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2026/03/19

「かごめかごめ」の舞台となる剣山 山奥に秘蔵された神宝に纏わる伝承を探る

神宝を伝承する剣山周辺の集落

「かごめかごめ」の歌詞の内容に適うだけでなく、元伊勢御巡幸の歴史の流れにも合致する要素を兼ね備えている場所が、国内でただひとつ存在します。それが四国の剣山です。西日本で2番目に高い剣山の周辺地域では、ユダヤの秘宝が隠されているという噂が遠い昔から語り継がれています。剣山の麓は「日本のチベット」と呼ばれるほどの交通の難所であり、そこには今もってなかなか開発が進まない東祖谷山村(ひがしいややまそん/現・三好市)が存在します。四国の中央に位置する人口2,600人余りの小さな村で、その地域は高山に道を阻まれており、まさに秘境と言えます。その東祖谷山村でも、ソロモンの秘宝と言われる契約の箱が剣山下に隠されていると言い伝えられてきました。村の観光案内でも公式に認知されていることもあり、単なる伝説ではないようです。

神宝に纏わる噂がつきない剣山では、その山頂だけでなく周辺の山々に大規模な山焼きの跡が残されています。「かごめかごめ」の舞台を剣山と想定すると、神宝の秘蔵に絡む元伊勢御巡幸の終結から、山に火が入れられるまでの一連の古代史の流れが繋がります。それは剣山を舞台として、元伊勢御巡幸から邪馬台国までの歴史が結び付いていることも意味しているようです。その背景を探るため、剣山の周辺地域に関わるいくつかの伝承を振り返ります。

祖谷の民謡で歌われてきた伊勢の宝物

剣山の麓にある祖谷地方には、古代から伝承されている民謡があります。その歌詞を見ると、神宝やイスラエルの契約の箱に関して歌っている可能性が見えてきます。

祖谷の谷から何がきた。 恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。 三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御龍車が 三つ降る。(中略)
伊勢の宝も、積みや降ろした、 積みや降ろした。(中略)
三つの御龍車が降った祖谷。 伊勢の宝が積みおろされた祖谷。

山開きで担がれる劔山本宮の神輿
劔山本宮の神輿

この歌の背景について詳細は不透明なものの、剣山に向けて、伊勢から神宝が運ばれてきたことが語られているようにも読み取れます。祖谷地方の民謡に、神宝の移動を証する歌が残されていることは極めて重要です。何故ならば、「かごめかごめ」も歌詞の背景には神宝の存在があると考えられるからです。

剣山頂上周辺の発掘調査の結果

剣山に神宝が秘蔵されている、ということを最初に公言したのは、神奈川県出身の元小学校校長である高根正教氏です。高根氏は昭和11年から3年にわたり、剣山の頂上周辺にて発掘調査を行いました。発掘場所の全長は485尺、すなわち150~160mにも及び、その結果、多くの玉石や鏡石などの遺物が見出され、同氏は剣山を「人工の山」と称したほどでした。そして高根氏は「聖書」や「古事記」を比較研究し、剣山にはイスラエルの契約の箱が隠されているのでないか、という結論に達したのです。

その真相は定かではないものの、高根氏の働きと研究成果は、剣山の存在を世間に知らしめることになります。その後、同氏は四国剣山顕彰学会を設立し、その研究成果は、御子息である高根三教氏に引き継がれました。今日では、美馬郡つるぎ町に高根資料館が設立され、そこでさまざまな文献を参照することができます。剣山に関する高根氏の洞察力は抜きん出ており、剣山の発掘調査や周辺の遺跡調査に纏わるデータの精査が今後、期待されます。

金の鶏」が語り継がれる石尾神社

故高根三教が注目した神社の中には、徳島県の穴吹山奥にある石尾神社があります。巨石を御神体として祀る神社であり、参道も自然の岩の割れ目を通ります。その御神体である結晶片岩の路頭は、100mx50mという、とてつもない大きさを誇示しています。

今となっては、荒廃した岩場のようにしか見えませんが、古くは剣山へ向かう際の参詣道にある神社として重要な拠点でした。人々は剣山を参拝する際、まず石尾神社にて祈りを捧げ、それから杖立峠という難所を通り抜けて剣山の山頂へと向かっていたのです。それが剣山に向けて登頂する正規の山道でした。よって、石尾神社は剣山にとって大切な存在であり、深い絆で結ばれていたことがわかります。

その石尾神社は、空海こと弘法大師も愛してやまない聖地でした。空海が高野山に拠点を設け、紀伊の吉野川上流にて人生の最後の日々を過ごした際も、高野山周辺にしか生息しない「こうやまき」という木を、わざわざ石尾神社まで持ち運び、御神体として佇む巨大な磐座の頂上に植えたと推測されます。それ故、巨石の頂上には「こうやまき」が今日でも群生しているのです。それほどまでに何故、空海は石尾神社に一目置いたのでしょうか。

石尾神社の御神体である巨大な磐座には、古代より、金の鶏が埋蔵されていると伝えられています。巨石の真横には「金鶏の風穴」と大きく記された標識が立てられ、その下には小さく、「この穴は清水があり、さらに進むと金鶏の像があると伝えられる」と書かれています。古代、何かしらの理由で金の鶏に見えるような物体が石尾神社に持ち運ばれ、巨石の下に埋められた可能性があります。このような伝承が2千年以上の時を経てまで語り継がれていることに驚きを隠せません。

