霊峰 剣山
神々と巨石が祀られる剣山
「日本百名山」のひとつに選定されている剣山は、四国徳島県に位置し、標高1955mを誇る西日本最高峰の石鎚山とほぼ同等の高さです。剣山の頂上周りには、祖谷川を源流とする御神水が湧き出ており、日本の名水百選にも選ばれています。さらに剣山の頂上から尾根伝いを望むと、ミヤマクマザサに覆われた「馬の背」とも呼ばれる広大な緑の草原が広がっています。
剣山の頂上は注連縄によって祀られており、頂上近くの宝蔵石に隣接して剣山本宮宝蔵石神社、さらに宝蔵石を拝する形で剣山本宮が建てられています。また、山の中腹には大剣神社があり、背後に聳え立つ50mほどの「御塔石(おとうせき)」と呼ばれる巨石を御神体としています。そして麓の見ノ越には劔神社が鎮座し、剣山へ登る山道の入り口となっています。
剣山とソロモンの秘宝

剣山 宝蔵石剣山は、同じ四国の石鎚山と同様に、古代から修験道の山として、多くの行者が登山に訪れてきました。その背景には、剣山に纏わる伝説が存在し、剣山周辺の集落には古代からミステリーが言い伝えられています。例えば町役場の案内書には、ソロモンの秘宝が隠されている可能性について言及されています。ソロモンの秘宝とは、聖櫃、すなわちアークとも呼ばれる契約の箱と、そこに秘蔵されていた品々を指します。旧約聖書によると、聖櫃の中にはモーセが携えていた十戒の石板が納められ、また、聖櫃のそばにはアロンの杖とマナの壺も置かれていました。それらが日本に持ち運ばれてきたのではないか、という説が長年にわたり語り継がれています。
巨石と金の鶏
古代、剣山を目指して長く険しい山道を登った人たちは、まず、穴吹にある巨石を祀る石尾神社に参拝し、その近くにある杖立峠を越えて、剣山に向かったと伝えられています。石尾神社は巨石そのものをご神体としていることから、一般的な社殿のような建物は存在しません。また何十メートルにも連なる巨石の割目の奥深くには、昔から「金の鶏」が隠されていたという伝承が語り継がれてきました。一方、イスラエルの聖櫃の上には、ケルビムと呼ばれる羽を広げた形状の金の鳥が、向かい合う形で置かれていたことが知られています。剣山参りの前段として位置づけられる石尾神社に纏わる金の鶏の伝承は、果たしてイスラエルの聖櫃と何かしら関係があるのでしょうか。
ユダヤの伝説に纏わる剣山
いずれにしても、剣山周辺の地域には、古代からイスラエルとの何らかの関係を想起させる伝承や説があるようです。剣山の麓近くに建立された神明神社は、積み石風の祭祀遺跡として知られています。南向きに位置し、3つの入り口から内部に入ると、5か所に祈り場が設けられています。これら石の配置や構造は古代のユダヤ礼拝所に酷似していることから、神明神社そのものがユダヤルーツではないかと言われています。果たして剣山の歴史の背景には、古代イスラエルの民が関与していたのでしょうか。
淡路島から望む剣山

南淡路から眺める剣山古代の霊山として、これまで剣山の名前が挙げられる事例は少なく、古代イスラエルとの関係が取りざたされることもほとんどありませんでした。ところが近年、この剣山こそ、日本列島を代表する霊山のひとつとして、古代より極めて重大な位置づけにあることがわかってきました。注目すべき点は、剣山が淡路島から望むことができる最高峰という点です。淡路島は大きな島であり、島の各所から周囲の山々を見渡すことができます。北方には六甲山脈を眺め、南東方向には吉野や熊野の山々を望めます。また南西方向には四国徳島の山々が並んでいます。それらの山々の中で、ひときわ際立っているのが剣山です。天気の良い日に淡路島から遠く四国方面を望むと、一つの頂きだけわずかに突き出て見える山が確認できます。それが剣山です。
旧約聖書のイザヤ書には、古代イスラエルの民は、東の海の島々に特別な関心を抱き、その中でも、ひときわ聳え立つ最高峰を探し求めていたと想定できる記述が見られます。それ故、国生みの時代にて最初に淡路島に到達した時点で、剣山の存在が見出されたことでしょう。そのため剣山に纏わる歴史や信仰の起源は、大変古い時代まで遡ると考えられます。
剣山のレイライン
その証となるのが、剣山と他の聖地を結ぶ多くのレイラインの存在です。剣山のレイラインには、日本の古代聖地が連なるように配置されています。よって、剣山が古代の霊山とされ、重要な指標のひとつとして認識されていたことの証と考えられます。
まず、石鎚山と同様に、高千穂、熊野本宮大斎原と剣山との繋がりを見てみましょう。高千穂と剣山を結ぶ延長線には、古代聖地の基点として比類なき位置づけを誇る三輪山があり、
高千穂峡 真名井の滝また熊野本宮大斎原と剣山を結ぶレイラインの西方には宗像大社が存在します。いずれも記紀において、国生みの時代から神代にかけて登場する聖地です。奈良盆地の一角に位置する小高い山が三輪山の聖地となった背景には、おそらく剣山と高千穂を結ぶ線上にあることが重要視されたのではないかと推測されます。国生みの時代から神代に至る事象は南西諸島から対馬、宗像を経由して記録されていると考えられることから、宗像にて神が祀られた後、石鎚山と剣山を指標として、それらのレイラインが通る熊野本宮大斎原の聖地が定められたと想定できます。
石鎚山と同じく、剣山も淤能碁呂島に比定される可能性がある小松島の日峰山と結び付けて捉えることができます。このレイライン上には富士山と香取神宮が並んでいます。日峰山は、剣山と富士山を結ぶ線上にあることから重要視されるようになり、後には、その一直線上に香取神宮が建立されたと考えられます。
また、スサノオと絡み、出雲大社のご神体ともいわれる八雲山と金刀比羅宮が、剣山と一直線を構成していることにも注目です。金刀比羅宮は剣山と八雲山の地の力を受け継ぐべく、綿密に計算された場所に建立されたと考えられます。しかもその場所は前述したとおり石鎚山と高千穂のレイラインとともに紐づけられていたのです。このように複数の聖地をまたぐレイラインが交差する地点に建てられた金刀比羅宮だからこそ、特別な意味を持ち多くの人に愛されてきたのです。

剣山の山頂にある注連縄その後、崇神天皇の時代になると元伊勢の御巡幸が始まり、再び剣山はひそかに注目される存在となります。そして、元伊勢御巡幸のすべての巡幸地とレイライン上で結び付くことになります。これは剣山がソロモンの神宝に纏わる重要な秘蔵場所であったことを後世に伝えるためのメッセージであったかもしれません。いずれにしても、剣山は国生みの時代から重要視され、特に神宝の秘蔵が重視された前1世紀以降、新たに注目を集める存在となり、そこが邪馬台国の舞台へと発展していくのです。
その発展の起因となる邪馬台国の立地条件とその重要性を、元伊勢に関するレイラインからも検証することができます。元伊勢の御巡幸地は、いずれも剣山を基点とするレイライン上に位置しています。これは御巡幸地の場所が剣山との関係性を踏まえて厳選されたことを意味するだけでなく、剣山が元伊勢御巡幸の最終目的地であった可能性を示唆しています。すなわち剣山こそ、古代の霊山の中でも、極めて重要な位置づけを占めていたことがわかります。


