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2025/06/02

DNAから解明される日本人の起源 第3の遺伝子から浮かび上がる日本人の祖先とは?

人類の祖、ホモ・サピエンス

昨今の学説によると、人類の祖となるホモ・サピエンスが誕生したのは、今からおよそ20万年から30万年前と推測されています。初期のホモ・サピエンスはアフリカの北方、今日のエジプト、エチオピア周辺に居住していたようです。そして現生人類に進化し続けながら、6万年から7万年ほど前、アフリカ大陸を離れてユーラシア大陸から北方や東方へと広がり、世界各地に離散していったと考えられています。

大陸を横断してきた縄文人の祖先

ユーラシア大陸を東方へ向かった人々は当初、西アジア周辺に居住しました。その後、長い年月をかけて、さらに東方へと移動する人の流れが生じ、ユーラシア大陸を横断し続けた結果、4~5万年前にインドや東南アジアまで到達しました。時を経て、東南アジアから太平洋岸に沿って大陸を北上する人の群れも出現し、やがて日本列島まで辿り着く民もいたと想定されます。

ホモ・サピエンスが日本列島に到達したのは4万年前の旧石器時代後期とされています。そして2万年前はユーラシア大陸と日本列島が、南方は対馬海峡、北方は津軽海峡周辺とも陸続きになっていたことから、4万年前でも日本列島に渡る道すじがあったと推測されます。こうしていつしか日本列島には、縄文人の祖先が住み着くようになりました。

ゲノム解析が証する日本人の起源

近年、沖縄県石垣島の白保遺跡では旧石器時代の人骨が次々と発掘され、全身の骨格がそろった2万7千年前の男性人骨も見つかり、そのゲノム解析が完結したと報告されています。その白保人の調査に関わったノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボ氏は、「白保人が現代の日本、台湾、フィリピンの人々と特に多くの遺伝的変異を共有していることがわかります」と、インタビューに応えています。

これまで日本人のルーツとは、日本列島固有の縄文人と渡来系の弥生人が直接起源になるという前提で、双方の交わりも含め、さまざまな学説が提言されてきました。しかしながらDNAの研究が進むにつれ、縄文人のルーツはさらに時代を遡り、実際にはユーラシア大陸を東方へと横断してきた民の中でも、いち早く東南アジアから北上し、日本列島まで到達した人々であると指摘されるようになりました。つまり、ホモ・サピエンスから進化した現生人類がユーラシア大陸を東方へと移住し続け、最終的に縄文人の祖先となった可能性が高いと考えられるのです。

その後、日本列島は地球規模の大きな地殻変動を経て、大陸から切り離されていきます。その結果、列島に残された縄文人の祖先は、日本列島という固有の島々において大陸の人々とは一線を引き、島々における特異な文化を日本列島内で育んでいったのです。今日では、日本人の祖先である縄文人の存在と生活スタイルの一部をDNAのゲノム解析から垣間見ることができます。

長野県の栃原岩陰遺跡(縄文早期)からは、狩りや動物の解体に使う道具が見つかっています。また、北海道礼文島の船泊遺跡では、日本で初めて完全なゲノム解析がなされた古代人第1号として知られる紀元前1800年頃の女性「23号人骨」が発掘されました。その解析調査からは、でんぷんを消化できない遺伝子が確認され、当時、海洋の魚や動物を食していたことまで突き止めることができました。縄文晩期、紀元前1200年頃に由来する宮城県松島市の里浜貝塚からは、釣り針やモリ、ヘラなどが出土しています。こうして最新ゲノム調査から、縄文時代の生活習慣の一部まで理解できるようになりました。

縄文人のDNAを持つ現代日本人

昨今のDNA研究においては、現代日本人とアジア大陸の人々のDNAを比較検証し、それらの近縁性について解析が進められています。その結果、現代日本人をアジア大陸で暮らす諸外国人と比較すると、中国、モンゴル、ベトナム、そして中国少数民族とも違うDNAを持っていることが解明されました。日本人のDNAだけが特殊な要因を持っているのです。

これらのゲノム情報の解析の結果、縄文人のDNAは、2万年前から4千年前の時期に東南アジアに居住していたホアビニアンと呼ばれる民族グループのDNAに大変近いことが確認できたのです。そのことによって、縄文人は東南アジアを経由して、日本列島にまで渡来してきた可能性が極めて高いことがわかってきました。