もしかして金の鶏とは、イスラエルから運ばれてきた契約の箱の上に取り付けられていた、ケルビムと呼ばれる1対の鶏のことかもしれません。また、前述した祖谷の民謡で歌う「伊勢の宝」とも結びついている可能性があります。こうして剣山界隈、祖谷の地域では、古くからイスラエルの神宝として名高い契約の箱に纏わる伝承が残されてきたとするならば、剣山は正に神宝の歴史に紐付けられた霊山と言えます。よって、「かごめかごめ」が剣山と結び付いていても、何ら不思議はないのです。

鶴石と亀石を崇める剣山

剣山の頂上近くには宝蔵石と呼ばれる巨石があり、そこから200mほど離れた所には、鶴石、亀石と名付けられた大きな岩石が存在します。これらの巨石は古くから、剣山を登頂する多くの人から崇められてきました。鶴と亀、と言えば、「かごめかごめ」の歌詞に登場する2種の「すべった」動物が、思い起こされます。剣山は山自体が「鶴亀山」とも呼ばれることもあり、「かごめかごめ」で歌われる鶴と亀のテーマと一致します。これは単なる偶然でしょうか。

また、ヘブライ語で「ツ」「ツル」は「神」、「カメ(ア)」は「お守り」を意味します。日本語では動物の名称と思いながら歌っていたものが実際には外来語であり、「神のお守り」を意味する言葉だったのです。よって「鶴」と「亀」は神聖なる場所、山、神宝に関連する言葉であることがわかります。

剣山の鶴石と亀石は、単なる岩石の名称ではなく、何かしら神のお守り、神の守護、すなわち神宝に関わる言葉だったのです。それ故、神宝に関わる剣山の鶴石と亀石を背景として、「かごめかごめ」の歌詞にも取り入れられたと考えられます。

剣山周辺が焼かれた痕跡とは

四国では瀬戸内側に高地性集落の遺跡が多数見つかっています。古代社会の不思議とも言われる謎めいた高地性集落は、剣山を中心とする周辺の山々にも存在しました。実際、祖谷地区の周辺には近年まで大きな牧場が存在し、剣山周辺でも人々が居住することができるなだらかな斜面と地勢を有する山麓がいくつも見られました。四国の山上に高地性集落を造営することは決して難しいことではなかったのです。

標高1955mを誇る剣山の頂上周辺は、ミヤマクマザサのササ原やコメツツジの野原が広がっています。樹木がほとんどなく、ササ原が尾根に伝いに広がっているため、その景観は「馬の背」、とも呼ばれています。このように高山の山頂や尾根伝いにササ原が広がる光景が剣山周辺の山岳地帯で見られます。次郎笈三嶺天狗塚矢筈山赤帽子山などが、その一例です。

ササ原とコメツツジの野原が剣山周辺の山々に見られる理由は、古代、これらの山々の頂上周辺にて樹木が切り倒され、集落が造られた形跡の名残と考えられるからです。それらは自然の産物ではなかったのです。つまり遠い昔、何らかの理由により高地性集落が存在した徳島山岳地帯において、山々が焼かれてしまった名残と考えます。その結果、今日見られる「馬の背」のように山麓の途中から樹木が消え去り、頂上近くになるに従って野原が広がる景色を目の当たりにするのです。これは、山々の樹木が火入れによって一掃されたことを証する「かごめかごめ」の歌の内容と一致します。

山が焼かれた証となる焼山寺の由縁

徳島山岳地帯に火が入れられた証として、剣山から24kmしか離れていない神山町に焼山寺が建立されています。第12番札所としても名が知られている焼山寺の創始は、遅くとも飛鳥時代にまで遡り、その名称のとおり、焼き山についての由緒が複数残されています。中には空海が、火を吹いて人々を襲う大蛇と対決したという言い伝えもあります。山を火の海にする大蛇と、真言を唱えながら戦う空海との一騎打ちになり、最終的に大蛇は岩窟の中に封じ込められます。しかしながら、丸焼きの被害をまぬがれることができずに焼山となってしまい、焼山寺が建立されたというのです。これらの言い伝えは古代、剣山周辺の山々にて火の手が上がった歴史を語っていたようです。

「火を付けろ」、「燃やせ」という「かごめかごめ」のヘブライ語訳に含まれる命令が具現化できる自然の環境が、古代の徳島山岳地帯の剣山周辺には整っていました。そして火入れの背景には、山々の奥地まで神宝が持ち運ばれてきた史実がありました。それ故、祖谷の山奥では古くから、「伊勢の宝も、積みや降ろした」と歌われていたと推測されます。その神宝を四国の徳島山岳地帯まで持ち運ぶ原動力となり、元伊勢御巡幸の船旅を主導して倭姫命ら御一行を支えたのが、海洋豪族として知られる船木一族だったのです。

今日、剣山を中心とする徳島山岳地帯を見渡すと、そこには山々が焼かれた跡に群生したと考えられるミヤマクマザサの広大なササ原を眺めることができます。また、「かごめかごめ」の歌も、そのヘブライ語訳では「燃やせ!」という言葉が用いられているように、山々に火が入れられたことを物語っています。つまり剣山と「かごめかごめ」の歌は、山焼きという史実によって繋がり、その背景には元伊勢御巡幸により剣山まで運ばれてきた神宝の存在があったのです。そして元伊勢御巡幸の直後、邪馬台国の歴史が始まり、短期間で女王国は消滅します。剣山が「かごめかごめ」の舞台とも結び付いていたと想定することにより、元伊勢御巡幸から邪馬台国までの歴史の流れと、山に火が入れられた謎が紐解かれます。

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