450万人を超えるまで膨らむ奈良時代の人口
最近の歴史人口学のデータによると日本の人口は、紀元前900年の8万人から弥生時代後期、西暦200年頃にかけて、60万人まで急増したと推定されています。およそ11世紀という期間に、人口が7倍以上に膨れ上がったのです。その後も人口は加速して増え続け、奈良時代、西暦700年には450万人にまで増加し、500万人まで到達したという説もあります。つまり西暦200年から500年の間では、60万人の人口が8倍近くにも増えたのです。
古代の日本社会における人口の急増は、あまりにも規模が大きいため、北東アジアから毎年のように移民が南下して日本に渡ってきた、というような従来の通説では到底説明がつきません。弥生時代を通してアジア大陸において急激な気候の変化や、天変地異があったわけでもなく、大陸における歴史を振り返ってみても、海を渡ってまで、見知らぬ日本列島に移住する要因が見当たらないのです。よって、相当数の渡来者がアジア大陸や朝鮮半島から移動してきたと推測することが、歴史の謎を紐解く鍵となります。
昨今の歴史人口学による調査の結果、弥生時代から奈良時代にかけて日本列島の人口が急増した背景には、大陸から渡来した人々の存在があったことがわかってきました。その数は100万人とも言われています。特に2~3世紀頃から日本の人口が急激に増加した背景には、アジア大陸から渡来した秦氏をはじめ、多くのイスラエル系を中心とする西アジアの民族や、中国各地からの渡来者などの存在があったのではとも指摘されています。その結果、古代の日本社会は、大陸から渡来し続ける大勢の民の存在と、それらの人々によって持ち込まれた大陸の優れた農耕技術や鍛冶、陶磁の製造など、多岐にわたる知識と経験により、日本文化の基が築かれていくことになります。
縄文末期から西暦200年までの流入数
紀元前900年頃の8万人と推定される日本の人口は、西暦200年には60万人となり、8世紀の奈良時代に至っては、およそ450~500万人となりました。これらの数字を前提に、古代、どの位の規模の渡来者が日本列島を訪れることによって人口が急増し、その数値に近づくかを検証してみました。
まず、紀元前900年の人口8万人が、1100年後の西暦200年までに60万人となったことに注目です。古代社会における一般的な人口増加率0.1%で8万人が増え続けると、1100年後には24万人にしかならず、西暦200年の人口である60万人に36万人及びません。その人口のギャップを渡来者が埋めることになります。つまり36万人の渡来者をルーツに持つ人々の存在により、日本の人口が60万人となるのです。
例えば紀元前900年より毎年180人の渡来者が日本列島に移住したと仮定します。すると、1100年後の西暦200年まで11世紀にわたり、渡来者の総数は180人 x 1100年、およそ20万人となり、その人口は増加率を年0.1%とすると、36万人まで増えます。その間、元来8万人存在した先住民の数は24万人となっていることから合わせて60万人となり、西暦200年の人口と合致します。毎年180人程度の渡来者を想定することは、決して難しいことではありません。しかしそれは、1100年という長い期間を想定すると、20万人の渡来者が日本列島を訪れ、日本人ルーツの一部になったことを意味しています。
また、ある一時から渡来者が増えたという前提から検討することも可能です。例えば紀元前700年から渡来者の波が始まり、当初1万人の渡来者が日本列島にやってきたと想定します。その後、西暦200年までのおよそ900年間、毎年230人ずつ新たに渡来したと仮定し、人口増加率0.1%を当てはめると、900年間に渡来した人々の総数はおよそ20万人となり、西暦200年の渡来者系人口は36万人になります。前述した180人の渡来者が1100年間にわたり日本を訪れる想定と同様の結果となり、24万人の先住民と合わせて60万人になり、人口の辻褄が合います。
いずれの事例においても、縄文時代末期から西暦200年までの900年にかけて20万人ほどの渡来者が毎年同じ人数で日本に移住してきたことを想定することにより、渡来者系の人口は36万人となり、日本列島に先住したグループの24万人と合わせて、西暦200年の人口が60万人となった背景を理解することができます。
人口急増の謎を解明する「100万人渡来説」
西暦200年以降、日本の人口はさらに加速して、増え続けることになります。60万人と推定される3世紀の人口が、500年後の8世紀、奈良時代では450~500万人まで増えたのです。60万人が毎年0.1%増加したと想定しても、500年後には100万人にしかなりません。
後世の奈良時代から平安末期の年間増加率が0.1%、そして平安初期から平安後期の年間増加率が0.07%であることからしても、0.1%の人口増加率はおよそ妥当と考えられます。たとえ弥生時代から奈良時代までの人口増加率は0.2%と想定して計算しても160万人にしかならず、それでも300万人ほどの人口が不足する計算になります。60万人という人口だけでは、それから5世紀後の奈良時代に人口が7.5倍の450万人、もしくはそれ以上になるのは不可能です。
300万人もの人口の差異を埋める唯一の結論が、日本列島を訪れたと考えられる渡来者の波です。そして「100万人渡来説」が提唱しているように、膨大な数の渡来者数を想定することです。弥生時代後期から大勢の渡来者が日本を訪れたと推定することにより、人口の数値を説明することができます。100万という数字は決して誇張した数字ではなく、それほどまでの渡来者数を想定しなければ、奈良時代に至る人口の急増を説明できないということです。
300万人の人口差を埋める渡来者の数
例えば、西暦200年から毎年2000人の渡来者が日本を訪れる流れが500年続き、都合100万人が日本に渡来したと想定します。そこに0.2%という高い人口増加率を当てはめても、500年後の人口は170万人しかなりません。西暦700年の奈良時代に想定される渡来系の人口数300万人には至らず、人口が足りないことに気が付きます。「100万人渡来説」が提唱する数値は、あくまで最低のボーダーラインであり、それでもまだ人口が不足している可能性が高いという認識に改める必要がありそうです。100万人を上回る渡来者が訪れたことを前提に、歴史を再構築することが重要です。
では、毎年何人の渡来者が500年かけて日本を訪れると、最終的に300万人になるのでしょうか。人口増加率を0.2%と仮定し、500年をかけて300万人になるためには、毎年3500人の渡来者が必要となります。それは500年間に175万人の渡来者が日本列島を訪れたことを意味します。毎年3500人が渡来し、その流れが500年続くと、最終的に300万人にまで人口が増えることになります。
また、175万人の渡来者数は多すぎるのでは、という疑問に対して150万人までの渡来者と限定するならば、人口増加率を0.252%まで上げる必要があります。その数値を古代社会で実現することは容易ではありませんが、達成可能な上限かもしれません。いずれにしても、100万人を超える150万人から175万人の渡来者の数を想定することにより、弥生時代後期から奈良時代にかけての人口の急増を説明することができるのです。
「100万人渡来説」の研究成果
弥生晩期から古墳時代、そして奈良時代に向けて大陸より渡来した人々の数は、少なく見積もっても100万人は存在したに違いありません。よって「100万人渡来説」の研究成果は重要であり、大胆な提言も、的を得ていたと言えるでしょう。そして実際の渡来者の数は、おそらく150万人、もしくはそれ以上に膨れ上がっていた可能性があることも視野に入れる必要性があります。そのような膨大な数の渡来者を想定することにより、古代社会における日本列島の人口推移だけでなく、日本人のルーツを解明するパンドラの箱を開けることにつながります。