また、縄文時代の遺跡から出土した人骨の全DNA配列ゲノム情報からは、初期の縄文人が日本列島にどのくらいの数で渡来したかを解析することも可能でした。それらの検証の結果、日本列島に渡来した初期集団の群れは、およそ1,000人ほどであることもわかってきました。その集団をもって縄文人が成立したと推測できます。果たして、その縄文人の面影を今日の現代人に見ることができるのでしょうか。

日本人の起源を二重構造説で説明

日本人の起源は、これまで混血説や渡来説が主流であり、昨今まで縄文人と弥生人が相まみえるという「二重構造説」に基づいた仮説が多くの学者から支持されてきました。日本列島に従来から住んでいた縄文人と呼ばれる基礎集団と、紀元前900年頃から250年にかけて大陸より移住してきた渡来系弥生人と呼ばれる集団が混合して、日本人のルーツになったという説は、定説と言えるでしょう。実際、日本人が持つ縄文系のゲノムは10~20%、弥生系の弥生人由来は80~90%という研究結果も「二重構造説」を支持しています。

弥生人特有の混血の割合は平均的に見て、およそ6割の縄文DNAと4割の渡来DNAから成り立っていることが既に解明されています。その結果、東南アジアにルーツを持つ縄文人が日本に渡来して縄文人の基となり、その後、北東アジア系の渡来人が混血することにより、現代日本人の先祖となる人が形成されたと推測しても不思議ではありません。つまり、縄文人が居住していた日本に稲作や高度な鋳造技術をもっていた人々が大陸より渡来し、縄文人と交わりながら誕生した人々が弥生人であり、それが日本人の起源になったと考えられるのです。

実際に縄文人と現代日本人との近縁性を調査してみると、現代日本人の多くは縄文人のDNAを持っていることが解明されています。その割合は地域によって異なり、縄文人のDNAを持つ現代人は北海道のアイヌの人々が一番多く、およそ7割に達するようです。その割合は沖縄では3割、そして本州の東京では1割にも満たなくなります。このように縄文人のDNAを持つ人の割合は、地域によって大きな差があることから、その混血の度合いにより、アイヌ、本土人、琉球人という3つの主たる集団が台頭してきたという説に繋がります。

日本人の起源に関わる第3の遺伝子?

現代日本人のDNAを解析しているうちに、ひとつの大きな謎が浮かびあがってきました。「二重構造説」により、弥生人の誕生までは説明がつきます。ところが現代日本人のDNAを解析すると、縄文人と弥生人のDNAが占める割合は4分の1にも満たず、残りの4分の3、つまり大半のDNAは別の遺伝的な特徴と起源を有していたという説が発表されたのです。つまりDNA解析によると、日本人の起源とは縄文人と弥生人との混血だけでは説明がつかない、もう一つの謎の遺伝的な要因、すなわち第3の遺伝子が大きく関わっていると言うのです。

第3の遺伝子の謎を解く鍵が、弥生時代後半から古墳時代にかけて、アジア大陸から日本列島に向かった大勢の渡来者の存在です。「二重構造説」を最初に発表したことで知られる埴原氏は、弥生時代から古墳時代にかけて、多くの渡来者が大陸より日本を訪れ、その数は最大で100万人以上にも上るという説を発表しています。この仮説は「渡来100万人説」とも呼ばれています。

その後、「渡来100万人説」は歴史人口学の観点からも支持されるようになり、昨今では「150万人説」まで飛び出しています。弥生時代後期から古墳時代にかけて150万人を超える渡来者を想定しないと、日本国内の全人口の急増を説明することができない、というのが仮説の根拠にあります。

古墳時代にまたがる渡来者の流入

第3の遺伝子とは、大陸より訪れた膨大な数に上る渡来者によってもたらされました。これは日本人の祖先が弥生時代を越え、古墳時代にかけて現代人に近い姿になったことを意味します。この第3の遺伝的要因を持つ渡来者の正体は、古墳から人骨を発掘し、それらのDNAを解析することによっておよそ、そのルーツが見えてきます。

