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2023/10/25

日本八霊山 レイラインから紐解く古代霊山の真相

霊峰 富士山

日本最高峰の標高3776mを誇る富士山
日本最高峰の標高3776mを誇る富士山

霊山を語る際、誰しも筆頭にあげるのが富士山ではないでしょうか。日本最高峰の標高3776mを誇る富士山は、比類なき日本の指標として古代より崇められてきました。富士山の雄姿は太平洋の海上から眺めることができます。その頂上からは、関東平野を一望できるだけでなく、中央アルプスに聳え立つ山々さえも見渡すことができます。北東方向には茨城の筑波山、北方には八ヶ岳や浅間山があり、北西方向にある信州アルプスを見渡すと乗鞍岳や御嶽山が見えます。そして南方には大島の三原山も臨むことができます。多くの山々を眺めることができるという事実そのものが、富士山の重要性を証しています。

日本最高峰富士山剣ヶ峰の咳品
日本最高峰富士山剣ヶ峰の咳品
日本列島において富士山が最も高い山であることは一目瞭然です。それ故、古代より富士山は比類なき地の指標となっただけでなく、高き山に神が住まわれるという信仰心を背景に、その頂上では神が祀られるようになりました。こうしていつしか山全体が霊山化したのです。しかしながら富士山は活火山であり、数百年に一度は噴火を繰り返す度に、頂上の造営された祠や社もすべて跡形もなく消え去っただけでなく、山全体の容姿も大きく変貌してきました。それでも噴火の度に人々は新たなる祭壇を富士山頂に造営し、山への信仰心を守り続けてきたのです。

富士山と浅間神社

富士山の火口
富士山の火口
富士山信仰は古代から、富士山の噴火と結び付いていました。富士山本宮浅間社記によると、第7代孝霊天皇の御代に富士山が噴火し、第11代垂仁天皇の命により浅間大神が祀られて富士山が鎮められたことから、それが浅間神社の起源となりました。浅間という呼称は火山を意味しているという説があり、それにちなんで、活火山として著名な阿蘇山、浅間山も命名されたと考えられています。

景行天皇の御代では、日本武尊が駿河国で野火に焼かれそうになった時、浅間大神に祈ることにより難を逃れたことが記紀に記されていることから、後世においても富士山信仰は着実に広まっていたことがわかります。その後、富士山は度々噴火を繰り返しながらも、落ち着く度に富士山の頂上を極める信仰登山は継続し、全国各地で浅間神社が建立されることとなりました。

レイライン基点の最高峰「富士山」

富士山が古代の霊山であることは、富士山を介するレイライン上に並ぶ山や神社のいずれもが、歴史的に重要な古代の聖地であることからも理解することができます。富士山のレイライン上には、出雲大社諏訪大社石上神宮鹿島神宮、そして宇佐神宮など、日本書紀古事記に記載されている由緒ある古代の神社が名を連ねます。これほどまでに著名な神社が名を連ねるレイラインは、富士山が抜きん出ています。

富士山と聖地のレイライン

富士山頂浅間大社奥宮
富士山頂浅間大社奥宮
富士山とレイラインでつながる聖地は、古代に建立された神社だけでなく、由緒ある山々も存在することに注目です。富士山は、出雲大社と伊吹山、石上神宮と石鎚山、そして諏訪大社と立山に結び付いて、それぞれが一直線のレイラインを形成しています。また、筑波山は紀伊半島の最南端にある紀伊大島と富士山を繋ぐ直線上に存在します。さらに由緒ある古代の神社として名高い鹿島神宮が、辰砂の発掘で知られるようになった古代採掘場である若杉山遺跡と富士山を結ぶレイラインに繋がっていることは注目に値します。

これらレイラインの検証から、富士山を基点として多くの聖地や山々が同一線上に並んでいることを確認することができるだけでなく、それらレイライン上に浮かび上がる山や神社の歴史的背景を検証することにより、富士山が霊山化した背景までも垣間見ることができるようになります。富士山が霊山であることは、多くの古代聖地がレイライン上に並んで結び付き、その中心に富士山が位置していることからしても、理解することができます。

富士山のレイライン
富士山のレイライン

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