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2024/04/26

日本八霊山 レイラインから紐解く古代霊山の真相

霊峰 石鎚山

石鎚山 天狗岳
石鎚山 天狗岳

石鎚山の歴史

石鎚山は四国山地の西部、愛媛県に位置する、西日本最高峰となる標高1982mを誇る霊山です。石鎚山は「日本百名山」、「日本七霊山」として知られ、石槌山、石鉄山、石土山と表記されることもあります。石鎚山は古くから山岳信仰の対象として行者が参拝する山でした。

飛鳥時代の657年、修験道の開祖として知られる役小角(えんのおづね)は、石鎚山近くの龍王山中腹にて修行の途中、石土蔵王権現の出現を得て、7世紀末までに石鎚山は開山されたと伝えられています。それから間もなく熊野権現が勧請され、奈良時代には、修行道場としても広く知られるようになりました。さらに平安時代には空海も石鎚山で修行をしたことが、空海自らの著作である「三教指帰」に記載されています。

熊野神と石鎚山

12世紀、平安時代後期に書かれた「熊野権現御垂迹縁起」には、熊野権現、すなわち熊野の神さまと石鎚山との繋がりについての記述があります。そこには、遥か昔、中国大陸の唐にある天台山の王子信が飛来し、九州の彦山に天下った後、伊予国の石鉄の峰、石鎚山を経て淡路島の諭鶴羽山に渡られ、その後紀伊半島の最南端、熊野新宮近くの神倉山に降臨され、最終的に熊野本宮の大斎原に鎮座されたと記載されています。このように石鎚山の名は史書にその名前が記されているだけでなく、古代の聖人が石鎚山で修行を重ねたという伝承も残されています。石鎚山が霊山と言われる所以は、歴史的記録と信仰の積み重ねがあるからに他なりません。

石鎚山の試しの鎖

石鎚山試しの鎖
石鎚山を御神体とする石鎚神社の奥の宮は、山頂に鎮座する頂上社です。また、山の中腹には中宮となる成就社が建立され、山麓には本社が置かれています。御祭神は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)であり、石鎚大神とも言われることもあります。

石鎚山の登山は、「鎖禅定」とも呼ばれる鎖の絶壁を登ることで知られています。試しの鎖からはじまり、一の鎖、二の鎖、三の鎖と続き、合わせて239mにもなる急斜面の岩場を、鎖を頼りに登り詰めることになります。そして三の鎖を登りきった先に、頂上社が鎮座しているのです。

石鎚山レイライン

石鎚山は西日本最高峰として瀬戸内海側から頂上を望むことができるだけなく、山頂からは日本海に面する大山もはっきりと望むことができます。頂上からの見晴らしも大パノラマで格別なことから、古代、レイラインの指標として重宝されてきました。その実態は下記のとおり、レイラインのマップから今日でも確認することができます。

最初に注目したいレイラインは、石鎚山と熊野本宮大斎原を結ぶ直線です。史書によると、 熊野権現は石鎚山と諭鶴羽山を経由し、熊野の高倉山に降臨された後、熊野本宮大斎原に鎮座したとされています。その大斎原は、石鎚山と同緯度に位置しており、熊野奥地の川沿いにて、大斎原の場所が見出された理由は、正に石鎚山の存在なくしては語れません。

さらには天孫降臨の時代に遡り、瓊瓊杵尊が高千穂に天下ったという記紀の記述を踏まえて、高千穂と石鎚山を結ぶレイラインを検証すると、その線上には古代、海洋豪族が重要視した金刀比羅宮が並びます。この同一線上の南側には、イスラエルのエルサレムと同緯度に位置するヒラバイ山が存在することにも注目です。天孫降臨の時代、アジア大陸から海を渡り、南西諸島を北上してきたイスラエルの民は、まず、エルサレムに結び付くヒラバイ山を見出したのではないでしょうか。その後、高千穂と金刀比羅宮の聖地が、石鎚山とヒラバイ山を結ぶレイライン上に見出されていったと考えられます。

日峰山は淤能碁呂島?

小松島の日峰山
小松島の日峰山
徳島の小松島にある日峰山は、淤能碁呂島(おのごろじま)としての可能性を秘めている由緒ある島です。この日峰山と石鎚山を結ぶレイラインの東方には、古代、海上から紀伊半島にアクセスする際の船着き場として用いられた伊雑宮があります。後の伊勢神宮の奥宮とも言われる聖地です。また、富士山と石鎚山との関係も重要です。2座の霊山を結び付ける線上には、記紀にも登場する古代神宮として名高い奈良の石上神宮が存在します。そして初代神武天皇の宮があったとされる地には、今日、橿原神宮が建立されています。この場所が、石鎚山と諭鶴羽山を結ぶ線上に位置することからしても、皇族にとって霊峰石鎚山の存在が極めて重要であったとうかがえます。

古代聖地と並ぶ石鎚山のレイライン

石鎚山のレイラインを検証することで、いかに古代聖地が霊山を基点として、相互に結び付いているかを知ることができます。これらのレイライン上には、富士山、諭鶴羽山、剣山、釈迦ヶ岳が並ぶだけでなく、古代聖地として著名な熊野本宮大斎原、高千穂、伊雑宮、石上神宮や、橿原神宮も連なっています。これら最も古い由緒を持つ聖地が名を連ねる点を踏まえると、石鎚山が霊山として認識された時期は、およそ国生みの時代にまで遡る可能性があると考えられます。すなわち石鎚山こそ、古代から人々の崇敬を集めて来た霊山だったのです。

石鎚山のレイライン
石鎚山のレイライン

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