例えば古墳時代の前方後円墳の遺跡として知られる広島県府中市の山ノ神1号墳では女性の人骨が発掘され、そのゲノムは渡来系弥生人とほぼ一致しています。ところが列島の沿岸部で出土した古墳時代の人骨は、ゲノムの多くが縄文系の影響が強いと解明されたのです。また、西北九州の弥生人は縄文人に近く、時代とともに混血が進んだこともわかってきました。これらのゲノム解析から、弥生時代を越えて古墳時代以降も大陸から多くの渡来者が日本列島に移住し、縄文人、弥生人と混血し続けた歴史の流れが浮かびあがってきました。

さらにゲノム解析の結果、古墳人骨にみられる渡来人のルーツがアジア大陸の広い地域に分布していることも確認できました。つまり大陸より訪れた渡来人はアジア大陸各地からやってきた可能性が高いことを、遺伝学的に解明することができたのです。それは古代、アジア大陸の各地から大勢の民が日本列島に向けて流入した歴史を裏付けています。

それ故、弥生時代に現代の日本人に近い人種ができたという従来の見方は、修正が迫られることになります。何故なら、弥生時代に混血した縄文人と弥生人に加え、弥生時代以降もさらに長い年月をかけて多くの渡来者が日本列島に到来し、現代日本人が成立する基となったことがゲノム解析から解明されたからです。弥生時代は紀元前900年から250年頃までというのが昨今の定説であり、10世紀以上に及びます。その時代以降も膨大な数に上る渡来者の流入があり、古墳時代も続いていたのです。

弥生時代とは「日本の歴史上、最も集団の遺伝的な多様性が高かった時代」と、国立科学博物館の篠田館長は語っています。そして現代人の成立は、弥生時代を越えて古墳時代にもまたがり、これまでの想定を超える数の渡来者の流入が弥生時代以降も続いていたことがわかってきました。これらのことから、現代人の姿に近い日本人の祖先を理解するためには、弥生時代から古墳時代にかけて大陸から訪れた渡来者のルーツと、その数まで推定することが重要になります。

第3の遺伝子を持つ大陸からの渡来者

DNAの解析により、弥生時代から古墳時代にかけて、多くの渡来者がアジア大陸より海を渡って日本へとやってきたことがわかってきました。列島に訪れた渡来者は、長い年月をかけて縄文人との混血を成していた弥生人と交わり続けることにより、現代日本人の基となるDNAを形成する役割の一旦を担ったと想定されます。

その渡来者の正体とは果たしてどういう人々の集団なのでしょうか。古代、さまざまな人種が理由もなく住み慣れたアジア大陸の生活圏を離れ、わざわざ海を渡ってまで日本に渡来してくるとは思えません。しかもその渡来者の数は、数世紀にわたり100万人を超え、膨大な数に膨れ上がったと推測されています。東方の島々に移り住まなければならないという何等か特別な理由を持つ民族でも存在しない限り、実現できない数です。それはアジア大陸各地に離散する民族が、中国大陸における動乱や政治情勢などの理由で民族の存続に関わるような大事に直面したが故、日本列島に向かって民族移動が起きたことを示唆しているようです。

その民族こそ、北イスラエル王国南ユダ王国を失い、アジア大陸の方々に離散したイスラエルの民と考えられます。迫りくる国家の破滅から逃避し、アジア大陸各地へと向かった民の数は数百万人とも言われ、膨大な数に上っていたことがわかっています。それら離散した民は、その後に行方不明となり、イスラエルの「失われた10部族」とも語り告がれてきました。実際は、イスラエルの12部族、全部族の多くが、その行く末が不明になったままです。

国家を失ったイスラエル人の多くは、アジア大陸に向かったに違いありません。そこで長年にわたり現地の人々と同化しつつも、満を持して弥生時代、東の島々を目指す民族が決起して立ち上がったのではないでしょうか。そして海を渡って日本列島まで到来し、各地に集落を築いて住み着き、古墳時代に至るまで大陸より渡来し続けたのです。西アジアにルーツを持つイスラエル系の渡来者が弥生時代から古墳時代における移民の主人公であったと想定するならば、昨今のDNA解析の結果と結び付き、歴史の流れを解明することに繋がります。

[引用]

  1. Japan at the Last Glacial Maximum in the Late Pleistocene about 20,000 years ago by Davison A, Chiba S, Barton NH, Clarke B. is licensed under CC BY 4.0

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