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2021/01/18

祖国を脱出したイザヤが目指す「海の島々」

今一度、古代イスラエル史の流れを振り返り、預言者イザヤの立場を顧みながら、イスラエルがどのような緊迫した状況に直面していたかを考えてみましょう。北イスラエル王国は前722年に、そして南ユダ王国は前586年に崩壊しました。前8世紀の後半、北イスラエル王国が侵略の危機に直面していた頃、国内には複数の預言者が現れ、神から聞いたとされる大事なメッセージを国民に宣べ始めました。しかしながら国王をはじめ多くの民は、それらの忠告に聞く耳を持つことなく、時が過ぎ去っていったのです。そして遂に北イスラエル王国は隣国のアッシリアに侵略されて滅びてしまいました。その後、北イスラエル王国の10部族は、捕虜としてアッシリアに連れて行かれたごく少数の民も含め、行方がわからなくなります。

北イスラエル王国が滅びたのが前722年です。南ユダ王国ではヒゼキヤ王が即位し、時を同じく、預言者イザヤが歴史に姿を現しました。前715年頃のことです。それから10年余り、ヒゼキヤ王に仕えたイザヤの助力により南ユダ国家は栄えました。その後、国王は重病にかかり、死の瀬戸際まで病に伏したものの、イザヤの祈りによって奇跡的に回復し、余命を15年与えられました。それから間もない前702年頃、イザヤは突如として歴史から姿を消します。その直後から何故かしら、あの信仰深いヒゼキヤ王は背信行為に走りはじめ、残りの在位15年間に南ユダ王国も北イスラエル国と同様に、崩壊する道を辿ることになります。

ヒゼキヤ王は幼少の頃から信仰熱心で知られていました。そして神の恵みと加護を受けながら国家は繁栄し、病魔による死の恐怖からも救われ、15年も延命するという奇跡をも体験してきたのです。そのヒゼキヤ王の信仰が、突如としてなくなることなどあり得るのでしょうか。しかもヒゼキヤ王の子であるマナセ王までもが不信仰を極め、南ユダ王国史上、類を見ない最も劣悪な王として神の裁きを受けることになるのです。国家の宗教改革を断行し、歴史に名を残すほど熱心であったヒゼキヤ王の信仰が何故、失われてしまったのでしょうか。そのヒントがイザヤの存在です。

ヒゼキヤ王にとって預言者イザヤは信仰の師であり、神の思い、御旨を自らに伝えてくれる唯一の聖職者でした。よってイザヤの存在は国政における重要な決断を下すうえでも、極めて重要だったのです。預言者イザヤがいたからこそ、ヒゼキヤ王による宗教改革が実現され、その結果、南ユダ王国は諸外国からの侵略にも勝利することができました。しかしながら、イザヤは南ユダ王国も北イスラエル王国と同様に、近い将来、隣国の侵略を受けて国家が崩壊することを悟ります。ヒゼキヤ王の統治下による繁栄は、長く続かないことをイザヤは知っていたのです。そこでイザヤがどういう行動をとったかを想定することが、歴史の流れを理解するうえで重要です。

イザヤに託された使命は2つありました。ひとつは、神がダビデ王に約束された、ダビデ王朝の灯を絶やさないことです。神はダビデ王に幾度となく、ダビデの子孫が永遠に繁栄することを約束されました(サム下7:12-13、サム下22:51、歴上17:11-14)。それ故、南ユダ王国が侵略され、エルサレム神殿をはじめ、町々がことごとく破壊され、多くの民が捕虜となってしまうことを神の預言から事前に察知したイザヤは、ダビデ王の血統を継ぐ子孫を守り、保護する役目を悟ったのではないでしょうか。ダビデ王朝に関する神の約束は永遠であることから、それを信じたイザヤは、エルサレムが滅びることを悟った時点で、エルサレムから脱出することを目論んだに違いありません。

その行先は、まだ見たことも聞いたこともないものの、不思議とイザヤは理解することができました。それは東方にある「海の島々」であり、そこで神を崇めることが重要であることを、イザヤは自らに与えられた預言の中から悟ることができたのです。その新天地に、新しいエルサレムの地があることを、イザヤは信じたのではないでしょうか。エルサレムはヘブライ語で、「平和の街」「平和の住まい」「平和の都」を意味します。エルサレム神殿が破壊され、国家が滅びることを知っただけに、イザヤは、約束を受け継ぐダビデ王朝の子孫と共に国を脱出し、新しい「平和の都」を探し求めて旅したと推測されます。ダビデ王朝の灯は、決して絶やすことはできなかったとイザヤは考えていたに違いないからです。

