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2023/08/15

春日大社の創始に絡むユダヤルーツ

国生みの礎を築いたイスラエルからの渡来者

古代、日本の歴史は大陸からの渡来者によって開花します。日本の島々には、多くの渡来者が大陸より海を渡って訪れ、文化の礎を築いたのです。紀元前10世紀頃、すでに西アジアでは高度な文化が発展し、タルシシュ船が世界各地を航海し、貿易をしたことが知られています。古代でも既に航海技術が発展し、人々は船を用いて海を渡り、各地を行き来することができたのです。

そのタルシシュ船のような大型の船に乗って、西アジアからアジア大陸の南岸沿いを東方に航海し、日本列島までやってきた最初の人々こそ、日本国家の創始に貢献した「国生みの神々」とも呼ばれる人達でした。紀元前7世紀の初めにかけて、西アジアのイスラエルでは、北イスラエルが滅亡した結果、南ユダ王国も崩壊する危機に直面していました。そして国家の難を避けるため、国を脱出した民が、遠い西アジア、イスラエルから船で渡来し、琉球地方を経由して北上し、日本列島までやってきたのです。

イスラエルからの渡来者は、西アジアの高度な文明を携えて、日本列島を訪れました。その結果、日本の有史は日本書紀や古事記のような古文書に記載されているように、突如として名前や文字の読み書きができたように見受けられる建国の神々が現れ、歴史にその足跡を刻んでいくことになります。そして海を渡ってきた海洋豪族の存在もあったことから、国生みの神々は、海を自由に行き来できるような航海者のイメージで、記紀にも描かれていたのです。それ故、日本列島における古代の文化や言語の随所には、イスラエルから渡来した人々の痕跡を垣間見ることができます。

その一例として挙げられるのが、奈良の名所として知られる春日大社です。世界遺産「古都奈良の文化財」としてもあまりに有名な春日大社は、国家の平和と安泰を祈りつつ、藤原一族によって創建されました。春日大社の背景にはイスラエルの存在があり、創始者である藤原家のルーツはユダヤであることは、その名称のルーツを解明することにより、理解することができます。春日大社の名称がヘブライ語で理解できるだけでなう、その創始者である藤原不比等の名前、そのものがヘブライ語であることを検証することにより、春日大社のルーツがイスラエルであることが明確になります。

春日(かすが)の語源はヘブライ語?

春日大社の美しい中門・御廊
春日大社の美しい中門・御廊
「春日」を「かすが」と読むようになったのは、春日大社の創始が起源と考えられます。しかしながら、その根拠は定かではなく、一説では奈良の「かすが」が関わる和歌に、「春日のかすが」と詠む枕詞があり、その「はるひ(春日)」を、いつしか「かすが」と読むようになったと言われ、また、「神が住む箇所」という意味から「かすか」という地名がつけられたという説もあります。

しかしながら古代の地名には、その場所の意味や目的が含まれていることが多く、藤原一族の総本山となる春日大社の名前が和歌の枕詞に由来すると結論付けるには無理があります。「かすが」という名称は、ヘブライ語に由来すると考えられます。2つのヘブライ語を考えてみましょう。まず、קצר(Khatser、カツァー) というヘブライ語は、 国家の行政権を持つ君主や王子の家族を言い表す言葉です。次にגאל(gaal、ガー) は、贖われた、もしくは救われたことを意味します。これら2つの言葉を合わせると、「カツァーガー」と発音する言葉になります。そのヘブライ語の意味は「国家行政を担う君主の救い」になります。激動の奈良時代、日本国のリーダーとして、国家行政の頂点に立った藤原不比等であったからこそ、一族の総本山を「カツァーガー」と呼び、その名称に「春日」という漢字をあてたのです。

藤原不比等
藤原不比等
また、春日大社とその創始者である藤原不比等が、イスラエルの出自である決定的な理由も、「不比等」という名前に秘められています。669年、藤原不比等の父である中臣鎌足が生涯の功績により藤原の姓を賜った際、自身の名を藤原不比等に変えました。不比等(ふひと)という名前にも定説はなく、一説によると、その漢字の意味からして、「比類なき優れた者」であるとも言われています。人の名前であり、歴史に名を残した偉大な統治者であったことからしても、無意味な名前をつけたとは考えられません。「ふひと」の名は文献によっては「史」とも記載されていることから、いずれも当て字であり、大切なことはその名前の発音となる「ふひと」の意味であることがわかります。

ところがこれら所説が的を射ることができない理由は、藤原不比等がイスラエルから渡来した国生みの神々の末裔であり、神を祀る聖所や神宝を取り扱う任務を授かったイスラエル12部族の中の、レビ族の出自であることを理解していないためです。「ふひと」という名はヘブライ語に由来し、神聖な意味が含まれています。その名には、藤原一族の長である藤原不比等とその子孫が、神の民であることを示す強い思いが込められており、「ふひと」という言葉自体が「神」を意味する暗号にもなっています。

ヘブライ語は古代より今日まで、右から左に読みます。しかしながら、時には逆読みをして、別の意味を込めるというような、折句の一種として用いられることもあります。古代の日本社会では、多くの渡来系の民が大陸より日本列島に移住してきたことから、ヘブライ語を理解できる民が少なくありませんでした。よって、それらイスラエル系の識者にとって「ふひと」は決して不可解な名ではなく、むしろヘブライ語で綴るだけで識者は理解することができる、貴重な暗号のような名だったのです。

「ふひと」はアルファベットで hu-hi-to と綴り、それをヘブライ語にするとהוהיתא (huhito、ふひと) となります。ヘブライ語は右から左に読みますが、それを左から右へ逆読みすると、אתיהוה (atyhwh、アトヤーウェー) となります。この言葉には、イスラエルの民にとって神聖、かつ発音することのできない神の名、yhwh(ヤーウェー)の4文字が含まれています。そこに at の文字を加えてאת יהוהと書くと、「あなたは神」を意味する言葉になります。

また、את(et、エッ)を、目的格の接頭語となる「エッ」と解釈すると、同じ綴りのאת־יהוה(etyahweh、エットヤーウェー)は、「神を」、「神よ!」という言葉になります。旧約聖書の詩編103編はとても有名な聖句として世界中で口ずさまれています。この詩編103編の第1節には、ダビデ王が自らの魂をもって神を褒めたたえた時、神を、「エットヤーウェー」と呼んでいたことが記されています。詩編103編を直訳すると、「私の魂は神を祝福する」となります。その「エットヤーウェー」、すなわちダビデ王が誉め称えた神の名こそ、「不比等」のルート語として、そのまま用いられていたのです。

つまり、不比等という名前は日本語では意味がなくとも、ヘブライ語では「あなたは神」「神よ!」を意味する言葉だったのです。中臣家の出であり、後に藤原氏に改姓した藤原不比等の名前のルーツから、藤原一族の出自がイスラエルに絡んでいたことがわかります。

国家のリーダーとして天命を授かり、神の民として、祭祀職を担い、国家を統治するために全身全霊を注いだ藤原一族の長であったからこそ、その名前を「ふひと」、「神」としました。そして一族の聖地を「かすが」と呼び、その名称には「国家行政を担う君主の救い」という意味を込めたのです。藤原不比等の名前をヘブライ語で理解することにより、飛鳥、奈良時代の多くの謎が、一気に紐解かれていくことでしょう。

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