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2021/01/12

第1章 古代史の鍵となる皇室とイスラエルの関係

2002年の日韓共催サッカー“ワールドカップ”を機に、平成天皇が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言して話題になりました。それまで、皇室が公の場で、日本が朝鮮百済と密接な関係にあったことに言及することはタブー視されてきたこともあり、画期的な出来事でした。事実、桓武天皇の母、高野新笠の祖先は百済の出身であり、しかも桓武朝では多くの識者が日本に渡来して活躍したことが知られています。このような背景を少しでも理解することにより、歴史の探索が楽しくなるだけでなく、古代史の真相に迫ることができます。

日本の古代史を学ぶうえで、最も興味深いトピックの一つが、日本とイスラエルとの関係です。その原点は、紀元前8世紀に北イスラエル王国が滅びたことにあります。国を失ったイスラエル民族の多くはアジア大陸へと移動し、中には日本列島まで辿り着いた人々も少なくはなかったと考えられます。それから1世紀少々を経て、イスラエルの南ユダ王国も外国の侵略を受けて崩壊しました。記紀の記述によると、ちょうど時を同じくして、アジア大陸の東方にある島々にて、神々とも呼ばれる皇族による新しい国造りが始まったのです。その後、長い年月を経て、低山に囲まれた近畿地方の盆地に大和朝廷が興り、近隣の三輪山では神が祀られ、日本の国土、いたる所で神事が大切に執り行われるようになりました。

列島でありながら、古代から日本は大陸との交流を活発に行い、その流れに沿って飛鳥時代より仏教思想も広まり、漢字の普及とともに大陸文化の影響を多大に受けることになります。飛鳥・奈良時代は、正に新しい時代の幕開けであり、土着文化とアジア大陸の文化が融合して日本固有の文化を創生していくという文明開化の時代となりました。そしていつしか奈良の盆地がシルクロードの終着地となり、アジア大陸から渡来する有力者、宗教学者らのメルティング・ポットとして、国際文化交流の場となったのです。それら渡来者の背後に、古代イスラエルから離散した民の子孫も存在していることがわかってきました。

平成天皇の「ゆかり」発言の背景となった桓武天皇の平安時代においても渡来人との関わりは多く、様々な文化を携えてきた大陸系の人々の貢献なくして、その歴史を語ることはできません。しかしながら多種多様の文化的要素が入り混じる時代であっただけに、古代におきた様々な出来事の解釈は、謎に包まれていることが少なくありません。特に天皇家のユダヤルーツが長年にわたり囁かれ続け、日本全国の至る神社や宗教的な神事において、その影響とも考えられる風習が散見されているにも関わらず、これまで日本とユダヤの関係において十分な検証が公に行われなかったことも、古代史の解釈をより難しくする原因となっているようです。今一度、歴史の流れを振り返り、史書に記載されている史実を元に、その根底に潜む大陸からの人の流れに真摯に向き合うことができたら、古代史の解釈はきっと簡単、かつシンプルなものになるはずです。日本人とは元来日本列島において育まれた民族であるとういうような従来の考えに捉われることなく、日本史の根底にある古来の文化に関わる一連の人脈と、その背景に潜む言語やしきたり、宗教観に注視するならば、皇室とイスラエルの関係がふと、浮かび上がってくるのではないでしょうか。

そこで本稿ではまず、日本古代の謎を解く鍵とみられる皇室とイスラエル王族との関係に着眼し、西アジアの歴史も含めて日本とイスラエルの関係を整理することに努めてみました。そして、古代日本における事象を歴史の流れに沿って見つめなおし、いかにイスラエルや大陸からの文化的要素が絡み、日本国の歴史が作られてきたか、その原点を探ってみました。その検証は決して容易ではありませんが、歴史的事象の関連性を調べていくうちに、時にそれらが一連の出来事としてつながっている場合があることがわかり、古代史の解釈が一変します。そのような歴史の接点を多数見出しながら、考察していきます。