十戒が刻まれた2枚の石板のイメージ
十戒が刻まれた2枚の石板のイメージ
もうひとつ、イザヤは重大な使命を担っていました。それは聖なる神の象徴であり、モーゼに与えられた十戒の「石の板」が秘蔵されている聖櫃とも呼ばれる契約の箱を、エルサレム神殿から持ち出すことです。日々、エルサレム神殿の祭壇にて祈りを捧げていた預言者イザヤだからこそ、イスラエル国家の璽でもあり、神の臨在を象徴する契約の箱が、いかに重要な存在であったかを誰よりも熟知していました。それ故、エルサレム神殿が破壊されることを神より明確に告知されたことから、そこに宝蔵されてきた聖櫃をエルサレム神殿より密かに取り出して、国外脱出を図ったと考えるのが妥当ではないでしょうか。国を脱出して王系一族の民と新天地を目指すイザヤが、神の臨在、象徴であるアークとも呼ばれる聖櫃をエルサレム神殿の中に置き去りにすることなど考えられません。それは、外敵が神殿を踏みにじる際、聖櫃までもが破壊活動にあい、なじられ、汚されることを意味するからです。それは断じてならないことでした。

よって、ヒゼキヤ王の晩年に関する旧約聖書の歴史書には、預言者イザヤの名前は一切見当たらないのです。国家アドバイザーとして比類なき存在であった預言者イザヤの姿が、突如として国政から消え去り、歴史から姿をくらましてしまったからです。イザヤが国外に脱出した理由はただ一つです。国家の破滅とエルサレム神殿の崩壊を神から告げられたことから、早急に王族の子孫や一族との一行と、イスラエル神殿に収蔵されていた神宝と大切な聖櫃を守る必要に迫られたのです。そして一行は聖櫃を担ぐことが許されているレビ族の祭司と共に、新天地へ向けて旅立っていったことでしょう。

預言者イザヤが聖櫃とともに、新天地へ向けてエルサレムを脱出したと想定することにより、多くの歴史の謎が紐解かれていきます。その新天地とは、不思議なことに旧約聖書では「海の島々」と書かれています。「海の島々」という言葉は繰り返し、イザヤ書にて用いられているにも関わらず、イスラエル周辺には島々もないことから、これまで解釈が難しい箇所として知られていました。そしてつじつまを合わせるため、「海の島々」と原語どおりに訳するのではなく、「海沿いの地」「海の向こうの地」「海の沿岸地帯」などと解釈を変えながら訳されることが多かったのです。しかしながら、「海の島々」はアジア大陸のはるか彼方に存在したのです。よって、イザヤと共に聖櫃がイスラエルを去り、その一行が新天地となる「海の島々」、日本列島の方へと向かったと想定することにより、その後の歴史の流れも見えてきます。また、ヒゼキヤ王の信仰がなくなってしまったのは、信頼するイザヤがいなくなってしまっただけでなく、神の象徴であった聖櫃も一緒に携えて持っていかれたことを知っていたからに他ならないでしょう。そして国家が滅びの道に至り始めたことを知った国王は、もはや信仰をもって歩み続けることができず、不信仰のるつぼにはまってしまったのです。

その時代から30余年後、アジア大陸の遠い東の島々、日本列島において皇室の歴史が始まります。環太平洋に浮かぶ島々であるにも関わらず、なぜかしらそこには崇高な宗教意識をもった民が到来し、島々をわたり巡りながら調査したうえで、その中心地に拠点を構え、都の建設が始まりました。新しい国家の建設と、大和民族の歴史の始まりです。その都は最終的に、「平安京」、「平安の都」とよばれるようになりました。新しい「エルサレム」「平安の街」が日本において築きあげられたのは偶然ではありません。その歴史の背景にはイスラエルからの渡来者の存在がありました。こうして西アジアのイスラエルから、預言者イザヤと共に王系の一族や優秀な識者らが渡来しより、古代、日本では優れた文明と文化が開花するのです。紀元前7世紀、日本列島に到来した大陸からの渡来者により、歴史の流れが大きく変わることになります。

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中島尚彦

中島 尚彦

1957年東京生まれ。南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。