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2022/04/21

日本八霊峰 レイラインから紐解く霊峰の位置付け

霊山と呼ばれた理由

月山頂上の月山神社本宮
月山頂上の月山神社本宮
どのような経緯をもって山々が霊山と呼ばれるようになったのか、という問いかけについては諸説があり、細かい選定基準が定まっていません。様々な尺度や見方があり、結果として、霊山と呼ばれてきた山々は日本列島の随所に存在することになります。

しかしながら、奈良時代や飛鳥時代をさらに遡り、古墳時代、そして弥生時代から霊山として崇められてきた由緒ある山々のみに絞るならば、霊山の候補は限られてきます。果たして古代の人々は、信仰の対象となる霊山をどのように特定したのでしょうか。どのような歴史的背景により、多くの人々から霊山として崇められるようになったのでしょうか。

霊山と呼ばれる山々には古代に遡る由緒があるだけでなく、その他にも古代の人々が注目した何かしらの共通点があるようです。それら歴史の流れと霊山の実態を理解することにより、山に纏わる由緒と共に、「霊山」として崇められるようになった理由を見極めることができるはずです。霊山として選ばれる山々の選定は、その選択基準となる宗教概念や地域の文化によっても大きく左右されるだけに、注意深く検証することが重要です。

果たして古代の人々は信仰の対象となる霊山をどのように特定したのでしょうか。どのような歴史的背景により、霊山として人々から崇められるようになったのでしょうか。ここでは複数の名所が一直線上に並ぶレイラインと呼ばれる現象を参考に検証を試みます。

レイラインの指標となる霊山

レイラインとは、架空の一直線上に複数の聖地や拠点、地の指標となる目立った地勢が並ぶことを指します。古代の霊山は地域の拠点となる高山であったことから、必然的にレイラインの指標としても用いられることになりました。その結果、多くの神社がその霊山と結びつくレイライン上に建立されることになります。霊山や地の指標を含む2本のレイランが存在すれば、どんなに遠い場所や山奥であっても、その交差点をいつでも特定することができたのです。こうして後世において、多くの神社がそれらのレイライン上に建立され、日本列島の各地に人が移り住み、国土が開発されていくことになります。

古代の渡来者にとって、未踏の日本列島に到達し、山道さえもないジャングルのような雑木林を内陸奥地まで足を踏み入れ、社を建立して神を祀る場所を特定することは、決して容易いことではありません。それでも多くの神社は、これらの霊山同士や地の指標となる岬や島々を結びつけたレイライン上、特にレイラインが交差する地点に綿密に位置づけられて建立されました。

古くから人々が比類なき霊山として崇めてきた日本の山々は少なくありません。中でもレイラインの基点として重宝されてきた富士山、立山、白山、石鎚山、剣山、伊吹山、大山、筑波山の8峰は特筆すべき存在です。いずれも地域の最高峰であり、海上から山の頂上を見定めることができるだけでなく、歴史的な背景を証する由緒に恵まれ、レイラインの基点となる指標として古代より重要視されてきました。よって、これらの山々を通り抜けるレイライン上には多くの神社や聖地が並び、「日本八霊山」と呼ぶにふさわしい山々であることを確認できます。

日本が誇る特筆すべき霊山

岩木山山頂から見渡すパノラマ
岩木山山頂から見渡すパノラマ
東北地方の山々の中には月山、岩木山、早池峰山や五葉山など、特筆すべき由緒と大自然の美観に恵まれた霊山が多数存在します。岩木山は本州最北端の拠点として極めて重要であり、その頂上から眺める北海道や日本海を含む360度のパノラマの光景を見るだけで、誰しも大自然が育んできた地域最高峰の美しさに心を奪われてしまうに違いありません。三陸沿岸最高峰の五葉山は、その頂上から三陸の海岸を一望できることから、三陸を守護する霊峰、霊山として古くから気仙沼や大船渡など、多くの町々にて崇められてきました。早池峰山においては、北は古代の重要港八戸、南は牡鹿半島の最南端を結ぶ線上にあり、その途中には室根山が存在するだけでなく多くの山々を見渡すことができる位置にあったがゆえ、大切な霊山と位置づけられました。また、出羽三山の頂点に聳え立つ月山は、その美しさと地域信仰における重要な位置づけは言うまでもなく、羽黒山信仰の頂点に聳え立っています。

