東南アジアを経由して渡来した現生人類
日本の古代史を散策していると、いつか必ず通るのが「日本人の起源」に関わる奥の細道です。昨今の学説によれば、日本人の起源を辿ると60万年以上前の新生代更新世まで遡り、100万年前のジャワ原人や、80万年前の北京原人との結び付きさえ見えてくるようです。その後、20~30万年前にアフリカ大陸の北方に誕生したホモ・サピエンスが現生人類へと進化し、6~7万年ほど前にはユーラシア大陸各地に移住し始めたと想定されています。そして3~4万年前頃には、中央アジアや東中国、南中国に現れたアジア最古のホモ・サピエンスが日本列島に到来し、縄文人の基となったという仮説に繋がりました。
その後、2万年ほど前の旧石器時代の人骨も沖縄で見つかり、縄文人のDNAは東南アジアや南方諸島、中国南方で発掘されたものと類似しているのではないかと指摘されるようになりました。つまり、日本固有の民族と考えられがちだった縄文人の正体とは、実は、東南アジアを経由して渡来してきた現生人類であった可能性が見えてきたのです
その後も長い年月をかけてアジア大陸においては古代人が東方へと移動し続け、やがてヒマラヤ山岳民が、そして中国や朝鮮半島からも古代人が日本列島を訪れ始め、日本固有の文化を生み出す基になったと想定されます。こうして日本人の祖先には、縄文人のルーツとなる現生人類だけでなく、その後は異なるルーツを持つ古代人が大陸より日本列島に到来し、列島内に居住していた縄文人らの集団と共存しながら長い歴史の中で育まれてきたという背景が存在することが、おぼろげながら浮かび上がってきました。
宝来教授によるミトコンドリアDNA解析
人類学者による出土した人骨の分析や、昨今のDNA解析は、弥生時代後期におけるアジア大陸からの渡来人説を後押ししています。例えば、国立総合研究大学院大学の宝来教授によるミトコンドリアDNA解析によると、本州では日本人固有のDNA所有者が5%にも満たず、むしろ中国と韓国タイプのDNAが主流であり、およそ5割を占めていると言います。そしてアイヌや沖縄に多いDNAタイプは全体の4分の1にも満たないことから、日本人とは「中国や韓国の人々の持つ特徴が非常に多く含まれ」、「多様な大陸系の集団から成り立つ」と推定したのです。
また、縄文人にはアイヌや沖縄の人々の祖先だけでなく、日本列島中部に住んでいた別の縄文人集団の存在も確認されたことから、縄文人のルーツが当初の想定よりも多岐にわたる可能性が高いことも指摘されてきました。
港川人は日本人の祖先?
湊川遺跡昨今のDNA解析による縄文人の研究成果は目覚ましいものがあります。その結果、一昔前に提唱された「日本人の起源」に関する学説が覆されることもあり、幾度となく通説を見直す動きがこれまで見られました。その一例が、旧石器時代に存在した港川人です。
港川人の人骨は1967年から1970年にかけて、沖縄県で発掘されました。その人骨の年代は旧石器時代、2万年から2万2千年前に遡ることがわかりました。そして全身骨格も発見されて調査を続けた結果、当初、港川人は縄文人の祖先ではないかという説が浮かび上がってきたのです。
それから40年ほどを経た2009年、国立科学博物館を主体とした研究チームが中心となり、遺伝子工学や人骨の発掘調査を参考に調査した結果、港川人は東南アジアのルーツというよりは、さらに南のオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いことが発表されました。それまでは、沖縄で発見された港川人が縄文人の祖先ではないかという説が支持を集めていましたが、骨格や顔立ちなども含めて再検証をしていくうちに縄文人とは異なるという結論に至ったのです。そして港川人とは縄文人の祖先ではなく、大陸を東南アジアの方へと向けて移住してくる農耕の技術を携えた集団の広がりにより、南方のオーストラリア方面に移住せざるをえなくなった集団ではないかという仮説が生まれました。
その後、2021年には、最新のDNA解析技術を駆使した結果、港川人のミトコンドリアDNAの全塩基配列の解読が完結し、遺伝子の実態を特定することができるようになりました。その結果、やはり港川人は縄文人の先祖ではなく、むしろ共通の祖先から枝分かれした集団と決定づけられたのです。
確かに、感覚的には日本人のルーツと思われる比率は40~60%位と感じています。
少なく見積もっても40%は妥当な数字と思います。古代史を見る目が、二派に分かれていて、東アジア的文脈の解釈は古代イスラエルの様態はスル-されており、残念な思いでいます。
わたしは、統合的な日本人起源説が必要と感じています。秦氏など、朝鮮半島を経由して入ってきており、秦の始皇帝の末裔だという論もあります。
研究論文、楽しみにして読ませていただきます。 河村