愛する人をテーマとして唄う民謡として、東北地方を中心に広まっていくことになります。

「庄内おばこ節」 囃子詞の意味を解明!

「おばこ節」のルーツと言われている「庄内おばこ節」では、「アコバエテ、コバエテ」という興味深い囃子詞が唄われています。接頭語の「ア」は単なる感嘆詞と考えられることから、後に続く「コバエテ」の意味を解読する必要があります。囃子詞の多くは日本語では意味を成さずとも、ヘブライ語で読むと明確な意味が浮かび上がってくることがあります。「庄内おばこ節」の中で繰り返し叫ばれる不可解な「コバエテ」という詞も例にもれず、ヘブライ語で読むことができます。

「コバエテ」は2つのヘブライ語から構成されています。まず、ヘブライ語で「コバ」は、義務や義理、責務のような強い気持ちを表すחובה(kohvah、コバ) と推測されます。続く「エテ」は、「彼女と共に」を意味するאיתה(itah、イタ) と考えられます。ヘブライ語の「イタ」という発音は、「エテ」とほぼ同等です。この2つの言葉が合わさると「コバイタ」「コバエテ」となり、「彼女のそばにいたい」、「彼女と共に必ずいる!」という意味を持つ情熱的な愛の言葉となります。まさに「コバエテ」とは、「おばこ節」の本領である恋愛感情を、ありのままにヘブライ語で綴っていたのです。

「おばこ」とはイエスキリスト?

ところで肝心な唄のタイトルに登場する「おばこ」ですが、この言葉もヘブライ語で解明することができます。まず、「お」は栄光を意味するהוד(hod、ホッ) と理解することができます。その発音は「オ」に酷似しています。続く「ばこ」はおそらく、ヘブライ語のבכור(bekhor、ベコ) が原語であり、それが多少訛って「ばこ」になったと考えられます。この言葉は「長子」、「最初に生まれた初子」を意味します。これら2つの言葉が繋がり「オベコ」、「オバコ」になると、「栄光ある初子」「栄光の長子」という意味の言葉になります。

ヘブライ文化圏を含む西アジアにおいては、最初に生まれた子供に与えられる長子の特権が大事にされています。それ故、初子を神に捧げることや、大切な長子の特権を奪い合う物語などが聖書にも記載されています。ところで、神から祝福を受けた究極の長子、神の一人子と言われたのが、イエスキリストです。「おばこ」の「お」という頭の言葉が「栄光」を意味するだけに、どうも「栄光の長子」とは、イエスキリストを暗示しているように思えてなりません。

すると、唄の題名の「オバコ」と囃子詞の「コバエテ」が、実は、密接に繋がっている言葉であったことがわかります。「庄内おばこ節」は「おばこ、来るかやと」とはじまり、それは愛する女をひたすら待つ唄として通常は理解されています。その「おばこ」を「娘」として解釈するのではなく、「神の初子」であるイエスキリストと想定することにより、「おばこ」と「コバエテ」の繋がりが、神の子であるキリストを慕い求め、主が再び来られることを待ち望む信仰告白の言葉に生まれ変わるのです。もしそれがヘブライ語による元来の意味であったとするならば、「庄内おばこ節」には2重の意味が込められていたことになります。

「庄内おばこ節」の囃子詞

熱烈な恋愛感情を唄った「コバエテ」という囃子詞には、愛する「おばこ」と共にいたい、という強い思いが込められています。この「おばこ」という詞には、愛する「娘」だけに限らず、「神の一人子キリスト」の意味も込められていたようです。その結果、「おばこ」を熱唱する民衆は知らず知らずの内に、「おばこ、コバエテ」「栄光の長子と共にいませり」と唄っていたことになります。

囃子詞の多くは、ヘブライ語でその意味を理解することができます。そして囃子詞の大半がヤーウェーの神や救い主を誉め讃えることに繋がっているのです。「庄内おばこ節」もその例にもれず、一見、恋愛に通じる名称のように思える「おばこ」という唄のタイトルそのものにも、枕詞のように「娘」だけでなく、「神のひとり子、イエスキリスト」の意味も込められていたようです。そして2重の意味が込められた「おばこ」と、強い愛の思いを表現した「コバエテ」という囃子詞を一緒に唄うことにより、誰しも自然と神を誉め讃えることができるよう、上手に唄が作られたと考えられるのです。

庄内おばこ

おばこ来るかやと(アコリャコリャ)
田ん圃のはんずれまで出てみたば(アコバエテ コバエテ)
おばこ来もせで(アコリャコリャ)
用のないたんばこ売りなどふれて来る(アコバエテ コバエテ)
おばこ居たかやと 裏の小窓から覗いて見たば 
おばこ居もせで 用のない姿さまなど糸車
酒田山王山で 海老コと鰍コと相撲とった
海老コなんしてマタ腰ァ曲がった
鰍コと相撲とって投げられて それで腰ァまがった

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