五葉山の頂上に据えられた鳥居と神殿
五葉山の頂上に据えられた鳥居と神殿
これら4峰も本来は、「日本八霊山」の候補として含まれるべき素晴らしい霊山です。次点となった理由としては、他の霊山候補の存在が際立ち、その地理的な重要性だけでなく歴史的背景においても、地域の文化や宗教観に、より大きな影響を与えてきたことが挙げられます。

また、東北の霊山は、緯度的に見ても若干高い位置にあったことにも注視する必要があります。古代、西アジアより日本に渡来してきたと想定されるイスラエルの民族は、天体を観測しながら方角を見定め、日本列島をくまなく探索しながら、人々が住みつくようになったと考えられます。よって、祖国において住み慣れている南北の緯度のうちに拠点を設けることが、それまで培われてきた地理感を最大限に活用するために大事だったことでしょう。東北の山々はイスラエルが存在する北緯の限界を超える地域に聳え立つ山々であったことから、それらよりも南方に位置する霊山にまず、焦点があてられたと想定されます。しかしながら「日本八霊山」に選定されずとも、岩木山、月山、早池峰山、五葉山のように素晴らしい霊山が、日本には数多く存在することも心にとめておくことが重要です。

早池峰山 山頂近くから巨石群と山々を臨む
早池峰山 山頂近くから巨石群と山々を臨む

整備を必要とする釈迦ヶ岳の山頂
整備を必要とする釈迦ヶ岳の山頂
天文学を駆使した地勢検証の枠組み内にありながら、「日本八霊山」の中に大峰山とも呼ばれる山上ヶ岳と釈迦ヶ岳が選ばれなかった理由は、双方とも海上から見て確認することができない熊野の中心部に位置すること、そして大峰山が鹿島神宮と富士山頂近くを結ぶ直線上に存在すること以外に重要なレイラインがほとんど存在しないことが挙げられます。他の霊山や聖地との結びつきが少ないということは、単に「地の力」の重要性に影響を及ぼします。また遠くから山頂が見づらいということは、現実問題として多くの山々が連なる熊野連山の山奥の中で、その山が探しづらいことを意味します。それ故、地の指標となるには若干弱い位置づけにありました。

山上ヶ岳の頂上に広がる「お花畑」
山上ヶ岳の頂上に広がる「お花畑」
今日、山上ヶ岳の頂上には「お花畑」と呼ばれる樹木が広がり、頂上にて神が祀られてきたという痕跡も乏しく、古代より山全体が霊山となっていたと想定するにはズレがあります。また、釈迦ヶ岳の山道はかなり荒れ果てており、熊野山中の登山道として一般の方々にお勧めできるようなルートはありません。古代より人々が参拝する霊山であるならば、永年に亘る人々の行き来により、必ずや山道が整備されてくるものです。釈迦ヶ岳山頂の「釈迦如来像」の歴史も不透明であり、古代の民がそこで神を拝したという痕跡とは一概に言えないようです。いずれにしても、山上ヶ岳と釈迦ヶ岳はどちらも大切な霊山であることに変わりありません。

「日本八霊山」を一座ずつ解説するにあたり、大切な地の指標や霊山同士を一直線上に結ぶレイラインの存在に焦点をあてながら、いかにして日本列島の山々が厳選さされ、その頂上において神が祀られるようになったのか、その背景を振り返りながら、霊山の実態にせまってみましょう。

中島尚彦

中島 尚彦

南カリフォルニア大学、ペンシルベニア大学ウォートン校、フラー神学大学院卒。音楽系ネット通販会社サウンドハウスの創業者。古代史と日本古来の歌、日ユ同祖論の研究に取り組むとともに、全国の霊峰を登山し、古代遺跡や磐座の調査に本腰を入れている。

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